ジークフリート・ヴァーグナー
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ジークフリート・ワーグナー(Siegfried Herferich Richard Wagner, 1869年6月6日 - 1930年8月4日)はドイツの音楽家。リヒャルト・ワーグナーとコジマ・フォン・ビューローの子で、フランツ・リストの孫。
目次 |
[編集] 生涯
元々は建築家を志し、建築学を専攻しているが、父の弟子フンパーディンクに作曲を学んだ。多作な作曲家で、作曲数だけで言えば父親よりも数多く、オペラのほかに交響詩や協奏曲などの器楽曲も手懸けた。ただし、作品数の多さにもかかわらず、こんにち標準的なレパートリーに残っている楽曲は一つもない。1896年からバイロイト祝祭歌劇場で指揮者としてデビューを果たし、ドイツ各地を巡演した。1908年にバイロイト音楽祭の終身芸術監督に就任。
ジークフリートは密かに同性愛者であり、異性や結婚にはほとんど関心を示さなかった。1914年にバイロイト音楽祭において、17歳のヴィニフレート・クリントヴォルトと接触する機会が用意され、1915年9月22日に両者は結婚した。二人がもうけた子供は、以下の四人である。子孫を残すことに躊躇がないことから、両性愛者とも解釈できる。
- ヴィーラント (1917年 - 1966年)
- フリーデリンデ (1918年 - 1991年5月8日)
- ヴォルフガング (1919年 - )
- ヴェレナ (1920年 - )
このほかにジークフリートは、牧師の娘との間に私生児ヴァルター・アイグン(Walter Aign)を儲けた。ヴァルターはジークフリートの存命中に、バイロイト祝祭歌劇場のコレペティトーアに雇われたが、ジークフリートの没後にヴィニフレート未亡人が劇場運営を支配するようになって解雇された。
[編集] 主要作品一覧
[編集] 楽劇
- 熊の皮を着た男(Der Bärenhäuter) (1898)
- いたずら好きの公爵(Herzog Wildfang) (1900)
- 小鬼 (Der Kobold) (1903)
- 陽気な兄弟 (Bruder Lustig) (1904)
- 星の掟 (Sternengebot) (1906)
- バナディートリッヒ (Banadietrich) (1909)
- 黒鳥の王国 (Schwarzschwanenreich) (1910)
- 太陽の炎 (Sonnenflammen) (1912)
- 異教徒の王 (Der Heidenkönig) (1913)
- 平和の天使 (Der Friedensengel) (1914)
- すべては小さな帽子のせい (An allem ist Hütchen schuld!) (1915)
- 愛の犠牲 (Das Liebesopfer) (1917)
- マリーエンブルクの鍛冶屋 (Der Schmied von Marienburg) (1920)
- ラインウルフとアデラシア (Rainulf und Adelasia) (1922)
- 神聖な菩提樹 (Die heilige Linde) (1927)
- 妄想の犠牲 (Wahnopfer) (1928)
- ヴァラムント (Walamund) (1928-29)
- ヴェルンハルト (Wernhart) (1929)
- それぞれの人がこうむったちょっとした呪い (Das Flüchlein, das Jeder mitbekam) (1929)
[編集] 管弦楽曲
- 交響曲ハ長調 (Symphonie in C) (1925–27)
- 交響詩《憧れ》 (Sehnsucht) (フリードリヒ・シラーの詩による) (1895以前)
- 交響詩《幸福》 (Glück) (1923)
- スケルツォ《かくてこの世に悪魔があふれれば》(Und wenn die Welt voll Teufel wär) (1922)
- ヴァイオリン協奏曲 (Konzert für Violine mit Begleitung des Orchesters) (1916)