ホルシュタイン・ゴットルプ王朝
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ホルシュタイン=ゴットルプ王朝(Holstein-Gottorp dynasty)は、18世紀から19世紀にかけてスウェーデンを支配した王朝。シュレースヴィヒ=ホルシュタイン公国を支配したホルシュタイン=ゴットルプ公一族の出身である。
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[編集] 概要
ホルシュタイン=ゴットルプ家は、本来デンマーク王家の傍流であり家臣であったが、フレデリク4世の時、スウェーデン王家のプファルツ家と婚姻を結び、王位継承権を得るのである。しかし大北方戦争のスウェーデンの敗北により、フレデリク4世直系は継承権を失ってしまう。1720年、プファルツ王朝の後を襲って王位に就いたのは、プファルツ家の外戚ヘッセン家のフレデリク1世であった。しかしそのヘッセン家も1代で絶える事が確実となり、スウェーデン議会は王位継承権第2位のホルシュタイン=ゴットルプ家に白羽の矢を立てたのである。ところがホルシュタイン=ゴットルプ公の本家は、対立していたロシア帝国と婚姻関係を結んでおり、本流を迎える事が出来なかった。しかし、ロシアとの平和を鑑み、フレデリク4世の弟クリスティアン・アウグストの息子フレデリクが王位継承者に選ばれたのである。そして、プロイセン王女であったロビーサ・ウルリカとの結婚は、当時対立していたスウェーデン議会の親ロシア派、親西欧派の和解に役立つものとして歓迎された。
しかし当時のスウェーデンは、プロイセン王国、ロシア帝国から政治資金が流れ、政党が国政を動かし、国力は弱体化し、列強の傀儡に墜ちていた。文化の面では「自由の時代」を謳歌していたが、大北方戦争以後のスウェーデンの没落時代を象徴を為すものであった。
こうした国情を憂慮したグスタフ3世は、即位した翌年に王党派の支持の元クーデターを完遂し、王権を奪回した。グスタフ3世は啓蒙主義思想を持ち、国家の復興を成し遂げ、ロシアとの戦争にも事実上勝利し、フランス革命にも干渉するなど、スウェーデンの大国復活に熱意を燃やしたが、1792年に暗殺された。
その後スウェーデンは保守主義に徹し、国内の統制を強めた。グスタフ4世が親政に転じた後は、フランス革命戦争の調停役となるが失敗し、以後反ナポレオンの一員となってナポレオン戦争に参戦する。しかしスウェーデンの参加した第三次、第四次対仏大同盟は、ナポレオン1世によって壊滅させられた。この時スウェーデンは、大陸封鎖令を拒否した事からロシアの侵攻を受け、属領であったフィンランドを失った。国王は追放され、まさにスウェーデンは死に瀕したのである。
こうした状況で、フランスの元帥ベルナドットがスウェーデン王太子に推戴された。しかしベルナドットは反ナポレオンに転向し、解放戦争において、ヨーロッパの解放に重要な役割を果たすのである。戦勝国となったスウェーデンは、1813年のキール条約、次いで1814年にウィーン条約でノルウェーを獲得をした。すべてベルナドットのおかげだった。死に体の王家ホルシュタイン=ゴットルプ家は、血脈を残す事無く断絶を迎える事になった。そして1818年、最後の国王カール13世の死によって、ホルシュタイン=ゴットルプ朝は終焉を迎えた。
[編集] 年表
- 1751年 アドルフ・フレデリック即位、ロビーサ・ウルリカによるクーデター未遂
- 1756年 ロビーサ・ウルリカへの制裁を含め、七年戦争に参戦
- 1759年 スウェーデン宰相ジーレンボルイ死去
- 1763年 七年戦争に敗北、ロビーサ・ウルリカの仲裁によりプロイセン王国と和解
- 1765年 ハッテナ党に代わりメッソナ党が与党となる
- 1769年 ハッテナ党与党に返り咲き。デンマークと対立
- 1771年 グスタフ3世即位
- 1772年 グスタフ3世、クーデターを実行。「自由の時代」終焉
- 1780年 武装中立同盟に参加
- 1784年 フランス王国から植民地を取得(1786年に西インド会社設立)
- 1786年 スウェーデン・アカデミー設立
- 1788年 第一次ロシア・スウェーデン戦争(-1790年)
- 1789年 フランス革命に干渉(-1792年)
- 1790年 グスタフ3世、絶対王政復活
- 1792年 グスタフ3世暗殺(仮面舞踏会)、グスタフ4世アドルフ即位
- 1796年 グスタフ4世アドルフ親政
- 1798年 フェルセン主導のラシュタット会議。(-1799年、フランス革命戦争の講和会議)
- 1800年 武装中立同盟に参加(-1801年)
- 1805年 第三次対仏大同盟参加
- 1806年 第四次対仏大同盟参加
- 1808年 第二次ロシア・スウェーデン戦争(-1809年)、ロシアにフィンランドを奪われる
- 1809年 軍事クーデター、グスタフ4世アドルフ追放
- 1810年 パリ条約、ナポレオン1世と和睦。「大陸封鎖令」に参加
- 1810年 王位継承者問題。フランス元帥ベルナドット推戴
- 1813年 ドイツ解放戦争に参加。ベルナドット、ライプツィヒの戦いでナポレオン1世に勝利
- 1814年 キール条約でノルウェーを獲得。
- 1814年 ウィーン会議(-1815年)
- 1818年 ベルナドット、国王に即位し、ホルシュタイン=ゴットルプ朝終焉
[編集] 歴代国王
- アドルフ・フレデリック (生没年:1710年 - 1770年、在位:1751年 - 1771年)
- グスタフ3世 (生没年:1746年 - 1772年、在位:1771年 - 1792)
- グスタフ4世アドルフ (生没年:1778年 - 1837年、在位:1792年 - 1809年)
- カール13世ヨハン (生没年:1748年 - 1818年、在位:1809年 - 1818年)