ミノルタ
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ミノルタ(Minolta)とは、かつて存在したカメラ、複写機を主力とする日本の精密機器大手企業メーカーである。日本の光学機器メーカーとしてはコニカに次いで2番目の歴史を持つ。英語名は、MINOLTA。
設立は1928年。創業者田嶋一雄が設立した「日独写真機商店」にはじまる。1931年、社名を「モルタ合資会社」(Mechanismus Optikund Linsen von Tashima)に改称。6年後の1937年「千代田光学精工株式会社」と改称。1962年カメラのブランド名であった「ミノルタ」を社名に冠し「ミノルタカメラ株式会社」と改称、1994年に「ミノルタ株式会社」と改称した後は2003年8月に「コニカ株式会社」と経営統合するまで同社名が使われてきた。また、ミノルタの最後期に使用されたCIロゴマークは、現在のコニカミノルタでも引き続き使用されている。詳細はコニカミノルタホールディングスの冒頭の説明も参照されたい。
ミノルタというブランド名の由来については、創業の地である武庫川河畔に広がる田園風景をもとに「稔る田・ミノルタ」と名付けた。また、末尾の田は創業者兼社長の田嶋一雄の田を入れた、あるいはツァイス・イコンのカメラが「イコンタ」だったので末尾にタを入れてカメラらしいニュアンスにした、モルタ合資会社(Machinery and INstruments OpticaL by TAshima)の社名から由来しているとも言われている。
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[編集] 主力製品
一眼レフオートフォーカスカメラのα(アルファ)シリーズ、デジタルカメラのDiMAGE(ディマージュ)シリーズ、業務用複写機。
[編集] ミノルタ製カメラの歴史
1929年発売のベスト版カメラ「ニフカレッテ」に始まる。 日本のカメラはドイツのカメラメーカーの製品を手本に研究・製造されてきた。ミノルタの場合ローライ(フランケ・ハイデッケ兄弟社の2眼レフカメラ)が原点である。他社をみるとキヤノンはエルンスト・ライツ社のライカ、ニコンはツァイス・イコンのコンタックス、ペンタックスはイハゲー社のエグザクタを原点としている。ミノルタは日本で初めて二眼レフカメラを製品化するなど二眼レフカメラを得意としていたが、1947年発売の「ミノルタ35」を皮切りに次第に35ミリカメラに開発の比重を移していくこととなる。1962年、NASAの厳しい試験をクリアした35mmレンズシャッターカメラ「ハイマチック」がグレン中佐乗り込むフレンドシップ7号の宇宙飛行用カメラとして採用されるなど日本の光学界において初の快挙を成し遂げた。このフレンドシップ7号にちなんで「SR-7」や「α-7000」等多数の製品に7をつけるようになる。ミノルタのカメラが普及した背景には技術力もさることながらミノルタのCM戦略も大きかった。1980年、宮崎美子を起用した「X-7」のCMが大ヒット。X-7は瞬く間に当時のベストセラーモデルとなった。その後、1985年、世界で初めてのAF一眼レフカメラ「α-7000」を発売し、技術力で他社を大きく引き離した時期も存在する。第1回ヨーロピアン・カメラ・オブ・ザ・イヤーを受賞するなど日本のみならず世界中でミノルタのカメラがヒットした。1987年、アメリカ合衆国ハネウェル社が、同社の保有するオートフォーカス技術の特許侵害で訴訟を起こし、ミノルタは約1億ドルもの和解金を支払うこととなった。
銀塩(フィルム)カメラの分野では日本のカメラ界を常に牽引し続けてきたミノルタであったが、デジタルカメラの開発では競合他社に大きく遅れをとり、次第に業績が悪化。2003年、コニカとの経営統合をてこにデジタルカメラ分野での起死回生を図った。CCDを動かすことで手ぶれを補正する「アンチシェイク」など独自の技術で他社に挑んだものの、努力は実らず、2006年1月19日、ついにコニカミノルタホールディングスは、カメラ・フィルム事業からの撤退を発表した。デジタル一眼レフカメラについては先に提携を発表していたソニーに譲渡し(「α」ブランドも)、同年3月末をもって、長年続いたミノルタのカメラの歴史に幕を下ろすことになった。
[編集] ロッコールレンズ
かつて日本のカメラ会社はカメラ本体のみならず、レンズにも独自の名前をつけていた。ミノルタのレンズは「ロッコール」という名前で売り出されていた。ロッコールの名称は創業地西宮から近い、神戸にある六甲山にちなんで命名された。ガラス溶解から研磨・コーティングまですべて自社の工場で行われた。世界で初めてマルチコ-ト(2層・アクロマチックコーティングと呼ばれる)が施されたのもロッコールレンズであり、このコーティングをされたレンズ特有の緑色の反射光から「緑のロッコール」と呼ばれ、有名になった。しかし1981年、レンズに独自の名称をつけないという当時の風潮に従い、ロッコールの名称は消えていくこととなる。
なお、ロッコールレンズには「ROKKOR-QF」というように最後にアルファベット2文字の記号が付いているものがある。これはレンズの群数・枚数を表している。記号と数字の対応は以下の通りである。
- 群数記号
T=3、Q=4、P=5、H=6、S=7、O=8、N=9
- 枚数記号
C=3、D=4、E=5、F=6、G=7、H=8、I=9、J=10、K=11、L=12
したがって「ROKKOR-QF」は4群6枚となる。
また、MF1眼レフ用輸出向けレンズに限り「ROKKOR-X」、「CELTIC」の名前が付いているものが存在する。
[編集] 経営統合後の事業
2003年8月にコニカとミノルタは経営統合し、持株会社コニカミノルタホールディングスを発足させた。その際、ミノルタ株式会社はコニカミノルタホールディングスの子会社となった。
その後、2003年10月の事業再編時に分社化を行い、ミノルタの各事業は以下の各傘下会社にそれぞれ継承された。
- カメラ事業 コニカミノルタフォトイメージング
- カメラ事業は、2003年10月にコニカミノルタカメラに継承されたが、2004年4月にコニカミノルタフォトイメージングと合併した。
- 計測機器事業 コニカミノルタセンシング
- オプト事業 コニカミノルタオプト
- 複写機事業 コニカミノルタビジネステクノロジーズ
- プラネタリウム事業 コニカミノルタプラネタリウム