九龍
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九龍(Kowloon:カオルーン)は、香港(中華人民共和国香港特別行政区)内に位置する市街地の一地域名を指す。1860年に締結された北京条約において当時の中国の政権である清からイギリスに割譲された地域で、九龍半島のうち現在の界限街(Boundary Street)より南側を指す。ただし、現在の日常の用語としては、「新九龍(New Kowloon)」と呼ばれる新興市街地を含む場合もある(本文#新九龍を参照)。1842年の南京条約で清朝からイギリスに割譲された香港島に次いでイギリスの植民地となる。1997年7月1日をもってイギリス領香港の他地域と共に中華人民共和国へと返還(回帰)された。九龍の歴史などに関しては、『香港』、『香港の歴史』の項を参照。
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[編集] 名称
- 表記『九龍』(繁体字) 『九龙』(簡体字)
- 英語名: Kowloon(カオルーン)
- 北京語(ピン音): Jiǔlóng(ヂウロン)
- 広東語: gau2 lung4(ガウロン)
- 和製(日本)語:(クーロン)
- (上記の英語・北京語・広東語の読みについては、原音のカタカナ表記の一例)
『九龍』の呼称についての由来は諸説ある。宋の幼皇帝が周囲の八つの山の形を龍の頭となぞらえて自分を足して九龍と名づけた説、周りの九つの山から龍が降りてきて永遠に発展する地になると言う風水からきた説、9人兄弟の漁師が波打ち際で遊んでいたところ龍に変化してしまいこの地を見守る役割をするようになったと言う説、この地にかつて龍と言う名の家族が9人住んでいたと言う説…などがある。どの説も物語的であり明確な理由は推し量れないが、九と言う字は中国では「久」と音が通じることから永遠或いは永久を意味し、その為にめでたいものだとされる。また龍も同様に風水によれば非常に縁起の良い想像上の動物として知られている。この事から九龍と言う地名のネーミングは比類なく幸福な名前であると解釈することも出来よう。
これらの説に出てくる「山」がどの山を指すのかということについてはいくつか説があるが、主なものは以下のとおりである。
- 青山(Tsing Shan / Castle Peak)(583m)
- 大帽山(Tai Mo Shan)(958m)
- 大老山(Tate's Cairn)(583m)
- 獅子山(Sz Tsz Shan / Lion Rock)(495m)
- 馬鞍山(Ma On Shan)(702m)
- 飛鵞山(Fei Ngo Shan / Kowloon Peak)(602m)
- 蚺蛇尖(Nam She Tsim / Sharp Peak)(468m)
また九龍を日本では『クーロン』と読む場合があるが、これは和製語であり通用名称ではない上に現地では全く通じない(この場合「九」は日本語で9の数字を読む際の『くー』、龍の「ロン」は中国語で龍を意味する音である『Long』から来ているとされる)。
因みに、クーロンという言葉にはこういう意味もある。
[編集] 行政区分
九龍市街の行政区分は以下の通り。
- 九龍城區 (Kowloon City District)
- 油尖旺區 (Yautsimmong District)
- 深水埗區 (Sham Shui Po District)
- 觀塘區 (Kwun Tong District)
- 黄大仙區 (Wong Tai Sin District)
立法会選挙では九龍市街を以下の2つの選挙区に分けている。
- 九龍東(Kowloon East)(觀塘区、黄大仙区)
- 九龍西(Kowloon West)(九龍城区、油尖旺区、深水埗区)
[編集] 新九龍
本稿冒頭にあるとおり、本来の意味での「九龍」は九龍半島先端の尖沙咀(Tsim Sha Tsui)から新界との境目である界限街までの地域を指していたが、新界の一部地域を「新九龍」として、広い意味での九龍に含める場合がある。
歴史的には、九龍半島のうち界限街以南は清からイギリスに「割譲」されたが、それよりも北側は1898年の展拓香港界址專條により99年間の期限でイギリスに「租借」された土地であるという違いがあった。1937年、当時の香港政庁は新界のうち、東から順に鯉魚門(Lei Yue Mun)~飛鵞山~大老山~獅子山~筆架山(Beacon Hill)~美孚新邨(Mei Foo Sun Chuen)~昂船洲(Stonecutters Island)を結んだ線より南側の地域を、都市圏の拡張のために「新九龍」として定めた。
今日の香港では、「新九龍」という用語はほとんど使われなくなっており、この地域はもはや「新界」の一部ではなく、界限街の南北両側とも九龍の都市圏とみなされている。1997年に界限街を境とする割譲地・租借地とも「香港」として中華人民共和国に返還されたが、これらにもかかわらず法律上は九龍・新九龍・新界の区分は変更されずに残されたままである。
[編集] 主な地域
九龍地区で最も繁華な場所は九龍半島を南北に貫通する彌敦道(Nathan Road)である。九龍はこの通りを中心に形成されており、その周囲は碁盤状に区画されている。明確な都市軸を持つ街区である。最近では、1998年に啓徳空港(Kai Tak Airport:旧香港国際空港)が閉鎖された事による九龍市街の高さ制限の撤廃に伴い、超高層建築でのオフィスや住宅、商店、ホテル建設などの様々なコンプレックスを持つ再開発計画が至る箇所で進行している。本来「九龍」の指す地域は、九龍半島の先端の『尖沙咀』から、かつて香港が中国からイギリスに割譲された際境界線となった場所にある街路『界限街』までを言ったが、市街の急速な拡大に伴い、現在では新界南部や東部を含めた広域を指す場合が多い(#新九龍を参照)。本項でも、新九龍を含めて解説する。
九龍地区から香港島へは維多利亞湾(ヴィクトリア湾:Victoria Harbour)を渡る海底トンネルが通じ、地下鉄用が2本(機場快線と東涌線用、荃灣線用)、自動車専用トンネルが2本(海底隧道、西區海底隧道)及び地下鉄と自動車併用が1本(東區海底隧道は地下鉄觀塘線と併用)の合計5本が開通している。
[編集] 尖沙咀・佐敦
尖沙咀(Tsim Sha Tsui)及び佐敦(Jordan)は九龍半島の先端に位置する街区で、彌敦道の始点となる場所。新界方面からのバスがこの場所で集約される。また香港島へ維多利亞湾を超えて渡るスターフェリー乗り場も設置されており、交通の要衝となっている。かつては香港最大の鉄道駅であった九龍駅があり、この駅からは九廣鐵路(KCR:Kowloon Canton Railway)が発着していた。中国広東省の省都である広州や、上海、北京への列車や、遠くは香港の旧宗主国であるイギリスの首都ロンドンへの直通列車も発着していた。現在、九龍駅は九龍半島中部の紅磡(Hung Hom)へ移転し、名称も紅磡総站となっている。旧九龍駅の跡地附近には、香港文化中心(HongKong Cultural Centre)、香港藝術館(HongKong Museum of Arts)、香港太空館(HongKong Space Museum)などの文化施設が建設されている。史跡としてかつて駅にあった時計台が現在でも残っている。尖沙咀には香港でも最高級とされる『ペニンシュラホテル』(半島酒店:Peninsula Hotel)がある一方、安宿で名の知れた雑居ビル『重慶大厦』(Chungking Mansions)があるなど混沌とした感がある。また尖沙咀と佐敦との境にある九龍公園にはモスク(イスラム寺院)もあり、国際色豊かな地域である。
[編集] 旺角・ 油麻地
彌敦道沿いの油麻地(Yau Ma Tei)周辺は観光客などが多く集まる為、高級衣料店や両替商、土産物店などが多い。昼間から夜間にかけては露天商も現れ活気が溢れる。この地域の彌敦道上にはネオン看板が無数にひしめき、いわゆる香港らしいとされる景色が広がる。旺角(Mong Kok)では衣料品店やスポーツ用品店が多く軒を連ねており、香港の若年層文化の中心地のひとつとなっている。また専門の商品の販売に特化した雑居ビルなどもあり、この中では有名なものとしてGSM方式の携帯電話やそれらのパーツ、また主に日本製のアニメやゲーム、漫画の関連商品(直輸入品の他に台湾のライセンス商品が多い)などを販売している店舗が集まっているビルが挙げられる。日本の東京で例えるなら、渋谷や原宿と秋葉原や神田神保町と言った街の性格をひとつにまとめた感じであり、この雰囲気から香港独特の情景を作り出している。
また2004年秋には、旺角の西側一帯を再開発し建設された複合施設『ランガムプレイス(Langham Place:朗豪坊)』が完成した。ショッピングモールや劇場、映画館、ホテル、そして255.1mのオフィスタワーを有し、付近の新しいランドマークとなっている。
[編集] 紅磡
紅磡(紅ハム、Hung Hom)は紅磡站がある場所であり、ここは九廣鐵路の東鐵(KCR East Rail)の通勤路線の中途駅である。また深圳、広州などの中国本土への長距離列車のターミナル駅ともなっている。東側は住宅地があり高層アパートが立ち並んでいる。九龍駅の前には香港體育館(HongKong Coliseum)があり、各種スポーツ競技やイベントが行われている。紅磡には地下鉄が通じておらず、交通の便はバス便のみであまり良くなかったが、2004年になって尖東駅(尖沙咀東)まで九廣東鐵が延伸された。また今後は2003年開通にした九廣西鐵(KCR West Rail)と接続される予定である。
[編集] 九龍城
九龍城(Kowloon City)地域は、閉鎖された旧香港国際空港、通称啓徳空港が隣接していた場所で知られる。九龍半島の東部分が香港の行政区分としての九龍城區に含まれるが、狭義には九龍城砦に近接する下町地域を指す。
この地にはかつて清朝の軍事施設であった九龍城砦(正式には九龍寨城:Kowloon Walled City)があった場所である。アヘン戦争の結果、1842年南京条約で香港島がイギリスの永久租借地になり、さらに1860年北京条約で九龍の市街地が永久租借地に追加されたが九龍城砦だけは除外され、九龍半島がイギリス統治下におかれた後も、中国の飛び地として残された。その後九龍城砦に、中国政府から役人が派遣されることは無く、イギリスの主権も及ばない為、無法地帯と化してしまい中国大陸から流入した不法居民による極端なスラム化で有名となった。しかし、九龍城内には、学校、老人ホーム、自警団などが住民らによって独自に組織され、外部の人間が想像しているほど無法な状態でもなかったようである。スラムは1994年に当時の香港政庁と中国政府の同意により完全撤去された。その際に、住民らに支払われた保証金の額が極端に少なく(九龍城自体がスラム化していたため不動産価値が極端に低かった為)九龍城撤去後、ホームレスと化してしまった住民も多い。現在では再開発され九龍寨城公園(Kowloon Walled City Park)となり、一部史跡として清朝時代の兵舎が再現されている(日本ではこの場所は『九龍城(日本式の読みでは「くーろんじょう」。広東語風に読むと「ガオロンセン」)』と呼ばれていたが、これは周囲の住宅及び商店地域を含めた地区名を指す)。また、九龍城は飲食店が多く集まる地域としても有名で、香港でも随一の味を争う隠れた中華料理や甜品(甘味)の名店が軒を連ねる。
一方、九龍城の西部に隣接する九龍塘(Kowloon Tong)は高級住宅地として知られ、アパートメントや学校が整然と立ち並ぶなど落ち着いた様相を呈しており、雑然とした下町という感のある九龍城とは対照的である。
[編集] 九龍灣・觀塘
九龍灣(Kowloon Bay)から觀塘(Kwun Tong)にかけては、古くから開発されてきた住宅地となっている。超高層アパートが軒を連ね周囲に広がる山の中腹にまで及んでいる。また海岸地域には閉鎖された啓徳空港が近かったこともあり、巨大な倉庫街が広がる。啓徳空港跡地は、閉鎖後暫くは空港ターミナルビルを有効利用し、ゴーカートやボウリング場と言ったアミューズメント施設や自動車展示場、香港政府の合同庁舎などで使用されていた。現在は旧滑走路跡にセメント工場が建設されたほかは目立った開発は行われていないが、近い将来何らかの構造物が建設されるものと思われる。
[編集] 深水埗
一方西側の深水埗(深水ぽ、Sham Shui Po)は、かつては水上生活者などがひしめいていたものの、近年の急速な開発により埋め立てが進んだ為その姿を見る事はない。また、深水埗はアジアでも有数の電気街があることでも知られる。日本の代表的な電気街、東京の秋葉原や大阪の日本橋ほどの規模ではないもののそれに匹敵する。当初は電気器具を扱う店が多かったようだが、近年ではコンピュータや携帯電話などの先端機器を扱う店が台頭するようになった。更に最近では旺角同様にアニメやゲーム、漫画などのの関連商品を売る店も出始めており、いわゆるオタク文化が徐々に浸透、台頭し始めている。奇しくも、昨今の秋葉原などと同じ現象が起こっている。最近は減ってきているが、ヘビ料理の店が多いことでも有名である。
[編集] 西九龍
西九龍(West Kowloon)では大規模開発が進められており、敷地の殆どが埋め立て地と言っても過言ではない。埋め立てが始まる前までは、船舶を台風などの荒天から避難させる避風塘(Typhoon Shelter)と言う波止場が多く設置されていた。 香港国際空港へ直通する機場快綫(Airport Express)の九龍駅(紅磡にあるKCRの駅とは異なる)上には複合施設『Union Square』が建設中である。この施設にはオフィスとホテルをメインとする地上474m(111階建)の超高層ビル九龍站第七期(Union Square Phase7)が、アメリカの設計事務所KPFにより2007年竣工に向け建設中である。完成すれば上海にある地上420.5mの金茂大厦(Jin Mao Tower)を抜き中国国内で最も高いビルとなる。また中華民国(台湾)の台北にある世界で最も高い超高層ビル台北国際金融センター(台北國際金融大樓:Taipei International Financial Center、通称:台北101)の地上508mに次ぐ高さとなる。このビルをはじめ、周囲にはその他十数棟の高級超高層アパートメントが建設中である。
この他に西九龍埋立地では、2010年完成を目論み、イギリスのノーマン・フォスター卿(Sir Norman Foster)や丹下健三・都市・建築設計研究所などにより文化施設群『西九龍博物館群計劃(West Kowloon Cultural District Project)』が計画されている。ここには現代美術館、劇場、映画館、ホール、会議場、展示場、スタジアムなどが設置される見込みで、香港の芸術都市の立地を目指して建設される見込みとなっている。