京急大師線
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大師線(だいしせん)は、京急川崎駅と小島新田駅を結ぶ、京浜急行電鉄が運営する鉄道路線である。全線が神奈川県川崎市川崎区に属する。
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[編集] 路線データ
- 路線距離:4.5km
- 軌間:1435mm
- 駅数:7駅(起・終点駅含む)
- 複線区間:全線(但し小島新田駅構内は単線)
- 電化区間:全線(直流1500V)
- 閉塞方式:自動閉塞式
- 保安装置:京浜急行電鉄・京成電鉄・新京成電鉄・北総鉄道・芝山鉄道・都営地下鉄浅草線で使用されている1号型ATS(C-ATSに更新予定)。
[編集] 運行形態
全列車が線内折り返し運用で、他路線との直通はない。
基本的に700形の運用が中心だったが、廃車が進み、2005年11月28日を以て引退した。2000年からは旧1000形、2005年からは1500形も運用されるようになった。
大晦日から元日にかけては川崎大師への多くの参拝客に対応するために臨時に列車が増発され、終夜運転が行われるほか、本線からの直通列車(「だるまエクスプレス」)も運転される。この路線ではワンマン運転も検討されていたが、設備改良が困難だったことから見送られた。
[編集] 歴史
大師線は京浜急行電鉄のルーツである。川崎大師への参詣路線として建設され、1899年に開業した。営業運転を行う鉄道としては日本で初めて標準軌を採用した路線である。人力車組合の反対で遅れていた川崎駅(現在の京急川崎駅)乗り入れも3年後の1902年に果たした。なお、大師駅から先、総持寺駅(京急本線の京急鶴見駅~花月園前駅間にあった駅)まで当初京浜電気鉄道(当時)自ら建設する予定であったが、別会社で建設される事になり、子会社の海岸電気軌道の手で1926年10月16日に大師~総持寺間が全通した。海岸電気軌道は鶴見臨港鉄道(現・JR鶴見線)に買収された上に1937年12月1日に廃止となった。海岸電気軌道線の大師~大師河原間は現在の川崎大師駅~産業道路駅間とほぼ一致しているが、産業道路駅からは産業道路に並行して総持寺へ向かっていた。同駅の手前から産業道路横浜方面へ伸びる細い道が海岸電気軌道線の跡である。
太平洋戦争中は、陸上交通事業調整法により東京急行電鉄の運営となり、防諜上の理由により一部駅名を変更した。また、工業地帯への通勤輸送を担うため、海岸電気軌道の廃線跡を一部活用して桜本駅まで延伸された。戦後、京浜急行電鉄として独立後の1952年に塩浜駅~桜本駅間を川崎市交通局(当時は交通部)に譲渡し、1964年には国鉄塩浜操車場駅(現在の川崎貨物駅)建設のため小島新田駅~塩浜駅が休止され、1970年に正式に廃止、現在の路線が確定した。
1949年より鈴木町駅~桜本駅間(さらに線路の続いていた川崎市電日本鋼管前駅まで)が1067mm軌間との三線軌条となり、沿線の日本鋼管と味の素川崎工場から国鉄の貨物線への貨物輸送が行われた。その後、上記の線路変更の結果、1964年以降は塩浜操車場駅から大師駅先にある味の素川崎工場までに短縮され、大師線の旅客列車終車後に貨物列車が運転されていた。京急が1435mmの標準軌、貨物が1067mmの狭軌のため、双方の車両が走れるように下り線だけが三線軌条になっていた。1997年に貨物輸送が廃止されたため、現在は通常の二線軌条となっている。
- 1899年1月21日 大師電気鉄道が六郷橋駅~大師駅(現・川崎大師駅)間(2.0km)開業。
- 1899年4月 京浜電気鉄道に社名変更。
- 1899年11月29日 全線複線化。
- 1902年9月1日 川崎駅(現・京急川崎駅)~六郷橋駅間開業。
- 1929年1月 現在の線路に付け替え。
- 1929年12月10日 味の素前駅開業。
- 1932年3月21日 コロンビア前駅開業。
- 1942年5月1日 京浜電気鉄道は東京横浜電鉄に合併し、東京急行電鉄となる。
- 1944年2月1日 コロンビア前駅を港町駅に改称。
- 1944年6月1日 東京急行電鉄の手により川崎大師駅~産業道路駅間開通。
- 1944年10月1日 産業道路駅~入江崎駅間開通。
- 1944年10月20日 味の素前駅を鈴木町駅に改称。
- 1945年1月7日 入江崎駅~桜本駅間開通。大師線全通。
- 1948年6月1日 東京急行電鉄から京浜急行電鉄が分離発足。
- 1949年6月30日 京浜川崎駅~港町駅間の六郷橋駅廃止。
- 1951年3月16日 架線電圧が1500Vに昇圧。京浜急行電鉄全線の電圧が1500Vに統一された。
- 1952年1月1日 塩浜駅~桜本駅間を川崎市交通局へ譲渡し、川崎市電路線の一部となる。
- 1956年10月11日 列車集中制御装置(CTC)を新設。
- 1964年3月25日 小島新田駅~塩浜駅間が塩浜操駅(現・川崎貨物駅)建設のため休止。小島新田駅は京浜川崎駅寄りに300m移転。
- 1970年11月12日 空港線とともにATS地上装置の使用を開始。京浜急行電鉄全線のATS化が完了。
- 1970年11月20日 小島新田駅~塩浜駅間を正式に廃止。現在の路線が確定。
- 2005年11月28日 この日を以て700形が引退。翌29日から車両は1000形と1500形に代わる。
[編集] 駅一覧及び停車駅
駅名 | 駅間営業キロ | 京急川崎からの営業キロ | 接続路線 | 所在地 |
---|---|---|---|---|
京急川崎駅 | - | 0.0 | 京浜急行電鉄:本線 東日本旅客鉄道:東海道線・京浜東北線・南武線(川崎駅※) |
神奈川県川崎市川崎区 |
港町駅 | 1.2 | 1.2 | ||
鈴木町駅 | 0.8 | 2.0 | ||
川崎大師駅 | 0.5 | 2.5 | ||
東門前駅 | 0.7 | 3.2 | ||
産業道路駅 | 0.6 | 3.8 | ||
小島新田駅 | 0.7 | 4.5 |
- ※京急川崎駅と川崎駅との間の連絡運輸はなし。
[編集] 廃止・譲渡区間
小島新田駅 - 塩浜駅 - 入江崎駅 - 桜本駅
- これらは、川崎市電に譲渡されたが、5年足らずで廃線となった。
[編集] 今後の計画
川崎市は、大師線と交差する国道や産業道路などを始めとする道路の同線に対する踏切の解消や道路の混雑緩和を図るため、京浜急行電鉄と協議してきた大師線の新ルート及び地下化計画が実現する見通しとなった。2006年8月中に東門前~小島新田駅間の一部区間(980m)を先行着工し、2015年春に完成する予定である。しかし、2015年の完成は困難という見通しが出ている。
ただし、京急川崎駅で接続し相互直通運転を予定していた川崎縦貫高速鉄道が当初計画の元住吉経由から武蔵小杉経由にルートを変更する事が発表された。これに関して、武蔵小杉~京急川崎間の建設の見通しが付かない事から、京急は大師線の地下化を中止したい意向も示している。
[編集] 新ルート
京急川崎駅~川崎大師駅間に相当する。ルートは京急川崎駅から南東の方角へ向かい、川崎市役所付近の国道132号の真下へ、そこから大師通り(国道409号)の南部一帯の方面へ出向き、そのまま大師通りを並行し、現在の川崎大師駅地点に至る。このため、現行の大師線より0.5km長くなる。
[編集] 駅
- 港町駅と産業道路駅を含むこの区間の駅すべてを完全地下化。
- 京急川崎駅は大師線のホームのみ地下化。
- 小島新田駅はそのままとなる。
- 京急川崎駅~港町駅間に宮前駅(仮称)を新設する。場所は宮前町交差点(国道132号・国道15号との交点)付近となる。また、港町駅と鈴木町駅については大師通りの南方に移設する。
[編集] 踏切
- 全15ヶ所のうち14ヶ所を撤去する。特に産業道路付近の3ヶ所の踏切を優先的に撤去する予定。
[編集] その他
- 京急川崎駅大師線ホームの地下化により、川崎縦貫高速鉄道との相互直通運転や、羽田に路線を延ばして羽田空港のアクセス路線とする構想もある。
- 京急川崎駅付近において、既に川崎DICEの地下にはビルと一体的にトンネルが建築されている。