京急700形電車 (2代)
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700形電車(700がたでんしゃ)は京浜急行電鉄に在籍していた通勤形電車。1967年(昭和42年)に登場し、4両編成21本(84両)が製造された。
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[編集] 概要
主に自社線内向け普通列車用として設計・製造されたもので、またラッシュ時対策用として京急としては初の片側4扉車として登場し、前面も強化対策が実施された。この結果は800形や500形ロングシート改造車(既に廃車)に反映した。座席はロングシートであり、前述の目的に特化して他形式と比べ座面は奥行きが浅く、高さは43cmである。後の新1000形においてもこの座面高を採用した。全車が電動車である旧1000形と異なり、先頭車が電動車、中間車が付随車で構成される。性能を維持するため出力150kWのモータを使用し、また粘着性能確保のため動力車の車長は18.5m、付随車は17.5mで製造されている。これは小田急電鉄の2400形にも前例のある設計コンセプトであった。製造次による変化は、1次車が高運転台構造で側窓が角型、2次車からは標準の高さの運転台と丸みを持った窓、さらに最終装備車の739・741編成は側扉窓を旧600形に合わせて拡大された。走行機器は、東洋電機製造製と三菱電機製があるが、東洋電機製は阪急電鉄2300系に、三菱製は西日本鉄道600形初期車に準じている。
後述するが、本来はMT比2M1T編成を組成する計画であったが、全編成が2M2Tで落成した。その後も電動車を増備する構想は存在したようが、運用面の都合や車両冷房化の機運からその後の増備は旧1000形冷房車に移行し、さらにその後のオイルショックを反映した社会の趨勢から、普通列車用は新設計の800形に帰結する事となった。
[編集] 性能
- 最高速度:120km/h(営業最高速度110km/h)
- 起動加速度:2.7km/h/s(2M1T:3.5km/h/s)
- 常用最大限速度:4.0km/h/s
デハ700形・サハ770形の2形式から構成され、本来は2M1Tでの3両編成の予定で普通列車の6両編成化に対応するはずだったが、線路や駅ホームなどの対応が遅れたため終始2M2T編成での新製となった。ただし実際には700形最終増備車落成直後の1971年11月より神奈川新町~金沢文庫間で普通列車の一部を6両編成にしていた。
2M2T編成で特急車並みの定格速度のため、高速域での加速は良いが低速域での加速に難があり、かつブレーキ装置が不安定で京急本線の普通列車用としては使い辛くなっていた。高加減速性能は発揮できなくなってしまったが、それでも2.7km/h/sの起動加速度、4.0km/h/sの減速度を確保しており、600形(2代)よりも高性能であった。
1976~1980年の間はサハ770形を1両を外して2M1T編成で使用された。この時に外されたサハ770形は久里浜工場に留置されていたが、一部は旧1000形の編成に組み込まれた。だが、4扉の車両が混入する事で地下鉄乗り入れ規格を満たさなくなり、また加速性能を低下させる原因ともなったため該当編成はラッシュ時間帯および稀に昼間の快特に運用されたのみで、800形の増備と共に留置車も含めて再び4両固定編成化された。この当時の3両編成は空港線でも運用されていた。
[編集] 更新工事
1980年(昭和55年)から1988年(昭和63年)にかけて更新工事が行われた。主な内容は以下の通りである。
- 701~709編成は、運転室からの視認性の向上やデザイン性の改良のため、711編成以降と同様の前面窓配置となった。
- 内装についてはほとんど変更されていない。また、品川寄りのジャンパ栓受け跡は各編成に残っており、窓外の保護棒は吊り掛け車以外の他形式では冷房化された時点で撤去されたのに対し、700形は廃車されるまで取り外されることはなかった。
- 電気連結器付き密着連結器取り付け準備の実施。これは電気指令式ブレーキを装備する2000形や1500形で採用した密着連結器の使用実績を受け、既存の電磁直通ブレーキを装備する車両にも密着連結器を設置するためであり、その後一斉に密着自動連結器から密着連結器に交換した。
- 電子警笛の設置。
- 一部の編成に自動選択扉開閉スイッチ新設。
[編集] 運用末期
末期は主に大師線で運用されていた。本線では起動加速度が他形式に比べて劣る上に4扉構造で座席数が少ないこともあり日中の運用はきわめて少なく、予備車扱いにされることが多くなってきた。朝のラッシュ時には優等列車の運用にも使われていたが、維持が効かず2003年(平成15年)7月19日のダイヤ改正により、撤退した。
このようになった原因としては、1995年の快速特急最高120km/h運転実施に伴うダイヤ改正以降、150kW大出力モーターの希少性により部品調達が困難となり、当形式の検査費用が大幅に増大してしまったこと、加えて前後衝動が激しい、空転が著しい、羽田空港アクセス運用に使いにくいなどの理由から更なる延命工事も実施しづらい状況となった。そのため新車を導入するのが得策とされ、1998年(平成10年)から廃車が進み2005年11月27日に一般営業運転を終了した。最後まで運用したのは735・739・741編成であった。翌28日には大師線沿線の幼稚園・保育園児の貸し切り運転を最後に、全車両の営業運転を終了し、30日に車籍抹消され、形式消滅となった。
最後の白幕装備車は1999年廃車の729編成で、廃車後は1986年度までに冷房改造された36両と共に(黒幕車12両含む)譲渡・静態保存されずに解体された。
[編集] 譲渡先
1986年度までの冷房改造車36両は2100形の増備と普通列車、快速特急増発、大師線へ経年の若い車両の入線の流れで早い時期にに廃車解体されたが、2002年以降に廃車となった編成(729編成は除く)の先頭車は高松琴平電気鉄道へ譲渡され、1200形として使用されている。
[編集] その他
- 駆動装置2種混結車の705編成のうち、776号車は1996年に側面追突事故で一時期旧1000形廃車発生品の仮台車(OK-18)を使用していた。
- 2003年以降残存した32両は、蒲田付近の立体化工事(直接高架施工)への安全対策として下段窓は全開不可能とした。
- 前述したが初代羽田空港駅に入線した実績があるが、車両限界のためか、現・羽田空港駅への定期運用での入線実績はなかった。例外として、過去にダイヤ乱れでラッシュ時上り快特の折返し回送12両の内の4+4、8両を使用し入線した事例がある。
- 2006年時点でも739編成は静態保存か譲渡予定かどうかは不明だが、そのまま留置されている。735・741編成は琴電用に改造した。塗装は長尾線の路線カラーである緑色である。同線は16m級車体が限界だったが、線路改良を実施し18m級の車両を走行可能とした。これにより元・名古屋市交通局(名古屋市営地下鉄)の車両は志度線に転用し、残存する旧型車両を置き換える。
[編集] 参考文献
- 佐藤良介「京浜急行700形の足跡」 前・中・後編
- 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』2006年4~6月号 No.774~776
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