連絡運輸
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連絡運輸(れんらくうんゆ)とは、2社以上の鉄道会社線などを経由する旅客・貨物を運送する場合に、運送業者間において協議をした上で協定を結び、この協定に基づいて運送業務を行う事。ないしは、その協定を指す。
一般に、直通運転や相互乗り入れを行う会社間で行うのが通例であるが、乗換駅を挟んで相互に利用客が多い場合にもこの協定を結んでいる場合が多い。また、同一構内にホームなどを有さないが駅舎が近い等の理由で乗換駅として扱う場合がある。この場合も先の事例に倣う。徒歩連絡も参照のこと。
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[編集] 通過連絡運輸
A社~B社~A社という乗り継ぎが可能である場合に、前後2区間のA社線の営業キロを合算して1区間分の運賃を計算するように協定が結ばれている場合があり、この協定に基づく連絡運輸を通過連絡運輸(つうかれんらくうんゆ)という。
通過連絡運輸協定は、中間に関東・関西・福岡の他社線乗り入れがある地下鉄を挟む形での一部の区間や、伊勢鉄道など、旧国鉄・JR線を転換した第三セクター鉄道を挟んだ一部の区間で行われている。過去には中間に民間フェリー航路やバス路線を挟んだ区間もあった。基本的には連絡普通乗車券・連絡定期券のいずれも適用されるが、一方のみ適用と言う場合もある。
JR以外では、定期券のみ取扱いだが東京地下鉄と都営地下鉄の間の一部経路に同様の協定がある(東京地下鉄―都営―東京地下鉄、都営―東京地下鉄―都営の両方の設定がある)。また、名鉄瀬戸線についても類似の扱いがある(栄町駅~名鉄名古屋駅あるいは金山駅。ただし名鉄では中間の交通機関の乗車券については取り扱わないため、厳密な意味での通過連絡とは異なる。2006年12月16日から廃止)。
JRの連絡運輸の取扱い区間については、JRで発行している規定(赤い本なので、赤本などと呼ばれる)に掲載されている。
[編集] 通過連絡運輸の例
東日本旅客鉄道(JR東日本)常磐線亀有駅~取手駅までの区間などから、「東京地下鉄(東京メトロ)千代田線の北千住→西日暮里の区間」を経由して、東日本旅客鉄道山手線内の駅などまでの区間の運賃は、通過連絡運輸の特例が適用される。
- この場合だと、
- JRの「金町→北千住の営業キロ数」(6.6km)
- JRの「西日暮里→池袋駅の営業キロ数」(6.0km)
- を合算した営業キロ数(12.6km)で求めたJRの運賃 =210円
- 東京メトロの「北千住→西日暮里」の運賃 =160円
- を合算して370円ということになる。
- 適用区間は山手線内、赤羽線、東北本線(宇都宮線)大宮駅(京浜東北線・埼京線経由どちらも適用)、東海道本線横浜駅(西大井駅・新川崎駅はJRの運賃表には掲出されていないが、東京地下鉄の駅から西日暮里接続のJR線乗車券を発売している駅には掲出されている)根岸線関内駅、中央本線三鷹駅まで、常磐線側は前述の取手~亀有の他、武蔵野線新八柱駅~吉川駅までである。
他にも西船橋駅~中野駅経由でJR三鷹・高円寺間~東京地下鉄東西線~JR下総中山・千葉間および南船橋・千葉みなと間、渋谷駅~武蔵小杉駅経由でJR南武線~東急東横線~JR山手線内、新宿駅~登戸駅経由でJR南武線~小田急小田原線~JR山手線内、船橋駅~柏駅経由でJR総武線(津田沼方面)~東武野田線~JR常磐線(我孫子方面)などがある(いずれも、販売範囲は限定されている)。
通常、乗車券は事前に購入しないと適用されないことが多いが、改札駅の精算所で乗車券の変更が可能である場合もある(上記の西日暮里接続の例が該当)。
東京メトロの東西線および千代田線経由の通過連絡運輸の場合、あらかじめ通過連絡運輸の乗車券を購入しておくと、通過連絡運輸区間外の乗り越しであっても、東京近郊区間内であれば全区間を通過連絡運輸区間として計算できる。
[編集] 連絡乗車券
連絡運輸を行っている場合、乗車駅から降車駅までの各社の乗車券を1枚にまとめたものを発行することがある。これを連絡乗車券(れんらくじょうしゃけん)という。連絡乗車券は、原則として乗換駅を限定し、双方の運賃、料金の合算するが、特定の割引を行うものや、乗換駅を限定しないものがある。また、一部区間が複数社で重複する場合、特殊な計算をする場合がある。
通常、連絡運輸は鉄道会社から鉄道会社へが一般的だが、鉄道とりわけ国鉄が陸上交通において重要な位置を占めていた頃は、国鉄から私鉄のほかに、国鉄バス、民営バス、船舶会社へ(から)の連絡運輸が多数設定されていた。現在では精算の煩雑さから連絡運輸を解消する方向にあり、JRから他社鉄道へは乗り入れの問題もあり、まだ数多く設定されているが、バス、船舶会社との連絡運輸はわずかに残る程度である。
東京近郊の連絡運輸を行っている区間の場合、「Suica」などのプリペイド式乗車カードでは対応できないので、特に割引が設定さている場合には予め券売機、あるいは窓口で乗車駅から降車駅までの連絡乗車券を購入する必要がある(券売機では、乗車カードを利用しての乗車券購入も可能である)。この点については、PASMOの導入に際して解決されることが望まれよう。なお、直通運転などのために改札を通らない場合や、自動精算機で乗り継ぎ精算が可能である場合等は、精算時に対応可能な場合もある。
また、パスネット対応社局同士の場合の乗り継ぎ割引は自動的に適用されるが、改札を経由する必要がある場合は30分以内に乗り継がないと割引や乗り継ぎが打ち切られ、次回入場時には新たに運賃が差し引かれることになる。
[編集] 国際連絡運輸
連絡運輸には国内の鉄道各社相互間にとどまらず、他国の鉄道との間でもそれを行う場合がある。例えば欧州の場合、国際列車が各国間(多数またがる場合も多い)に多く設定されている為、必然的にそれが行われている。
日本の場合1988年(昭和63年)7月以降、韓国との間で「日韓共同きっぷ」が設定されている。JR6社の主要駅から、寝台特急・特急・新幹線などを使用して下関駅・博多駅までの乗車券と特急券、そこから釜山までの船舶の乗船券、そして釜山・慶州からソウルまでのKTX(韓国高速鉄道)の乗車券がセットされた、特別企画乗車券として設定・販売されているものである。
また太平洋戦争終結までは、日本各地から朝鮮・中国、そして欧州のローマ・ロンドンに至るまでの国際連絡運輸が行われており、それら各地への切符を主要駅で買う事ができた。
[編集] 戦前の国際連絡運輸の沿革
- 1910年(明治43年)4月 日本からロシアの東清鉄道への連絡運輸を開始。新橋、平沼(当時の横浜駅の代替駅。詳しくは横浜駅を参照)、大阪などの各駅から、まず列車で敦賀駅へ行き、そしてその近くの敦賀港から船舶でウラジオストクへ、そしてそこからハバロフスク・ハルビンなどへ行くものと、神戸・門司の駅へ行き、船舶で中国の大連へ、そしてハルビン・チチハルなどへ向かうものとの、二つのルートでの連絡乗車券が販売された。
- 1911年(明治44年)3月 シベリア鉄道を使用してモスクワ・サンクトペテルブルグなど、ロシア中心部への乗車券も販売開始。
- 1913年(大正2年)6月 ヨーロッパのアムステルダム・パリなど各地への乗車券の販売を開始。
- 1913年(大正2年)10月 朝鮮総督府鉄道・南満州鉄道経由で中国の北京・天津などへの連絡乗車券を販売開始。
- 1914年(大正3年)~1917年(大正6年)頃 第一次世界大戦・ロシア革命などの影響によって、欧州への連絡乗車券販売を中断。その後ソ連の成立した後も、シベリア出兵などがあり再開はしばらくされなかった。
- 1927年(昭和2年)8月 欧州への連絡乗車券販売を再開。
- 1939年(昭和14年)~1941年(昭和16年)頃 第二次世界大戦の勃発・激化によって、欧州への連絡乗車券販売を中止。
- 1945年(昭和20年)6月頃 太平洋戦争の戦況が極度に悪化し、朝鮮・中国への連絡が不可能になったため、同地への連絡乗車券販売も自然消滅した。
[編集] 戦前最盛期の日本からシベリア鉄道への経路
戦前から戦中にかけて日本~朝鮮・中国・欧州間の連絡輸送が活発に行われたが、日本から海を渡って大陸へ行き、そこからシベリア鉄道に乗り込んで欧州へ向かうには、さまざまなルートが存在していた。戦前、欧亜連絡輸送が最も盛んに行われた1934年(昭和9年)12月頃の、それらを示すと下記のようになる。
- 釜山・新京経由 まず山陽本線の下関駅へ行き、そこから鉄道省の運営していた関釜連絡船(下関~釜山間)で朝鮮の釜山へ向かう。そして朝鮮総督府鉄道と南満州鉄道で新京(現在の長春、当時満州国の首都であった。)、ハルビン、満州里(中国とロシアの国境)、チタ(ロシア)と経由してシベリア鉄道に接続するもの。
- 大連・新京経由 山陽本線の神戸駅または門司駅へ向かい、そこから大連への航路に乗り込む。大連からは南満州鉄道に乗り込み、あとは釜山経由と同じ経路でシベリア鉄道に接続するもの。
- 敦賀・ウラジオストク経由 北陸本線の敦賀港駅(汽船との接続を図るため、敦賀港の一角に設けられた駅。船舶の発着する時のみ旅客列車が入線した。)へ向かい、敦賀港からウラジオストクへの航路に乗る。そしてウラジオストクからシベリア鉄道に接続するもの。
これらの中では「釜山・新京経由」が欧州への最速のルートで、1934年(昭和9年)12月当時は東京駅を15時に特別急行列車「富士」で出発し、下関に翌日の9時30分に到着して接続する関釜航路が10時30分発、そして釜山に18時につき同地19時20分発の急行「ひかり」に乗りかえれば、新京には東京発3日目の21時に到着した。そこから先も乗り継いでいくと、モスクワ(ソ連)には東京を発って12日目の17時、ベルリン(ドイツ)には14日目の9時23分、パリ(フランス)には15日目の6時43分、ローマ(イタリア)には同日9時、ロンドン(イギリス)には同じ日の16時55分に到着する事ができた。(いずれも現地時刻)
なお1937年(昭和12年)1月当時、東京~ロンドン間は釜山・モスクワ・ベルリン経由で13,645kmで、その運賃は一等795円、二等560円、三等390円だった。ちなみに当時の銀行員の初任給は70円、時刻表の値段が25銭、コーヒー1杯が15銭程度だったという。
[編集] 戦前の国際連絡と日本の優等列車
戦前設定された特別急行列車・急行列車のなかには、国際連絡輸送に関わるものが多数存在した。代表的なのは特急「富士」と急行7・8列車で、両列車とも東京駅~下関駅間を運転し、前述した釜山への航路に接続していた。そのためこの両列車には、他の列車より優れた設備(一等展望車・洋食堂車など)がなされていた。また東京駅~敦賀港駅間にも、同じく前述したウラジオストクへの航路が運行される日には、臨時列車が運転されていた。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- JR 連絡運輸 取扱会社線一覧表
- 首都圏の通過連絡運輸取り扱い区間
- 関西圏の通過連絡運輸取り扱い区間
- 福岡市営地下鉄料金制度(地下鉄を介した筑肥線・西唐津~姪浜間とJR九州他駅との通過連絡あり)
- きっぷ展示室 - 連絡運輸の乗車券の部
- 百年の鉄道旅行(欧亜連絡など)
- 20世紀時刻表歴史館(欧亜連絡など)
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