佐賀県立佐賀西高等学校
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佐賀県立佐賀西高等学校 | |
過去の名称 | 佐賀変則中学校 佐賀県佐賀中学校 佐賀県立佐賀中学校 佐賀県立佐賀第一高等学校 佐賀県立佐賀高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校(県立) |
設置者 | 佐賀県(教育委員会) |
併合学校 | (1949年(昭和24年)に統合) 佐賀県立佐賀第二高等学校 佐賀市立成美高等学校 |
分離学校 | (1963年(昭和38年)に分離) 佐賀県立佐賀西高等学校 佐賀県立佐賀北高等学校 佐賀県立佐賀東高等学校 |
設立年 | 1876年(明治9年) (佐賀変則中学校として開校) |
校訓 | 伝統的校風「質実剛健」 校是「鍛身養志」 |
教育方針 | |
創立年 | 天明元年(1781年) (佐賀藩校弘道館を創設) |
創立者 | 鍋島治茂(佐賀藩第八代藩主) 古賀精里(儒学者) |
共学・別学 | 男女共学 |
中高一貫教育 | 併設型連携型ともになし |
分校 | なし |
課程 | 全日制 |
単位制・学年制 | 学年制 |
学科 | 普通科 |
所在地・連絡先 | |
所在地 | 〒840-0041 |
佐賀県佐賀市城内1丁目4番25号 | |
電話番号 | 0952-24-4331 |
FAX番号 | 0952-25-7041 |
外部リンク | 佐賀西高ホームページ |
佐賀県立佐賀西高等学校(さがけんりつさがにしこうとうがっこう)は全日制普通科を設置する佐賀県佐賀市城内にある共学の県立高等学校。
佐賀駅から徒歩で25分、佐賀県庁、佐賀大学(附属中、小も含む)等が近隣にあり、県内随一の文京エリアにある。県内の公立高校では、一番偏差値が高い。
校歌は作詞 高田保馬、作曲 清水脩であり、その歌い出しは「楠の青葉を 吹きならし」である。
目次 |
[編集] 概要
男女共学。旧制佐賀中以来の伝統を汲む進学校であり、佐賀県の公立校ではナンバーワンとされる。また、各種部活動も盛んであり、大会等でも優秀な成績も残す(後述)。文武両道を目標の一つに掲げている。入学当初8クラス、1学年320人。現在は普通科のみ(過去に定時制もあった)。教職員達の教育に対する熱心さはまさに県下ナンバーワンとも言えるだろう。受験体制もしっかりとしている。入学後から飛躍する生徒も少なくはない。進路を見据えての明確なビジョンを形成するため、職場体験活動や将来についての総合学習も充実してきている。
[編集] 沿革
[編集] 経緯
佐賀県立佐賀西高等学校は、佐賀藩校弘道館の流れを汲み、弘道館跡に佐賀変則中学校として復活・開校した。 3回の改称と移転を経た佐賀県立佐賀第一高等学校が1949年に佐賀県立佐賀第二高等学校(旧佐賀高等女学校)、佐賀市立成美高等学校(旧成美高等女学校)と統合し、佐賀県立佐賀高等学校が発足した。 佐賀高等学校は1963年に3校に分離し、佐賀北高等学校、佐賀東高等学校とともに佐賀県立佐賀西高等学校が発足した。
[編集] 年表
- 1781年(天明元年) - 佐賀藩第八代藩主鍋島治茂が古賀精里(儒学者)に命じ藩校弘道館を創設する。
- 1872年(明治5年) - 明治新政府の学制改革により弘道館廃止。
- 1874年(明治7年) - 弘道館の初等教育部が、勧興小学校として復活・開校。
- 1876年(明治9年) - 弘道館の中等教育部が、弘道館跡に佐賀変則中学校として復活・開校。
- 1883年(明治16年) - 佐賀県佐賀中学校と改称。
- 1895年(明治28年) - 弘道館跡にあった校舎を旧佐賀城内南西地区に移転。
- 1901年(明治34年) - 佐賀県立佐賀中学校と改称。佐賀県立佐賀高等女学校が開校。私立成美高等女学校が開校。
- 1920年(大正9年) - 私立成美高等女学校を佐賀市に移管、佐賀市立成美高等女学校と改称。
- 1948年(昭和23年) - 学制改革で佐賀第一高等学校と改称。
- 1949年(昭和24年) - 佐賀県立佐賀第一高等学校、佐賀県立佐賀第二高等学校(旧佐賀高等女学校)、佐賀市立成美高等学校(旧成美高等女学校)の3校が統合。佐賀県立佐賀高等学校が発足。
- 1963年(昭和38年) - 佐賀県立佐賀西高等学校、佐賀北高等学校、佐賀東高等学校の3校が発足。
- 1976年(昭和51年) - 創立100周年記念式典。
[編集] 近況と展望
[編集] 近年の様子
"文武両道"などといった、華やかな看板もある一面、ここ数年では"文武二(もしくは三)極化"と呼ばれる現象が起きている。これは、"文"を担う勉強組と、部活面で実績をあげる"武"を担う組に成績面において相当分かれてしまう現象であり、実際に職員も自覚しているようだ。無論"文武両道"を実践できている生徒がいないという訳ではない。そもそもこれは、入試問題の難易度の低下によって、中途半端な学力にも拘らず同校を志望する生徒が急増してしまうからと推測される。そのため、倍率1.5倍近くに達することもある。不合格の生徒の得点が合格した生徒に提示された筆記試験の得点にいくら勝っていても内申上の考慮をされるので、不合格になることがあり、ある一定の得点に達していない場合結果は筆記試験の得点だけでは判断できないようである。いずれにせよ、内申点が合否において非常に重要であることがわかっている。「面接で不合格になることはない」というのは俗説か。
[編集] これからの展望
毎年度3回行われる県下一斉模擬試験(2年生の1月から国数英理社、それまでは国数英のみ)では近頃、一定の目安とされる500位以内に入る佐賀西高の生徒が減りつつある。一方、'文'を担う、上位集団は依然優秀であり、東京大学にも数々の合格者、九州屈指の名門校、九州大学には例年50人近く合格している。今後の課題といえば、'武'として入った部活集団の学問に対する覇気と'文'として入った生徒との覇気の隔たりをいかに解消できるかであろう。
毎年東京大学をはじめとする難関校や医歯薬学部へ進学者を輩出しており、さらに様々な方面で活躍する卒業生も多い。
[編集] 教育組織
- 現在は全日制課程の普通科のみである。
[編集] 変遷
- 1949年に3校が統合して佐賀高等学校が発足した際に定時制及び通信制を併置した。
- 1963年に佐賀北高と佐賀東高との分離で佐賀西高等学校が発足した際に、佐賀高等学校通信制を廃止。佐賀北高通信制に併合した。
- 1995年に定時制を閉じた。
[編集] 教育方針
[編集] 校風
質実剛健、鍛身養志、事上磨練、文武両道を掲げる。
-
- 熱き心 (若々しい情熱)
- 寛き心 (思いやりの心)
- 毅き心 (チャレンジ精神)
を重点目標としている。
また、以下の生活目標を掲げている。
-
- 剛健たれ 身も心も
- 誠実たれ 内にも外にも
- 覇気をもて 理想に燃えて
- 礼儀を守れ 上にも下にも
- 勉学に徹せよ 耐えることなく
[編集] 特色
- ほぼ全員が大学進学を希望する。現役合格者はおおよそ6割半。
- 火曜日に決まってテストがある。
- 全学年とも、早朝補習(7:50~8:30)を実施している。(1、2年生には火曜に確認テストを行う。)
- 平成17年には東京大学に7名合格(浪人含む)
- 佐賀県出身の大隈重信が創立したからか(?)早稲田大学への指定校推薦枠が多い。
[編集] 学校行事
- 校内読書会
- 職場訪問
- キャンパス巡り
- 西高祭(前夜祭(ファイヤーストーム)、文化祭、体育祭)
- ファイヤーストームは1949年(昭和24年)に学園祭の前夜祭として実施され、現在まで受け継がれている。
- 百人一首大会
[編集] 生徒会活動・部活動など
各種部活動が盛んであり、大会等でも優秀な成績も残す。特に野球部の活躍はめざましい。近頃では春の選抜高校野球において補欠候補までなっている。なお野球部は、2006年夏の県大会では、18年ぶりに決勝まで進むも、佐賀商業高に惜敗し、佐賀高以来、48年ぶりとも言われる甲子園出場はならなかった。なお、弓道部は平成元年度の全国高等学校選抜大会で全国優勝(団体)、平成17年度の佐賀県弓道新人戦大会で佐賀県優勝(男子団体)を果たしている。
[編集] 交通・通学手段
[編集] 備考
[編集] 主な指定校推薦
- 公式HP等より
[編集] 学費等
- 入学時:112,000円
- 授業料等:207,600円
[編集] 編・転入学について
一家転住によって佐賀西高の通学区域に居住するようになった者しか受け付けない。また、在学校における教科・科目の履修単位が佐賀西高のものとほぼ合致する者。以上の資格を満たした者が試験を受けることができ、その上で判断される。
[編集] 著名な関係者
[編集] 出身者
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- 公人
- 陣内孝雄(政治家、1952年に佐賀高等学校卒業) - 自民党、参議院議員(佐賀県選挙区選出)
- 坂井隆憲(政治家、1966年卒業) - 元衆議院議員、元内閣府副大臣、元大蔵省官僚
- 原口一博(政治家、1978年卒業) - 民主党、衆議院議員(比例九州ブロック選出)
- 大串博志(政治家、1984年卒業) - 民主党、衆議院議員(比例九州ブロック選出)
- 福岡資麿(政治家、1992年卒業) - 自民党、衆議院議員(佐賀1区選出)
- 水町袈裟六(官僚、大蔵次官、大蔵省出身、旧制県立佐賀中学校卒業)
- 北島謙次郎(官僚、拓務次官、大蔵省出身、旧制県立佐賀中学校卒業)
- 太田一郎(官僚、外務事務次官、外務省出身、旧制県立佐賀中学校卒業)
- 西久保弘直(官僚、警視総監、内務省出身、旧制県立佐賀中学校卒業)
- 副島千八(官僚、農林大臣、商工省商務局長、旧制県立佐賀中学校卒業 / 郁文館中学へ転校)
- 古川貞二郎(官僚、内閣官房副長官(事務)、佐賀高等学校卒業)
- 西久保豊成(陸軍軍人、旧制県立佐賀中学校卒業)
- 真崎甚三郎(陸軍軍人、旧制県立佐賀中学校卒業)
- 牟田口廉也(陸軍軍人、旧制県立佐賀中学校卒業)
- 辰巳栄一(陸軍軍人、偕行社会長、旧制県立佐賀中学校卒業)
- 大島駿(陸軍軍人、毒ガス兵器の開発者、旧制県立佐賀中学校卒業)
- 江頭安太郎(海軍軍人、旧制県立佐賀中学校卒業)
- 安保清種(海軍軍人、旧制県立佐賀中学校卒業)
- 百武源吾(海軍軍人、旧制県立佐賀中学校卒業)
- 百武三郎(海軍軍人、旧制県立佐賀中学校卒業)
- 古賀峯一(海軍軍人、旧制県立佐賀中学校卒業)
- 吉田善吾(海軍軍人、旧制県立佐賀中学校卒業)
- 城島高次(海軍軍人、旧制県立佐賀中学校卒業)
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- 文化人
- 高田保馬(経済学者・理論社会学者・歌人、1903年に旧制佐賀中学校卒業) - 文化功労者。元京都帝国大学名誉教授。佐賀西高等学校校歌の作詞者でもある。
- 栗林義信(声楽家、佐賀高等学校から転出。1952年卒業予定であった) - 都立大泉高へ転出。東京音楽大学教授。
- 塚本猪一郎(画家、1978年卒業)
- 下村湖人(作家、1903年に旧制佐賀中学校卒業) - 中学教師や、校長を歴任。『次郎物語』を執筆。
- 小沢章友(作家、1968年卒業)
- 針すなお(漫画家、1951年に佐賀高等学校卒業)
- 西村雄一郎(映画評論家、1970年卒業)
- 内山俊哉(アナウンサー、1982年卒業) - NHK
- 西岡孝洋(アナウンサー、1994年卒業) - フジテレビ
- 鶴丸英樹(アナウンサー) - サガテレビ
- 下村治(大蔵省官僚・日銀政策委員 / 「所得倍増計画」発案者)
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- 芸能人
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- スポーツ選手
- 伊丹安廣(野球選手、旧制佐賀中学校卒業)- 東京六大学野球・早大選手。大正15年春のリーグ戦首位打者。明治神宮外苑長、野球殿堂。
- 永淵洋三(元プロ野球選手、1961年に佐賀高等学校卒業)
- 渡辺正和(元プロ野球選手、1985年卒業)
- 永尾泰憲(元プロ野球選手、1994年卒業)
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- その他
- 土井定包(旧制佐賀中学校卒業) - 大和証券社長・会長を歴任
- 増田信行(1952年に佐賀高等学校卒業) - 元三菱重工業社長、会長、相談役
- 川内通康(1954年に佐賀高等学校卒業) - ニッポン放送取締役会長
- 指山弘養(1958年に佐賀高等学校卒業) - 佐賀銀行頭取
- 山口節生(不動産鑑定士、1968年卒業) - ニューディールの会代表
- 定松勝幸(予備校講師) - 代々木ゼミナール数学科講師
- なかむら芳美(ヌードモデル) - 東京大学理科2類~医学部在学中にヌードを雑誌「週刊現代」に披露。
[編集] 教職員
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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