個性
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個性(こせい)とは、個人を個人たらしめる特徴である。
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[編集] 概要
日本では往々にして肯定的な意味で用いられるが、本来は存在する上での差異を指して居るだけに、必ずしも有益であったりするものばかりではない。近年では、身体障害者の身体的特徴や精神障害者の症状をも、その人の個性であるという考え方も生まれている。いずれにせよ、たとえ客観的には不自由を強いる特徴であっても、それがその人らしさを形成する上で、必要不可欠な要素と成って居るのであれば、立派に個性の一端と呼ぶ事が出来る。
広義では工業製品などの大量生産品であっても、他社製品とは違う機能やデザインをしている事を指して個性的であると表現する事もある。画一的な工業製品から逸脱したデザイナーズ・ブランドに顕著な傾向ではあるが、中には奇を衒い過ぎて、本来の機能が損なわれている場合もある。シンプルで余計な附加価値を持たない製品が、近年の多機能化傾向の強い風潮の中で、逆に個性的とされる皮肉な逆転現象も起こっている。
また、近年では個性を大切にしようとする風潮がある。
[編集] 近年
個性を大切にして、個人個人の性質を最大限に生かそうという考え方が一般的になってきたが、日本などでは場の空気を読めない人間(不思議ちゃんなど)は周囲から嫌われる傾向が強く、周囲との協調性を損なわない範囲で、個性が重視される。
ただ、単に「人とは違う」という面のみを持って尊重されるとは限らない。例えば「他の人ならまずやらない」ような不快な癖を平気で披露する者や、あるいは年甲斐も無く異なる年齢層向け・性別向けの商品・サービスを好む傾向や、あるいは外見とマッチしない趣味・嗜好を持っている、かつそれを隠そうとすらしない者への風当たりは厳しい事も少なくない(→おたく)。
単に珍奇・珍妙であるのか、個性的だと評価されうるのかは、当事者の価値観にも拠るところではあるが、少なくとも評価の可否にはマナーや道徳・あるいは極大なものでは人道といった社会的価値観にもからみ、一定の傾向も見られる。その点で「他人がそれをしていない」と言う行為・行動・傾向が、「能力的に出来ないのでしていない」のか「価値観に沿わないから出来るけどしていない」のかは大きな違いを含むといえよう。特に個性の発露となりやすい趣味やファッションという分野は、他人が個性を評価する上で注目されやすい要素でもある(→脱オタク)。
[編集] 考察
全体主義的な社会では、個性とは不要か、むしろ害に成ると云ってもいい概念である。しかし個性を認め得ない社会は、アリなどの昆虫の群れに等しく、変化や発展に限界が存在する。というよりは、完璧に個性をなくし、全体化した状態の社会にそもそも変化など生まれるはずがない。社会学的に見れば、常に変化は個人から集団に伝播し、やがては大きな革新へと発展する。つまり、個性がありすぎれば社会の維持にとって害になるが、個性がなければ社会の進展もありえない。
個人が個人である必要が無いのであれば、往々にして個人の価値は、消耗品以上には成り得ない。欠損した故人の椅子に、誰か代わりを持って来れば、集団のうちに何割かが稼動できれば良い、という状態を維持できるわけで、人命は極めて軽んじられる。