天然色活動写真
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天然色活動映画株式会社(てんねんしょくかつどうえいがかぶしきがいしゃ、略称・天活)は、大正期に存在した映画制作会社。
1914年3月に、東京の小林喜三郎の「常盤商会」と大阪の山川吉太郎の「東洋商会」が協力して創立した。金子圭介を社長とし、東洋商会の東京日暮里撮影所と、新築した大阪郊外の小阪撮影所(現在の東大阪市河内小阪駅付近)を使った。吉野二郎監督が撮影所長を勤め、枝正義郎が撮影主任だった。沢村四郎五郎、市川莚十郎の人気コンビによる忍術映画などが人気を博した。また、かけだしの阪東妻三郎もいた。日本で初めて「カラー映画」を製作したが、採算が合わず、撤退した。1919年には西巣鴨に撮影所を開設するものの、同年、小林喜三郎が創立した「国際活映株式会社(略称・国活)」に買収される形で消滅した。山川吉太郎は大阪支社と小阪撮影所を「帝国キネマ演芸株式会社」に改組した。
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