尾崎行雄 (野球)
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尾崎 行雄(おざき ゆきお、1944年9月11日 - )は、1960年代に活躍したプロ野球選手(投手)。大阪府泉大津市出身。同姓同名の政治家、尾崎行雄にあやかって名付けられた。
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[編集] 来歴・人物
1961年、浪商高(現・大阪体育大学浪商高)2年時の夏の甲子園で優勝投手となり、怪童と呼ばれた。前年夏の甲子園から三度にわたる法政大学第二高等学校の柴田勲との対決は名勝負として知られる。2年で高校を中退して、当時としては破格の契約金6000万で東映フライヤーズに入団。背番号は19。1年目の1962年には17歳ながら20勝9敗、防御率2.42の成績で新人王を獲得した。1964年から1966年まで3年連続で20勝を記録し、1965年には27勝を挙げて最多勝を獲得。以降は酷使されたことが影響して、肩を痛めて不振に陥った。1973年に29歳で現役を引退。
引退後はレストランを経営した後、スポーツ関係の会社に勤務。少年野球の指導を行っているほか、マスターズリーグの東京ドリームスに参加している。非常に球の速かった投手で、球種のほとんどがストレートであった。プロ野球史上における速球投手の話題では、必ずと言ってよいほど名前が挙がる選手である。現在のスピードガンで計算すると160kmを越すという説が多々ある。
[編集] 通算成績
- 364試合 107勝 83敗 73完投 21完封 1548.2投球回 1010奪三振 防御率2.70
[編集] タイトル・表彰
- 新人王(1962年)
- 最多勝1回(1965年)
- ベストナイン1回(1965年)
- 最多奪三振2回(1964年、1965年)