岡崎令治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
岡崎 令治(おかざき れいじ、男性、1930年10月8日 - 1975年8月1日)は、日本の分子生物学者。広島市白島(現中区白島)出身。生きていればノーベル賞は確実だったろう、といわれる日本の分子生物学のパイオニア。
広島高等師範付属中(現広島大学附属中学校)2年の時、原子爆弾の黒い雨を浴びた。その後、岩国中学、第五高等学校を経て、1953年名古屋大学理学部生物学科卒業。発生生物学者山田常雄教授のもとでオーガナイザーについて研究。
1960年、ワシントン大学(セントルイス)のストロミンジャー、コーンバーグのもとに留学。スタンフォード大学を経て、1963年、名古屋大学理学部化学教室の鈴木旺教授の講座の助教授として帰国。
1966年、DNAの合成前駆体である短断片(岡崎フラグメント)を発見し、Proc. Natl Acad. Sci USA誌、ならびにコールドスプリングハーバーシンポジウムで発表する。1967年、同分子生物学研究施設教授。1972年、岡崎フラグメント間をつなぐRNAを見いだし、DNA非連続合成のモデルを完成させた。
1975年、広島での被爆が原因の慢性骨髄性白血病で米国旅行中に44才で急逝した。その後、夫人の岡崎恒子名古屋大学教授(現・藤田保健衛生大学)により研究は引き継がれた。 分子生物学の教科書なら必ず記載されている岡崎フラグメントの研究は、日本の分子生物学の金字塔であると言われる。「何が「essential」か,そして「essential」なことを解析するためにはどのような決定的実験をやるべきか。」の名言が残されている。