広島大学附属中学校・高等学校
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広島大学附属中学校・高等学校(ひろしまだいがくふぞく ちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、広島県広島市南区にある国立中学校・高等学校である。
広島大学系列の中高一貫教育が行われている。1948年と1954年には全国高等学校サッカー選手権大会で優勝している。2005年に創立100周年を迎え、記念行事などが開催された。かつてからの名門校として知られ、広島県内トップクラスの進学実績を誇っている。毎年東京大学・京都大学・国公立医学部など難関大学に多数合格を果たしている。 またスーパーサイエンスハイスクール(SSH)に指定され、広島大学や他大学と連携した高度な研究が行われたり、多くの講演が行われたりと積極的な活動がなされている。 勉学のみではなく全人教育を目指しており、多くの活動が行われている。 校風は自由・自主・自律。生徒が主体となって行事が行われるため、責任感と自主精神が根付いている。
又卒業生の会は「アカシア会」と呼ばれ、全国の主要都市圏に支部がある。世代を超えて非常に固い結束で結ばれており、活動が盛んである。(地元広島では毎月17日に例会が開催されている。)
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[編集] 所在地
〒734-0005 広島市南区翠1丁目1番1号 (住居表示実施前は皆実町3丁目;現在でも通称としてOBなどから「皆実(みなみ)」と呼ばれることがある)
[編集] 沿革
- 1905年 - 3月、広島高等師範学校附属中学校(生徒定員350名、10学級)の設置認可。
- 1905年 - 4月17日、第一回入学式(広島高等師範学校講堂、74名)、生徒訓条4か条・校章制定。(以後、この日を開校記念日とする。
- 1905年 - 4月18日、旧土木監督署(広島市千田町)を仮校舎として授業開始。
- 1905年 - 9月、教育実習を開始
- 1905年 - 12月、附属中学校新校舎(広島高等師範学校構内)に移転。
- 1915年 - 7月10日、創立10周年記念誌『十かえりの花』を刊行。
- 1920年 - 11月3日、中等教育研究会を創立し、第一回を開催。
- 1923年 - 3月1日、父兄団の設立。
- 1925年 - 5月24日、創立20周年記念誌『旭光』を刊行。
- 1930年 - 5月18日、創立25周年記念誌『二十五年史』を刊行。
- 1930年 - 10月25日、創立25周年記念誌史『飛龍』を刊行。
- 1932年 - 7月7日、中等教育研究会『中等教育の実際』を刊行。(1940年11月、時局下第29号をもって休刊。)
- 1942年 - 3月、3学級併進(定員525名)の認可。
- 1945年 - 1月、科学学級(1,2,3年各1学級)の編成。
- 1945年 - 4月、3年生以上、通年動員に出動。
- 1945年 - 7月、1,2年生、科学学級3年生以下、広島県賀茂郡原村、比婆郡東城町などに疎開。
- 1945年 - 8月6日、原爆投下により全校舎を焼失、教職員や生徒に多数の犠牲者。
- 1945年 - 9月、広島県賀茂郡原村、豊田郡戸野村などにおいて授業再開。
- 1947年 - 1月、全校、広島市の旧校地に復帰。
- 1948年 - 3月17日、新制中学校第1回卒業式。
- 1948年 - 第26回全国高等学校サッカー選手権大会優勝
- 1949年 - 3月8日、新制高等学校第1回卒業式。自署名簿制度を設立。(~現在)
- 1949年 - 広島大学広島高等師範学校附属中学校・同高等学校と改称。
- 1952年 - 広島大学教育学部附属東千田中学校・同高等学校と改称。
- 1953年 - ユネスコ教育実験学校に指定される。
- 1954年 - 第32回全国高校サッカー選手権大会優勝
- 1955年 - 広島大学教育学部附属中学校・同高等学校と改称。
- 1959年 - 第37回全国高校サッカー選手権大会準優勝
- 1961年 - 現在地(旧制広島高等学校跡地で、広島大学の教養部校地として使われていた)に移転。
- 1970年 - 新校舎・体育館の落成式を挙行。
- 1978年 - 広島大学附属中学校・高等学校と改称。
- 1998年 - 8月、軟式野球班、第43回全国高等学校軟式野球選手権大会出場。ベスト8進出。
- 1998年 - 10月、軟式野球班、第53回国民体育大会(神奈川)出場。
- 2003年 - スーパーサイエンスハイスクールに指定される。
- 2005年 - 創立100周年記念式典を挙行。
[編集] 校風
高等学校の校訓は以下の通りである。
1. 創造を旨とし、気魄(きはく)と情熱に燃えよ
2. 一意専心、学道に精励せよ
3. 明朗闊達、品位ある学徒たれ
また、中学校の校訓は以下の通りである。
1. 真剣な学習
2. 信愛の精神
3. 強健な身体
校章は菊の花をデザインにしたものとされている。詳細は、制定当時の文献が残存していないために分かっていないのだが、一説によると、広島高等師範高等学校が成立したときに、東京高等師範学校の「桐」のデザインに対して「菊」に定められたと言われている。広島大学附属高等学校はこの菊のデザインを引き継ぎこれに定めたが、当時皇室に対する敬意を表すために菊と解釈することを避け、代わりに形の似ている「旭日」と言い習わしてきたという。
[編集] 部活動
生徒会所属クラブを以下に示す。毎年4月と10月に監査局(生徒会に所属する機構の一)に資格認定を受けなければ活動ができないことになっている。なお、伝統的に、クラブを(一般的な「部」ではなく)「班」と称する。(まず運動部と文化部に分かれ、それぞれの下に班が置かれる) (1)運動部・・・サッカー班、バスケットボール班、テニス班、卓球班、山岳班、バレーボール班、軟式野球班、剣道班、アーチェリー班、陸上競技班、バドミントン班 (2)文化部・・・管弦楽班、合唱班、茶道班、ユネスコ班、美術班、生物研究班、光画班、数学研究班、棋道班、マイクロワールド班、書道班、調理同好会、映画研究同好会 ※光画・・・写真、マイクロワールド・・・パソコン、コンピュータ関係 そのうち中学校では合唱班、管弦楽班、マイクロワールド班、書道班、調理班、サッカー班、バスケットボール班、テニス班、卓球班、野球班、バレーボール班、剣道班が活動している。
[編集] 体育祭
体育祭がさかんなことでも知られる。 壮大なスケールで行われ、白軍・赤軍それぞれにやぐらを組み、城を模したものをつくる。 その前を大道具(祭りの山車のようなもの)が行進する。 特に赤・白に分かれてのマスゲームは見物である。
[編集] 著名な出身者
- 中井正一(美学者)
- 永野重雄(新日本製鐵初代会長、元日本商工会議所会頭)
- 桜田武(元日清紡績社長、元日経連会長)
- 阿川弘之(作家)
- 橋川文三(政治学者、評論家)
- 山口信夫(日本商工会議所会頭)
- 長沼健(元日本サッカー協会会長、現最高顧問)
- 岡崎令治(分子生物学者)
- 牛島信(弁護士、作家)
- 佐々江賢一郎(外務省アジア大洋州局長)
- 鬼武健二(Jリーグチェアマン)
- 小城得達(元サッカー選手、指導者。サッカー殿堂入り)
- 的川泰宣(宇宙航空研究開発機構執行役、宇宙工学者)
- 頼近美津子(コンサートプランナー、元NHKアナウンサー)
- 寺田稔(衆議院議員)
- 溝手顕正(国家公安委員会委員長、防災担当特命大臣、参議院議員、元三原市長)
- 野坂康夫(米子市長)
- 糀場富美子(作曲家)
- 長谷部恭男(東京大学法学部教授、憲法学者)
- 大下容子(テレビ朝日アナウンサー)
- 佐々木雄彦(秋田大学医学部教授、生命科学者)
- 松本薫(能楽師)
- 観山正見(国立天文台台長 天文学者)
- 渡辺英寿(自治医科大学医学部教授、医学者)
- 原民喜(小説家・詩人)
- 喜久川政樹(ウィルコム代表取締役)