布駅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
布駅(ぬのえき)は、広島市安佐北区安佐町飯室に存在した西日本旅客鉄道(JR可部線)の駅(廃駅)。
広島市中心部への原子爆弾投下(1945年8月6日)や終戦(1945年8月15日)からまだ1年しか経っていない1946年8月15日に安芸飯室~布間が開通した際に開設されたが、JR可部線非電化区間(可部~三段峡間、延長46.2km)の廃止に伴い、2003年12月1日に廃駅となった。
目次 |
[編集] 駅名の由来
- 駅付近の小字から。
[編集] 駅の様子
- 駅は無人駅。
- プラットホームは相対式2面2線だったが、ある時期から利用者減少により上り線(北側)の線路は撤去され、下り線(南側)の線路とプラットホームのみ使用されていた。
- プラットホームに大きな鉄骨のスレート屋根があることや終着駅だったことがあることから、以前は駅舎があったものと思われる(自転車置き場付近?)が、末期には失われていた。
- 更に屋根の下には待合室もあったが、廃止前にはなくなっていた。
[編集] 駅の周辺
- 駅前には自転車置き場と未舗装の駅前広場があった。
- 駅のすぐ南側を国道191号が通っていた。
- 国道191号の南側には太田川が流れている。
- 駅から国道191号を広島方面に少し行ったところにある大川橋(広島県道38号広島豊平線になっている)で対岸の広島市安佐北区安佐町久地に渡ることができる。
[編集] 沿革
- 1946年(昭和21年)8月15日 終戦のちょうど1年後のこの日、国鉄(当時)可部線・安芸飯室~布間が開通する。戦争激化による工事中断までにかなりの部分が完成していたことが、戦後の混乱期にも拘らず開通できた要因ではないかと思われる。当時は終着駅で、所在地表示は広島県安佐郡飯室村であった。
- 1954年(昭和29年)3月30日 布~加計間が開通し、終着駅としての役割を加計駅に明け渡す。
- 1955年(昭和30年)3月31日 飯室・小河内・久地・鈴張・日浦各村が対等合併して安佐町が成立したことに伴い、所在地表示が広島県安佐郡安佐町飯室に変更される。
- 1971年(昭和46年)5月20日 安佐町が広島市に編入されたことに伴い、所在地表示が広島市安佐町飯室に変更される。
- 1973年(昭和48年)広島市内の駅に編入される。
- 1980年(昭和55年)4月1日 広島市が政令指定都市に移行したことに伴い、所在地表示が広島市安佐北区安佐町飯室に変更される。
- 1987年(昭和62年)4月1日 国鉄の分割・民営化により可部線がJR西日本の路線に移行する。
- 2003年(平成15年)12月1日 JR可部線・可部~三段峡間が廃止され、布駅も57年の歴史に終止符を打つ。