広西チワン族自治区
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広西チワン族自治区(こうせい/コワンシー-チワンぞくじちく、簡体字:广西壮族自治区,漢語ピンイン:Guǎngxī Zhuàngzú zìzhìqū, チワン語:Gvangjsih Bouxcuengh Swcigih クヴァンスィー・ポウシューン・スーシーキー)は中華人民共和国南部の省級自治区。中国最大の少数民族タイ系チワン族の原住地。首府は南寧市。かつての広西省(こうせいしょう)。
広西チワン族自治区 | |
略称:桂 | |
省都 | 南寧 |
面積 - 総面積 - 面積/総面積(%) - 水域面積(%) |
第9位 236,300 km2 2.46% xx% |
人口 - 総人口 (2001年度) - 人口/総人口(%) - 人口密度 |
第11位 47,880,000 3.75% 203/km2 |
省内総生産 - 総額 (2002年) - 省内総生産/GDP% - 一人あたりの生産額 |
第17位 2,437.22億人民元 2.38% 5062人民元 |
行政種別 | 自治区 |
|
中華人民共和国 |
主な出来事 人物 理念 統治機構 |
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目次 |
[編集] 地理
西は雲南省、北は貴州省、湖南省、東は広東省と接し、南はトンキン湾に面する。南西はベトナムと国境を接する。
亜熱帯性気候で、二期作、三期作が可能である。
著名な観光地桂林が東北部に所在する。
[編集] 民族
- 漢族人口約3,000万人
- チワン族(壮族)人口約1,500万人
[編集] 行政
- 自治区主席 陸兵
- 行政区域は14の区級市からなる。
- 南寧市 興寧区、新城区、城北区、江南区、永新区、邕寧県、武鳴県、横県、賓陽県、上林県、隆安県、馬山県
- 柳州市 城中区、魚峰区、柳南区、柳北区、柳江県、柳城県、鹿寨県、融安県、三江侗族自治県、融水苗族自治県
- 桂林市 秀峰区、畳彩区、象山区、七星区、雁山区、陽朔県、臨桂県、霊川県、全州県、興安県、永福県、灌陽県、竜勝各族自治県、資源県、平楽県、茘浦県、恭城瑶族自治県
- 梧州市 万秀区、蝶山区、長洲区、蒼梧県、藤県、蒙山県、岑溪市
- 北海市 海城区、銀海区、鉄山港区、合浦県
- 防城港市 港口区、防城区、上思県、東興市
- 欽州市 欽南区、欽北区、霊山県、浦北県
- 貴港市 港北区、港南区、覃塘区、平南県、桂平市
- 玉林市 玉州区、福錦区、容県、陸川県、博白県、興業県、北流市
- 百色市 右江区、田陽県、田東県]、平果県、徳保県、靖西県、那坡県、凌雲県、楽業県、田林県、隆林各族自治県、西林県
- 賀州市 八歩区、昭平県、鐘山県、富川瑶族自治県
- 河池市 金城江区、羅城モーラオ族自治県、環江毛南族自治県、南丹県、天峨県、鳳山県、東蘭県、巴馬瑶族自治県、都安瑶族自治県、大化瑶族自治県、宜州市
- 来賓市 興賓区、象州県、武宣県、金秀瑶族自治県、忻城県、合山市
- 崇左市 江州区、扶綏県、大新県、天等県、寧明県、竜州県、凭祥市
[編集] 経済
広東省の製造部門 広州市から高速道路で数時間 大型港湾を複数保有する、沿海地域 ベトナムに隣接
[編集] 農業
サトウキビ、漢方薬材 サトウキビから作る砂糖は全国の60%のシェア
[編集] 工業
自治区政府は自動車部品産業振興に重点を置き、柳州に部品生産基地を開発中
[編集] 外資投資
広西統計年鑑(2004年)によると、香港企業による投資が一番多い
[編集] 日系企業
NEC、ミヨタ(シチズン子会社)、ダイセイ化学、王子製紙、丸紅、荒川化学など
[編集] 交通
[編集] 空港
5カ所の空港:
[編集] 港
欽州港、防城港、北海港
いずれも大型コンテナ船の乗り入れが可能
鉄道がある為、貨物の積み降ろしも便利
[編集] 陸路
[編集] 道路
- 2005年末、重慶市〜貴州省〜広西〜広東省・湛江市を結ぶ全長1314kmの高速道路が開通
- 広東省と梧州を結ぶ「広梧高速道路」が建設中
- 桂林と梧州を結ぶ「桂梧高速道路」が建設中
- 南寧〜友誼関(中越国境)を結ぶ「南友高速道路」(全長180km)
[編集] 鉄道
[編集] ベトナムとの関係
自治区南部の凭祥市にある友誼関は中国とベトナムとの主要な門戸となっている。これ以外にも自治区はベトナムと長大な国境線で接しており、住民同士が日常的に行き来している。中国は1951年にベトナムと国交を樹立して以来、第一次インドシナ戦争を戦うベトナムに多大の軍事援助を行い、ベトナム戦争初期にも中国人要員が空爆などが戦死することもあった。しかし、ベトナムは中国とイデオロギー的に対立するソ連との関係を深め、ベトナム統一後はカンボジアに介入して中国が支援するポル・ポト軍を攻撃し、国内の華人を弾圧した。このため鄧小平は1979年ベトナムに教訓を与えるとして中国人民解放軍を中越国境の町ランソンに侵攻させた。この中越戦争の勃発によって中国とベトナムの経済関係は全く断絶してしまった。1989年になってソ連の崩壊が始まると、中越関係は改善の兆しが見られるようになり、小規模な国境での民間貿易が始まり、ソ連崩壊後の1992年中越国交は完全に正常化した。