愚管抄
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愚管抄(ぐかんしょう)とは、天台宗僧侶の慈円著による、鎌倉時代初期の史論書。全7巻。承久の乱の直前、朝廷と幕府の緊張が高まった時期の承久2年(1220年)ごろ成立したが、乱後に修訂が加えられている。
『愚管抄』の内容は性格の異なる三部分から成り立っており:巻1から巻2までは神武以来の天皇年代記、巻3から巻6までは道理の推移を中心とする歴史述叙、そして巻7は道理についての総論と時務策。
神武天皇から順徳天皇までの歴史を、貴族の時代から武士の時代への転換と捕らえ、末法思想と「道理」の理念とに基づいて、仮名文で述べたもの。慈円は朝廷側の一員であるが、源頼朝の政治を道理にかなっていると評価している。また、慈円自身の父である藤原忠通が父(慈円にとっては祖父)藤原忠実と不仲であった事を暗に批判したり、同母兄弟である九条家流を持ち上げて異母兄弟である近衛家流を非難するなど、摂関家の一員としての慈円本人の複雑な事情を垣間見る事の出来る記事も存在する。
[編集] テキスト
『日本古典文学大系』(旧大系) 岩波書店
[編集] 参考文献
- 大隅和雄『愚管抄を読む 中世日本の歴史観』(講談社学術文庫、1999年) ISBN 4061593811