押井守
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押井 守(おしい まもる、1951年8月8日 - )はアニメや実写映画を中心に活動している日本の映画監督、演出家。漫画原作者でもある。東京都出身。血液型はO型。東京都立小山台高等学校、東京学芸大学教育学部美術教育学科卒。静岡県熱海市在住。
代表作に『うる星やつら』『機動警察パトレイバー』『攻殻機動隊』など。アニメ映画『イノセンス』(カンヌ国際映画祭コンペ部門出品作品)により、日本SF大賞を受賞した。星雲賞と違い、大賞でアニメ映画が対象となったのはこれが初めてであった。
犬の絵柄がデザインされたTシャツやトレーナーを好んで着用する。個人事務所は、有限会社八八粍。事務所所在地は、東京都港区虎ノ門。押井自身の全額出資によって設立された。
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[編集] 作風
押井守が多く用いる映像表現として、アニメとCGの融合、レンズの概念をアニメに取り入れる、実写的要素をアニメに取り入れる、などがある。この手法は、漫画・アニメ界に関わる多くの人に影響を与えた。また、音楽を非常に重視しており、ここ数作の音楽はすべて川井憲次に任せている。そのため、川井憲次の音楽表現は押井作品と切り離せない。その美しい映像センスと音楽表現、そして「押井節」とも呼ばれる独特の長台詞回しは一部から高い評価を受ける。
一方で押井自身は大衆・万人に受け入れられる作品づくりにはあまり興味がない模様で、過去のインタビューには、「自分の作品の客は1万人程度でいいと思っている」といった発言も見られる。書籍『押井守全仕事』において、押井のアニメ業界での師匠であるアニメ監督の鳥海永行や、身内とでも言うべきほどに近しい北久保弘之から、こうした作品傾向に苦言を呈されてもいる。アメリカのメジャー映画会社は、『イノセンス』製作にあたって押井との交渉の席で、大衆受けを狙わない姿勢や、話を聞くだけではにわかに理解できない作品内容について、難色を示した。それでも説得のため熱弁を振るう押井に、幹部全員が退いてしまい資金捻出を渋ったという。しかし、前作『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』がアメリカでヒットしていた事もあり、一定の興行収入を得られると踏んだ映画会社は、『GHOST IN THE SHELL 2』と明記することを条件として最終的に契約を結んだ。しかし、アメリカの観客の感想は1作目と違って、「偉そうだ(観客に対し)」と「格好良い」に二分された。
[編集] 経歴
1970年、東京学芸大学入学。「映像芸術研究会」を設立し、実写映画を撮り始める。卒業後にはラジオ番組制作会社のディレクターもやっていた。映画監督になる夢をあきらめ図画工作の教員になる予定だったが、教員試験の書類の提出を頼んでおいた友人がそれを忘れて、受験が不可能となってしまった。1977年に電柱に貼ってあった求人広告を見てタツノコプロに入社、アニメの演出を手掛ける。2年早く入社した西久保瑞穂、真下耕一、うえだひでひとと共に「タツノコ四天王」の異名を取った。西久保と真下が演出助手から始めたのに対して、押井はラジオでのディレクター経験を買われ、即演出を任された。
特異なギャグの才能をタツノコプロ演出部長の笹川ひろしに買われて、『タイムボカンシリーズ』を長く担当。タツノコプロ退社後もアルバイトで絵コンテを描き、後には持ちネタのひとつとした立ち食いネタを、この時早くも『タイムボカンシリーズ』に盛り込んだ。
1980年、鳥海永行に私淑して、鳥海に続く形でスタジオぴえろに移籍。テレビアニメ『ニルスのふしぎな旅』のレギュラー演出家として鳥海の下につく。タツノコプロ時代よりこの頃の押井はギャグを得意とすると見なされており、ぴえろ社員として『まいっちんぐマチコ先生』の絵コンテを1本描くこともあった。
翌1981年、テレビアニメ『うる星やつら』のチーフディレクターに抜擢。当初は原作ファンからのバッシングと低視聴率に苦しむが、原作の的確なアレンジ、千葉繁演じる「メガネ」などの押井の分身とも思えるサブキャラクターの熱演、若手スタッフの登用、映画や漫画のパロディ、前衛的な内容に、フジテレビ側との軋轢がありながらもやがて高視聴率を挙げるようになる。その後、劇場版第1作『うる星やつら オンリー・ユー』を経て、劇場版第2作『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』が決定打となり、アニメファン以外からも映像作家として認知される。なお『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』は1984年キネマ旬報読者選出ベスト・テン第7位(邦画)という快挙を成し遂げている(ちなみに1位は『風の谷のナウシカ』)。
虚構性をテーマとする押井の作風が確立したのはこの頃からである。1984年、『うる星やつら』を降板すると同時にスタジオぴえろを退社(当時『アニメージュ』のプレゼント色紙に「玄界灘」というコメントとともに崖に立つ自画像を描いたこともある)。以後フリーランスの演出家となる。
1984年に宮崎駿、大塚康生の誘いもあり、『ルパン三世』映画第3作の監督の依頼を受ける。ところが、脚本(「押井版ルパン三世」)を東宝と読売テレビのプロデューサーから没にされて製作は中止。その後、同映画のスタッフだった天野喜孝とともに、徳間書店・『アニメージュ』のバックアップにより、スタジオディーンの制作でOVA『天使のたまご』を完成させる。通俗性のない難解な内容に「訳の分からない作品を作る監督」という風評が立ち、以後、1987年までしばらく仕事が無く干された状態だったという。なお、『天使のたまご』には、のちの劇場アニメ『機動警察パトレイバー the Movie』にも共通する、幻となった押井版『ルパン三世』で押井が描こうとしたテーマが根底に流れている、といわれる。また、同年『アニメージュ』誌で初の漫画原作作品『とどのつまり…』連載を開始。作画は『うる星やつら』の作画を支えた森山ゆうじが担当した。
1987年、タツノコプロで同期だった西久保瑞穂が監督を務めた『赤い光弾ジリオン』に参加。絵コンテ2本のみだったが、この作品がきっかけとなって、後に活動の拠点とするProduction I.Gとの付き合いが始まる。同年、声優・千葉繁のプロモーションビデオを自主制作する話が発展し、『うる星やつら』も担当した音響制作会社オムニバスプロモーションの製作による実写作品『紅い眼鏡』を監督。この映画の予算は「こんな低い制作費で作れるわけがない!」と関係者が叫んだほどの安さで、自主製作映画に近いものだった。しかし、その低予算を逆手に取った演出が一部で高い評価を受ける。これ以後、アニメのみならず、実写にも活動の場を広げる。
『天使のたまご』以来、作家性の強いマニアックな作品ばかりになり、押井ファン以外からは敬遠されて仕事が少なくなったが、1988年にはOVA『機動警察パトレイバー』を監督して、娯楽性の強い作品に復帰。続けて1989年に公開された劇場アニメ『機動警察パトレイバー the Movie』で第7回日本アニメ大賞を受賞するなど、最前線に復帰した。スタジオぴえろから独立して以来、OVAシリーズ『機動警察パトレイバー』まで、押井はスタジオディーンと組んで仕事をすることが多かった。『機動警察パトレイバー the Movie』を契機として、押井は活動の拠点をProduction I.Gへと移した。以後、Production I.Gにはフリーでの参加ながら、企画者育成のために「押井塾」を主宰するなど、中心的役割を担っている。
1995年の『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』で海外から注目を浴び、同映画を収録したビデオはアメリカ『ビルボード』誌のホームビデオ部門で売上1位を記録した。[1] これは日本アニメ史上初の快挙として、大きく報道された。スティーブン・スピルバーグやジェームズ・キャメロンなどに絶賛され、ウォシャウスキー兄弟の『マトリックス』にインスピレーションを与えたことを考えれば、むしろ日本以外で有名な映画監督と言えるかもしれない。
2004年には『イノセンス』が第57回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門にノミネートされた。ちなみにカンヌ国際映画祭のコンペ部門に日本のアニメーション作品が出品されるのはこの作品が初めてであり(宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』はベルリン国際映画祭に出品)、ここでも押井作品の国際的な評価が高いことがわかる。
2005年の愛知万博にて、中日新聞プロデュース共同館「夢みる山」で上映した映像作品『めざめの方舟』の総合演出を担当した。
[編集] 人物像
- 兄、姉の三人兄弟の末っ子。姉は舞踏家の最上和子。父は興信所で私立探偵業を行なっていた。しばしば押井作品には探偵や刑事が登場する。
- 遠浅の東京湾が埋め立てられていく過程を見て育ったためか、埋立地への嫌悪を隠そうとしない。『機動警察パトレイバー』シリーズでは「予算の都合から(作画の手間が少なくて済む)埋立地を舞台にした」としているが、押井が担当したエピソードでは人間が持つエゴイズムの象徴として描かれる傾向がある。また『パトレイバー』に限らず、いくつかの作品では埋立地のゴミ処分場がラストシーンになっている。
- 1968年に高校2年で成田闘争に参加。押井の大学入学時に学園紛争は終息に向かうが、学生運動は押井の原風景となって、いくつもの作品に顔を出している。後に押井自身は自らの世代を、「(学生運動という祭りに)遅れてきた世代」と語っている。
- 大学時代に主宰した「映像芸術研究会」は、既存の大学の映画研究会と喧嘩別れして押井が新たに作ったもの。このサークルには、後に映画監督となる後輩の金子修介や、『機動警察パトレイバー 2 the Movie』に登場する自衛官・荒川茂樹のモデルとなる一橋大学の学生が所属していた。本人は童顔のため、少年役で出演することが多かった。大学時代に押井は毎日のように名画座に通い、年間1000本の映画を見たと言う。
- 無類の犬好きで、犬を飼うためだけに熱海へ引っ越した(猫も嫌いというわけではなく愛猫「ネネ」がいた)。魚、鳥とともに犬を作品のモチーフとし、自らの愛犬を作品によく登場させる。愛犬雑誌の『WAN』(ペットライフ社)に連載「熱海バセット通信」を執筆した。本人の自画像などにも犬を用いるが、これはアンドレイ・タルコフスキーの『ストーカー』によるものらしい。好きな犬種はバセットハウンドとシェーファーフント(シェパード)。愛犬はバセットハウンドのガブリエル(通称ガブ・♀)と雑種のダニエル(通称ダニィ。ちなみにダニだらけだったからダニィということもある)。『イノセンス』の制作中ガブリエルがヘルニアを患ったため引越した。さらに看病で仕事を休んだため、一時は監督解任騒動となる。
- 初対面の人間ともよく喋るが、小声であるために聞き取りにくいという。これは本人が中耳炎を患っているためでもある。
- 字が汚く、師匠の鳥海永行から「よくこの字で大学を合格できたな」と言われたことも。そのため近年の絵コンテには写植が施されている。
- 『天使のたまご』以降しばらく仕事が途絶えた間にファミコンとパソコンでゲームに熱中した。これを活かして、ゲーム雑誌『コンプティーク』および『電撃王』にエッセイ『注文の多い傭兵たち』を連載。製作したゲームには、ファミコンゲーム『サンサーラ・ナーガ』、スーパーファミコン『サンサーラ・ナーガ2』、メガドライブ『機動警察パトレイバー ~98式起動せよ~』、そして昨今ではPSP『機動警察パトレイバー かむばっく ミニパト』がある。またコンピュータRPG『ウィザードリィ』の影響を強く受けており、『機動警察パトレイバー2 the Movie』には「トレボー」など『ウィザードリィ』にちなんだ名前が劇中に登場したり、『アヴァロン』のパーティ編成が『ウィザードリィ』のそれを模したものであったりする。『パトレイバー』TV版の各話『地下迷宮物件』および『ダンジョン再び』は、エピソードそのものが『ウィザードリィ』のパロディとなっている。
- パソコン通信を行なっていた。アスキーの運営する『アスキーネット』に書き込みをしたことがある。
- 戦車や銃を愛好するミリタリーマニア。アルバイトで加わった名作アニメ『名犬ジョリィ』では、必要以上にガンの描写にこだわった絵コンテを切った。人手が足りない『うる星やつら』初期には、戦車の原画を描いたことがあった。『うる星やつら』の演出を担当した最後の話では、第二次世界大戦時代の戦車や航空機を用いて攻防戦を描いた。映画『ミニパト』でも銃について薀蓄を披露している。
- 宮崎駿と親交があり「宮さん」と呼んでいる。スタジオぴえろを退社した押井は一時、宮崎の個人事務所「二馬力」に机を置いた。宮崎は東京ムービーからの『ルパン三世』監督の依頼に対して、自分の代わりに押井を紹介。「押井版ルパン三世」頓挫後にはスタジオジブリで宮崎プロデュースによる押井監督作品を準備するなど、才能を認め合う仲である。しかし、その一方で思想的な面では宮崎と押井との対立の溝は深いとも言われる。あくまで物語は夢を見せるためのものであるとする宮崎に対し、押井はもっと幅広い作品作りを訴えたのが対立の原因とされる。科学文明への賛否や環境保護のありかた、果ては現役声優の起用不起用など。あるインタビューでは、「どこかの監督のように安易に俳優を使う事はしたくない。声だけで全ての演技をする声優は素晴らしい役者だ」と述べているほど、声優を大事にする一面を持つ。また、スタジオジブリの制作システムについて「クレムリン」,KGBや「道場」と評している。
- 宮崎の紹介で『ルパン三世』の監督就任があっさりと決まったのは、当時の東京ムービー社長・藤岡豊が「押井守っていう天才少年がいるそうじゃないか」「『うる星やつら』はうまい・動きが冴えてる」と押井の評判を知っていたからである。
- 近年になり再び『ルパン三世』の監督オファーの話があったものの、その際は押井の側からNGを出して断ったと言われている。後にその話を耳にし、残念がる周囲の人間には「腕毛が生えているのが気に入らないから断った」などと嘯いているという。
- アニメのキャラクターデザインのモデルになったことがある。スタジオぴえろ時代にアルバイトで参加した『逆転イッパツマン』では「若作りの丸輪さん」。アニメ『うる星やつら』の脚本の伊藤和典とキャラクターデザイナーの高田明美が参加した『魔法の天使クリィミーマミ』では「星井守ディレクター」、「日高守少年」。伊藤と高田はアニメ雑誌『アニメージュ』で押井を主人公にした4コマ漫画を連載したこともある。『ゼンダマン』に登場する「惜しい」を連呼するマスコット「オシイ星人」も押井から取られたもの。
- 『G.R.M. THE RECORD OF GARM WAR(ガルム戦記)』の凍結解除を執念深く待ち続けている。CGの登場により、実写とアニメーションは融合して区別できなくなる、というのが年来の押井の持論である。『ガルム戦記』において、その自身の理論を現実に展開するはずであった。ただ、『ガルム戦記』パイロット版の制作で得たノウハウは、のちに『アヴァロン』に活かされている。
- アニメにおけるレイアウトシステムの重要性を訴え、大量のレイアウトを解説した『METHODS 機動警察パトレイバー2 演出ノート』を著している。
- 新海誠やインディーズアニメなどの個人によるスタイルに関しては、「まわりの人間から何も吸収しなくなってしまう」「(新海が儲かったことで)アニメーターが俺もそうすれば儲かると考えて辞めてしまう」などとして、評価は限定的である。
- 邦画のシステムに対して不信感を抱いており、金子修介との対談の際「邦画というシステムは一度崩壊した方がいい」「(アニメを煽てておきながら)アニメを映画として認めてこなかった。現に日本アカデミー賞にはアニメーション映画部門がない」との発言をしている。
- 高橋良輔との多くの対談において「『ボトムズ』を見たときには血が逆流した」「僕がやりたかったことの先取りだった」「『ボトムズ』は軍事をアニメに持ち込んだエポック的作品だった」などと、高橋の代表作『装甲騎兵ボトムズ』へ熱い賛辞を述べている。ちなみに押井のレイアウトシステム確立に不可欠だった『機動警察パトレイバー』『攻殻機動隊』『イノセンス』のキーアニメーターで作画監督を務めた黄瀬和哉・沖浦啓之はともに、『ボトムズ』を始め1980年代の高橋作品の作画の中核を担った作画スタジオ、アニメアールの出身者である。
- また、富野由悠季作品の中では『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』を絶賛している事も有名。庵野秀明らによって出版された同人誌『逆襲のシャア友の会』では、庵野を聞き手に押井守が手放しで他人の作品を褒める、という珍しい姿が確認できる。
- 高橋留美子は彼の出世作ともいえる『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』に対して激怒したといわれている。スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーによると、試写を観た後、原作者である高橋が押井に対して、「要するに感性が異なるんですね。」と『キレる寸前の寸止め笑顔』で一言残しただけで立ち去ったらしい。公式には、高橋は特に否定するような見解は出していないが、平井和正との対談では「(『ビューティフル・ドリーマー』は)押井さんのうる星やつらです」という発言をしている。さらに高橋留美子は平井和正との対談集において、第75話「そして誰もいなくなったっちゃ!? 」、第91話「ドキュメント・ミス友引は誰だ!? 」について、強い不満を持ったことを語っている(やってはならないことをしていた、とのこと)。こうして『ビューティフル・ドリーマー』ともども原作者の不興を買ったことと、押井守がその後降板してしまったことに、何らかの因縁があったと見る向きもある。もっとも押井自身も、当時のアニメ雑誌などのインタビューに「体力的・精神的な限界」というコメントを寄せている。ちなみにDVD『ビューティフル・ドリーマー』のオーディオコメンタリーにおいては、押井自ら「原作者の逆鱗に触れる」という表現をしていた。
- 『ビューティフル・ドリーマー』の後半では、夢邪鬼によって、あたるが次々と悪夢を見せられ続ける。この悪夢のひとつで、フィルム・音声とも完成しているにもかかわらず、没にされたシーンがある。
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- あたるは老人になり、地球は太陽が巨大化した影響で滅亡の危機に晒された。次々と人類が宇宙船で脱出する中、あたるは愛している人がいるから、と頑なに地球脱出を拒む。だがその愛した人「ラム」の事を何故か思い出す事ができない、というものであった。
- 押井は「長過ぎるから」という理由でこのシーンをカットしたが、ファンの中では「このシーンが無いとラストへ向けての辻褄が合わない」という声もある。
- 日本酒については熱燗派で、夏でも冷酒ではなく燗して酒を飲むらしい。
- 夫人の影響で、最近はサッカー観戦も趣味となった。ご贔屓のクラブチームはジュビロ磐田。チェルシーFCとその監督ジョゼ・モウリーニョのファンであり、UEFAチャンピオンズリーグも非常に楽しみにしている。ドイツも好きらしくワールドカップではドイツを応援し、日韓共同開催の際にドイツ対イングランドをスタジアムで観戦した。
- 理屈っぽい、愚痴が多い、「奥さんから~~と言われた」というフレーズをよく使うことなどからプロ野球の野村克也に似ているという意見もある。押井自身、アンチ巨人、アンチ長島監督でヤクルト・野村ファン(監督時)である。戦略を語れない監督と解説者が嫌いで「戦略を語れるのは広岡と野村しかいなかった」と高評価である。
[編集] 映画作品
[編集] アニメ
- 1983年 『うる星やつら オンリー・ユー』 (監督・脚色・絵コンテ)
- 1984年 『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』 (監督・脚本)
- 1989年 『機動警察パトレイバー the Movie』 (監督)
- 1990年 『Maroko / 麿子』 (原作・監督・脚本)
- 1993年 『機動警察パトレイバー 2 the Movie』 (監督)
- 1995年 『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』 (監督)
- 1997年 『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊 インターナショナル・ヴァージョン』 (監督)
- 2000年 『人狼 JIN-ROH』 (原作・脚本) (監督は沖浦啓之)
- 2002年 『ミニパト』 (脚本・音響プロデュース) (『WXIII 機動警察パトレイバー 』の併映。監督は神山健治)
- 2004年 『イノセンス』 (監督・脚本)
[編集] 実写
- 1987年 『紅い眼鏡』(監督・共同脚本)
- 1991年 『ケルベロス ~StrayDog~ 地獄の番犬』 (原作・監督・脚本)
- 1992年 『Talking Head / トーキング・ヘッド』 (監督・脚本)
- 2001年 『アヴァロン』 (監督)
- 2003年 『KILLERS キラーズ』 (「50 Woman」の監督・脚本)
[編集] オシメーション
「オシメーション」とは、デジタルカメラで撮影した俳優の写真をデジタル加工し、アニメのパーツとして使用する技法のこと。従来からアニメーションの技法のひとつとして、実写の人間をコマ撮りする、「ピクシレーション(en:pixilation)」がある。このピクシレーションをさらに発展させたものが、「オシメーション」である。「スーパーライブメーション」とも称する。『立喰師列伝』の宣伝で使われた呼称。
[編集] テレビアニメ・OVA・ラジオドラマ
[編集] テレビアニメ
- 1977年 『一発貫太くん』 (絵コンテ・演出) (デビュー作)
- 1978年 『タイムボカンシリーズ ヤッターマン』 (演出・総助監督)
- 1978年 『科学忍者隊ガッチャマンII』 (演出・絵コンテ)
- 1979年 『魔女っこチックル』 (絵コンテ)
- 1979年 『タイムボカンシリーズ ゼンダマン』 (演出・絵コンテ)
- 1980年 『ニルスのふしぎな旅』 (演出・絵コンテ)
- 1980年 『タイムボカンシリーズ オタスケマン』 (絵コンテ) (丸輪零名義)
- 1981年 『名犬ジョリィ』 (演出・絵コンテ)
- 1981年 『黄金戦士ゴールドライタン』 (絵コンテ)
- 1981年 『まいっちんぐマチコ先生』 (絵コンテ)
- 1981年 『タイムボカンシリーズ ヤットデタマン』 (絵コンテ)
- 1981年 『世界名作ものがたり』 (オープニング演出・絵コンテ)
- 1981年 『うる星やつら』 (チーフディレクター・脚本・演出・絵コンテ)
- 1982年 『ダッシュ勝平』 (絵コンテ) (丸輪零名義)
- 1982年 『タイムボカンシリーズ 逆転イッパツマン』 (絵コンテ) (丸輪零名義)
- 1983年 『スプーンおばさん』 (脚本・絵コンテ)
- 1983年 『子鹿物語』 (絵コンテ)
- 1987年 『赤い光弾ジリオン』 (絵コンテ) (丸輪零名義)
- 1989年 『機動警察パトレイバー』 (脚本)
- 2004年 『攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG』 (ストーリーコンセプト)
- 2004年 『風人物語』 (監修)
- 2005年 『BLOOD+』 (企画協力)
[編集] OVA
- 1983年 『ダロス』 (監督・脚本・演出・絵コンテ(鳥海永行と共作))(日本初のOVA)
- 1985年 『天使のたまご』 (原案・監督・脚本)
- 1987年 『トワイライトQ2迷宮物件 FILE538』 (原案・監督・脚本)
- 1988年 『機動警察パトレイバー』 (旧OVA・前期OVA) (監督・絵コンテ)
- 1989年 『御先祖様万々歳!』 (原作・監督・脚本・絵コンテ)
- 1990年 『機動警察パトレイバー』 (新OVA・後期OVA) (脚本)
[編集] ラジオドラマ
[編集] その他映像作品
- 1991年 『DOG DAYS』 (監督) (LD『ケルベロス ~StrayDog~ 地獄の番犬』特典映像)
- 1996年 『宇宙貨物船レムナント6』 (総合監修) (監督は万田邦敏)
- 2000年 『BLOOD THE LAST VAMPIRE』 (企画協力) (監督は北久保弘之)
- 2003年 『東京スキャナー』 (監修) (監督は松宏彰)
- 2003年 『東京静脈』 (監修) (監督は野田真外)
- 2004年 『球体関節人形展 -- DOLLS of INNOCENCE --』 (監修)
- 2005年 『めざめの方舟 「靑鰉 SHO-HO (しょうほう)」「百禽 HYAKKIN (ひゃっきん)」「狗奴 KU-NU (くぬ)」』 (総合演出) (en:Mezame No Hakobune、愛知万博)
- 2006年 『ズームイン!!SUPER』 (CM演出)
[編集] 著書など
- 1985年 『天使のたまご 少女季』 (あらきりつこ・天野喜孝 共著)
- 1994年 『Methods 押井守「パトレイバー2」演出ノート』
- 1994年 『TOKYO WAR - 機動警察パトレイバー(前)』 富士見書房 ISBN 4829125527
- 1994年 『TOKYO WAR - 機動警察パトレイバー(後)』 富士見書房 ISBN 4829125683
- 1995年 『注文の多い傭兵たち』
- 1995年 『攻殻機動隊絵コンテ集』 (士郎正宗 共著)
- 2000年 『獣たちの夜 - BLOOD THE LAST VAMPIRE』 角川書店 ISBN 4043666012
- 2000年 『犬の気持ちは、わからない ~熱海バセット通信~』 (桜玉吉 共著)
- 2000年 『Avalon 灰色の貴婦人』 メディアファクトリー ISBN 4840107424
- 2004年 『押井守の映像日記 TVをつけたらやっていた』
- 2004年 『立喰師列伝』 角川書店 ISBN 4048735160
- 2004年 『これが僕の回答である。1995-2004』
- 2004年 『イノセンス創作ノート 人形・建築・身体の旅+対談』
- 2004年 『すべての映画はアニメになる 【押井守発言集】』 徳間書店 ISBN 4198618283
- 2004年 『押井守・映像機械論 【メカフィリア】』 (竹内敦志 共著)
- 2005年 『TOKYO WAR MOBILE POLICE PATLABOR』 エンターブレイン ISBN 4757723660
- 2005年 『「イノセンス」 METHODS 押井守演出ノート』
- 2006年 『勝つために戦え!』
- 2006年 『雷轟 rolling thunder PAX JAPONICA』 エンターブレイン ISBN 4757726694
- 2006年 『立喰師、かく語りき』
[編集] 漫画原作
- 1984年 『とどのつまり…』 (原作・絵コンテ) (作画は森山ゆうじ)
- 1988年 『犬狼伝説』 (原作)(作画は藤原カムイ)
- 1994年 『セラフィム 2億6661万3336の翼』 (原作) (作画は今敏)
- 2002年 『殺人者たち The Killers』 (原作)
- 2002年 『西武新宿戦線異状なし~番外編~』 (原作)
- 2003年 『KILLERS』 (原作)
- 2003年 『RAINY DOGS 紅い足痕』 (原作)(作画は杉浦守)
- 2006年 『ケルベロス×立喰師 腹腹時計の少女』 (原作)(作画は杉浦守)
[編集] 没になった企画
- フルムーン伝説 インドラ(原作・鳥海永行)
- アンカー(企画、監修・宮崎駿、脚本・夢枕獏?)
- 突撃!アイアンポーク(企画、監修・宮崎駿)
- 「押井版ルパン三世」
- 立喰師列伝(当初はトワイライトQの一作品になるはずだった)
- 連続ドラマ版 御先祖様万々歳(脚本・じんのひろあき)
- 犬狼伝説(当初OVA化の予定だった、後に人狼 JIN-ROHの原型となった)
- PATLABOR LIVE ACTION MOVIE
- G.R.M. THE RECORD OF GARM WAR(ガルム戦記)(今でも再開のチャンスを窺っている)
- エルの乱 鏖殺の島
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ↑ 押井守が言うには、「年間」ではなく、「週間」の瞬間最大風速でしかない。アメリカでの上映時のフィルムの状態がひどく悪く、鮮明な画質で見たい人たちが発売と同時に購入した。実は既に、エロアニメが1位を記録していた、とのこと。
[編集] 外部リンク
- 押井守公式サイト ガブリエルの憂鬱
- 野良犬の塒(押井守ファンによる、押井・Production I.G.などの情報を扱うWebページ)
- 文化庁メディア芸術プラザ いま、アニメ監督は何をめざすのか?
- 押井守小辞典
- IMDb: Mamoru Oshii(英語)
- DEIZ (『めざめの方舟』『立喰師列伝』などの制作に携わったプロダクション)