春日丸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
春日丸(かすがまる)は、日本の軍艦。
春日丸 | |
---|---|
艦種 | |
艦歴 | |
発注 | |
起工 | |
進水 | 1863年 |
就役 | 1868年1月(日本に到着) |
主な所属 | 明治政府軍(薩摩藩) |
最後の軍役 | |
除籍 | 1894年 |
その後 | 1891年 雑役船 1902年 売却 |
性能諸元 | |
排水量 | 1,015トン |
全長 | 74m |
全幅 | 9m |
吃水 | |
機関 | 蒸気エンジン 300馬力 |
最大速度 | 17ノット |
航続距離 | |
乗員 | |
装甲 | |
兵装 | 大砲6門 |
備考 |
春日丸(かすがまる)は、幕末・明治初期の日本の軍艦。
春日丸は当初、イギリス船籍のキャンスー号(Kiangsu、中国の江蘇省の「江蘇」の事)という名前の船であった。それを1867年11月3日に薩摩藩の赤塚源六 が約16万両で購入し、名前を春日丸に改めた。
春日丸は木製の外輪船だった。
目次 |
[編集] 戊辰戦争での春日丸
[編集] 阿波沖海戦
1868年1月、春日丸は幕府海軍の軍艦(開陽丸、蟠龍丸、翔鶴丸)が封鎖する兵庫港に入港した。将来の海軍提督、東郷平八郎は、この時(1月3日)に三等砲術士官として春日丸に乗船している。
1月3日夜、春日丸は僚艦(翔凰丸、平運丸)と共に兵庫港を出港し、平運丸は明石海峡方面に、春日丸・翔凰丸は紀淡海峡方面に向かったところ、1月4日早朝に春日丸・翔凰丸を開陽丸が発見、開陽丸と春日丸は1,200~1,500mの距離で砲撃戦を行った。これが日本史上初の近代的蒸気船同士の海戦である(阿波沖海戦)。
春日丸はこの海戦の後、鹿児島に帰港している。
[編集] 宮古湾海戦
1869年3月、春日丸は旧幕府軍討伐の遠征隊に参加する。旧幕府軍の残党は、北海道でジュール・ブリュネ等フランス軍アドバイザーも合流して蝦夷共和国を樹立していた。
1869年3月25日、宮古湾の北に停泊している時に、遠征隊は幕府の軍艦回天丸の奇襲を受けた。回天丸は明治政府の新鋭装甲艦甲鉄を急襲したが、甲鉄のガトリング砲と春日丸の大砲に撃退された(宮古湾海戦)。
この後、春日は箱館湾海戦等、1869年5月の旧幕府軍降伏までの海事に参加していた。