村主章枝
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村主章枝(すぐり ふみえ、1980年12月31日 - )は、日本の女性フィギュアスケート選手である。
千葉県出身。身長157cm、体重44kg。血液型はAB型。
全日本選手権5回優勝。世界フィギュアスケート選手権2002年・2003年銅メダル、2006年銀メダル。2003年グランプリファイナル優勝。
2002年ソルトレイクシティオリンピック5位入賞、2006年トリノオリンピック4位入賞。
「ピンクパンサー」などのアニメ音楽・フラメンコなど、音楽や振付に関する新しい要素を、自身の演技に積極的に取り入れている。繊細かつ情感豊かな演技を得意としており、その表現力から「氷上の女優(アクトレス)」「情熱のアーティスト」等と呼称されることが多い。また、大舞台に強い選手として「土壇場の女」という異名も知られている。
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[編集] プロフィール
父が日本航空の国際線パイロット、母が元客室乗務員だったため、3歳~5歳まで米国・アラスカ州に住んでいた。この時代スケートはじめウィンタースポーツに親しんだ経験が競技生活の原点といってよい。その後、日本へ帰国。英語が堪能。
学校は小学校入学から高校卒業まで清泉女学院に通っていた。
早稲田大学教育学部社会科社会科学専修(自己推薦入学)卒業(同学年に広末涼子(後に退学)、1学年後輩に荒川静香がいる)。
- 村主家は18代続く旧家(古くから続いている由緒ある家)であり、先祖は酒造職人。
- 妹の村主千香(東洋英和女学院大学卒)も日本スケート連盟強化選手(格付けは上から二番目)までのぼりつめたフィギュアスケート選手であった。千香は2005-06年シーズン限りで競技生活を引退した。
- 日本オリンピック委員会選手強化キャンペーンの「シンボルアスリート」適用選手の一人でもある。
- 97年の全日本フィギュアスケート選手権女子シングルで初優勝、世界フィギュアスケート選手権に初めて代表に選ばれたが、本番は18位に留まった。
- 98年の長野オリンピックの日本女子代表枠はわずか「1」の為、前97年12月の全日本選手権優勝者が自動的に五輪代表となっていた。全日本ではショートプログラムでは村主が1位、ライバルの荒川静香2位だったが、フリー演技では村主が転倒してしまい2位と敗れ、荒川が逆転優勝で長野五輪代表決定。村主は惜しくも補欠となった(長野五輪代表の荒川静香は13位)。
- その後、世界フィギュアスケート選手権での成績は、2年ぶりの出場となる99年は20位に終わり、00年は代表を逃す。しかし01年に四大陸フィギュアスケート選手権 で優勝し、再び2年ぶりに世界選手権代表選出となり、初めて10位以内に入る7位入賞と健闘した。
- 02年ソルトレイクオリンピックでの日本女子代表枠は「2」となったが、前01年12月のグランプリファイナル進出決定となった恩田美栄が早々五輪代表内定となる。残り一人は、奇しくも全日本選手権で4年前と同様に村主と荒川静香の一騎打ちとなったが、荒川はフリー演技で転倒して2位と敗れ、逆にショートプログラムと共にフリー演技でも1位となった村主が、今度は念願の五輪代表入りを果たす。優勝が決まった瞬間、村主は佐藤信夫コーチや妹の千香選手と抱き合い嬉し涙を流した。
- ソルトレイク五輪本番では不利な滑走順の中、5位という好成績を残す。ショートプログラムは点の出づらい全体の2番滑走。クリーンな演技を見せるが7位と惜しくも最終グループ入りを逃してしまう。フリースケーティングでも抽選で最終グループの一つ前のグループ(SP7-12位)の中の最初の演技となってしまうが、素晴らしい演技を見せ最終的に5位入賞となった(恩田美栄は17位)。
- その後、世界選手権では02年(長野大会)、03年(アメリカ.ワシントン大会)で連続して3位に入賞し銅メダル。伊藤みどり以来の、日本人選手としては当時で2人目の複数年メダル獲得選手となる。
- 03年3月、早稲田大学卒業。03年4月、新横浜プリンスホテルスケートセンター に所属。04年4月独身者、DINKS向けマンション販売の大手ダイナシティと契約。しかし、05年6月28日に同社社長だった中山諭が覚醒剤取締法違反で逮捕されて即日解任、村主側は契約解除を申し入れる。その後は新たな契約先を探しながら練習を続けて、05年10月にエイベックスと契約。
- コーチは佐藤信夫・久美子夫妻(信夫がメイン)。振付師はローリー・ニコル。
- 04年5月、ダイナシティの援助を受けて、シカゴに練習の拠点を移し、コーチはオレグ・ワシリエフが就任。04年12月に指導が充分に受けられないという理由で、練習拠点を新横浜プリンスホテルスケートセンターに戻す。
- 2005年3月の世界選手権では5位入賞に留まるも、安藤美姫の6位入賞との成績により、翌年トリノオリンピックの日本女子代表枠は最大の「3」となった。又、世界選手権後に表現力を高めるため公開で恋人募集をしたものの、反響が大きくなり過ぎて急遽中止したことがある。
- 05年9月 以前から痛めていた右股関節の故障を悪化。05年10月スケートカナダでは8位に沈み、五輪連続代表入りは絶望的か、とも囁かれた。しかし12月の全日本選手権で見事優勝を果たし、トリノ五輪の代表枠を掴んだ(他トリノ五輪日本女子代表は荒川静香、安藤美姫)。
- 06年1月~2月 トリノオリンピック選手団結成にあたって、副将をつとめる。2月の本選では、その表現力を存分に発揮したが、ショートプログラムとフリープログラムの成績は、両方共に4番目で総合4位入賞。前回のソルトレーク五輪から順位を1つ上回ったが、惜しくも五輪のメダル獲得はならなかった(荒川静香が優勝し金メダルを獲得、安藤美姫は15位)。
- しかし、06年3月の世界選手権(カナダ.カルガリー大会)ではショートプログラムでパーソナルベストを更新し、フリーでもベテランとしての意地を見せた。アメリカのキミー・マイズナーの完璧な演技には届かなかったものの、自己最高の2位に入賞し銀メダル。又村主は日本人初となる3個目のメダルを獲得した。
- 夢であったオリンピックに2度出場し、引退するかとメディアは騒いでいたが、村主本人は「今回、トリノで魔法をかけられて、この魔法はバンクーバーまで解けないと思うから、次のバンクーバーオリンピックまで頑張りたい。」と発言し現役続行を表明した。
[編集] 競技歴
- スケートを始めたのは6歳、しかし本格的に取り組みはじめたのは15歳からと、トップ選手のなかではかなり遅い。
- 1995-96年
- 全日本ジュニア選手権 2位
- 世界ジュニア選手権 4位
- 1996年-97年
- 全日本選手権 優勝
- 1997年-98年
- 1998年-99年
- 1999年-00年
- 全日本選手権 3位
- 2000年-01年
- スケートカナダ 3位
- 全日本選手権 優勝
- 四大陸フィギュアスケート選手権 優勝
- 世界選手権 7位(10位以内に入り翌年の五輪女子代表は2枠)
- 2001年-02年
- 全日本選手権 優勝(2連覇)
- ソルトレークシティオリンピック 5位
- 世界選手権 3位銅メダル
- 2002年-03年
- スケートカナダ 2位
- 全日本選手権 優勝(3連覇)
- 四大陸フィギュアスケート選手権 優勝
- 世界選手権 3位銅メダル
- 2003年-04年
- 2004年-2005年
- 全日本選手権 3位
- 四大陸フィギュアスケート選手権 優勝
- 世界選手権 5位(安藤美姫6位との成績で翌年の五輪女子代表は3枠)
- 2005年-2006年
今後は、メダルの色にこだわりたい。失敗を恐れずに(演技に)チャレンジしていきたいと本人がコメントした。
- 2006年-2007年
- スケートカナダ 2位
[編集] その他、エピソードなど
- 珍しい苗字のためなかなか名前を覚えてもらえない。「ムラヌシさん」や「ソンシュさん」と言われても、「訂正がいちいち面倒くさい」と普通に返事をしている。
- スポーツ記者からの人気が高いとされる。それは、競技後のインタビュー取材に丁寧に応じることも挙げられるが、おっとりとした口調に加え、天然ボケなところがあり、話題になりやすいためとの指摘もある。そのため、彼女独特の発言を聞こうと取材陣が集まることが多い。特に英語が堪能なためか、国際大会において外国人記者に取り囲まれていることも多い。
- 幼少期、アラスカに住んでいた時、劇団ひとり(両親の職業は村主家と同様、父・日航国際線パイロット、母・元日航客室乗務員)が近所の住人で、遊び仲間の一人だった。しかし、村主および川島自身はほとんど覚えておらず、当時の事情を覚えていた第三者の説明でやっと事実を把握できたのこと。なお、このことがきっかけとなり、2006年アイスショーのアトラクションで共演した。
- 演技中によく口が開いているが、これは癖であるため、直そうと思っても直せないという(「行列のできる法律相談所」に出演した際の本人の発言より)。ただ、この口を開けた表情が演技力のポイントを下げているという指摘もある。但し、他の選手よりも演技点でコンスタントに高得点を叩き出しており、癖という欠点を考慮しても、表現力に関して言えば世界No.1といっても過言ではないだろう。
- 村主といえば「演技最後での超高速スピン」と言われるほどではあるが、新採点システムではあまり得点に反映されず、トリノでコーエンの後塵を拝した一因とも云われる。このことに関して村主は「ビールマンスピンなどより高度な技を導入しなければいけないかもしれない」とコメントしたとされる。しかし、それはスピードをある程度犠牲にする側面もあるので痛し痒しであり、次季の村主の選択が注目されるところである。
- 村主の課題は他にも体の硬さ(基礎点がより高いスピン・スパイラルがこなせない)ことと、3回転-3回転などの多回転数の連続ジャンプの大技を持ち合わせていないこと(ただしジャンプのもうひとつの要素"高さ"は十分に出している)。日本フィギュア界のライバルの多くはジャンプに定評があり、村主にとってジャンプは永年のコンプレックスだった。しかし2006年世界ジュニア選手権の金妍兒、世界選手権のキミー・マイズナーの優勝の決め手が3回転-3回転の成功にあったことから、村主は『これからは(自分も)3回転-3回転の習得を目指す』と方針を転換する発言をしている。
- 2006年5月上旬より、村主が出演するはるやま商事(JOCのオフィシャルパートナーシップ企業)のコマーシャルがオンエアされる予定。
- 2006年4月~5月には毎日のようにTV出演が相次ぎ、大きな話題となった。5月にはヘアショーにモデルとして出演。それまでのスタイルを見切り、最新のウェービーヘアにて、イメージチェンジをねらう。
- ソルトレイクオリンピックでサーシャ・コーエン選手がタイツを忘れた時に、村主は自らのタイツを貸したことがその当時、アメリカの新聞で報道された。2006年NHK「英語でしゃべらナイト」に出演した時に村主はその時の逸話に言及し、「早く返してください(笑)」と冗談めかして語っていた。村主とコーエンは仲が良いそうである。
- 歴代の日本を代表するフィギュア選手、渡辺絵美、伊藤みどりが8連覇を記録した全日本選手権3連覇中であるが、2005年迄の10年間、表彰台を外したことはなく、勝率5割である。
[編集] TV出演
- ウタワラ(日本テレビ系)
- 行列のできる法律相談所(日本テレビ系)
- 踊る!さんま御殿(日本テレビ系)
- 世界一受けたい授業(日本テレビ系)
- サルヂエ(日本テレビ系)
- 世界まる見えテレビ特捜部(日本テレビ系)
- ジャンクSPORTS(フジテレビ系)
- 平成教育委員会(フジテレビ系)
- 英語でしゃべらナイト(NHK総合)
など
[編集] 外部リンク
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