栃光正之
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栃光 正之(とちひかり まさゆき、本名:中村 有雄、1933年8月29日 - 1977年3月28日)は、熊本県天草郡(現天草市)出身の大相撲力士。春日野部屋所属で、最高位は大関。
[編集] 来歴
農家の長男で、中学生のときから宮相撲で活躍したが、天草に巡業に来た力士の一団を見て栃錦に魅せられた。1952年、熊本県水俣市で開催された相撲大会に出場したときに春日野部屋の力士から勧誘され、父の反対を押し切って入門し、同年5月に初土俵。
不器用ながらも春日野親方(元横綱栃木山)から押し相撲の基本を叩きこまれ、無類の稽古熱心で1954年5月場所に新十両となり、1955年3月場所には十両を全勝優勝して翌5月場所に入幕した。ここまで初土俵から五分の場所が1場所あるものの、負け越しがなかった。なお、15日制になってから十両で全勝優勝した力士は、ほかに内田(後の大関豊山)、北の冨士(後の横綱北の富士)、把瑠都の3人がいる。
入幕後はすぐに上位に進出、1956年1月場所には、初日に新大関の松登晟郎を、4日目には横綱吉葉山潤之輔から金星をあげ、将来を期待させた。一時蕁麻疹のために伸び悩んだ時期もあったが、1962年5月場所後に大関に昇進した。優勝には手が届かなかったものの、決して「待った」をしない立派な土俵態度のために名大関と呼ばれた。1966年1月場所限りで引退し、年寄千賀ノ浦を襲名したが、43歳の若さで没した。