正親町三条家
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正親町三條(おおぎまちさんじょう)家は、藤原氏北家閑院流の三条家の分家で、大臣家の家格を有する公家。また家祖の公氏は、嵯峨とも西郊とも称したので、この家の、別称を嵯峨という。庶流には、西郊を称した家もあった。この家の分家である三条西家もまた大臣家の家格を有した。
三条実房の次男三条公氏を祖とする。4代目実躬までは大納言が極官であったが、5代目公秀の娘で北朝光厳天皇の典侍であった藤原秀子(陽禄門院)が、崇光天皇、後光厳天皇を産み、天皇の外戚になったため、大臣家となった。江戸時代の禄高は350石余。
明治維新後は、侯爵(はじめ伯爵)を授爵。正親町三条家の三条実愛は、転法輪三条家の三条実美をはばかり、別称であった嵯峨(さが)に改姓した。29代嵯峨実勝の長女 嵯峨浩は、中国清朝の皇帝愛新覚羅溥儀の皇弟愛新覚羅溥傑と日本国のために、国際結婚した。
なお、「おおぎまちさんじょう」は日本の名字では最も長い物であった。
[編集] 系譜
凡例 太線は実子。(なお養子はあえて記載せず。)
公氏 ┃ 実蔭 ┣━━━┓ 公貫 公種 ┣━━━┓ 実仲 実躬