民本主義
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民本主義(みんぽんしゅぎ)は、法学的問題である「主権の所在」を問わず、人民多数のための政治を強調する主義。democracyの訳語であり、最初に使ったのは茅原崋山といわれる。吉野作造が1914年(大正3年)「民衆的示威運動を論ず」や1916年(大正5年)「憲政の本義を説いて其有終の美を済すの途を論ず」(「中央公論」掲載)などの論文でとなえたことで、大正デモクラシーを活発化する一因となった。
「憲政の本義を説いて其有終の美を済すの途を論ず」によれば、democracyの訳語には(1)国家の主権は法理上人民にあり(民主主義)、(2)国家の主権の活動の基本的目標は政治上人民にあるべし(民本主義)というふたつが考えられる。民本主義は、主権の所在は問わず、主権を行使するにあたって主権者は、すべからく一般人民の利福・意向を重んずることを方針とすべきことを主張する。一見矛盾するようだが、完全に両立可能なものであるから主権は君主にあるか人民にあるかはあえて問わない。民本主義の内容としては、(1)政権運用の目的は特権階級ではなく人民一般の利福にある、(2)政策決定は民意に基づくべき、としている。(前者の政権運用の目的は1918年(大正7年)に「中央公論」に掲載された「民本主義の意義を説いて再び憲政有終の美を済すの途を論ず」では除かれた)
吉野が敢えて“民主主義”を言わなかったのは、当時の日本が天皇主権制を採っていた為(国民は天皇に傅く“臣民”に過ぎなかった)。
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