浦和市
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浦和市(うらわし)は、関東地方の南部、埼玉県南部に存在した市。県庁所在地として県行政の中枢となっていた。市制施行前は北足立郡に所属。
2001年に大宮市などと合併してさいたま市となり、2003年には桜区、浦和区、南区、緑区の4区に分けられた。
Jリーグ・浦和レッドダイヤモンズの本拠地として有名である。
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[編集] 地理
- 東京特別区から北に約25km、関東平野の中央部南寄りに位置する。埼玉県の南東部にあたるが、県内の区分では中央地域とされることが一般的である(県最西部は「西部地域」ではなく「秩父地方」と呼ばれ、その東側即ち県中南部にあたる入間地方、比企地方等が「西部地域」と呼ばれることが多いため)。
- 西側の境をなす荒川、東部に芝川、東側の境をなす綾瀬川などの河川がそれぞれ北から南に流れる。また、東縁・西縁の二本の見沼代用水が芝川を挟む形でこれも北から南に流れる。
- 関東平野の中にあり、山岳・丘陵といえる地域は存在しない。全域が台地及び低地からなり、海抜が20mを超える地区は殆どない。主に荒川に近い西部、東西に二本並ぶ見沼代用水の間、綾瀬川に近い東端部に低地が広がるほか、霧敷川(鴻沼排水路)・藤右衛門川などの小河川沿いに谷状の地形がみられる。中央部はこのような谷地を除けば、北方から市南部に連なる大宮台地上に位置しており、浦和市の源となった浦和宿もこの台地の上に位置していた。主な河川は殆どが北から南に流れており、東西に並列している。
- 東西約15km、南北約7kmという東西に細長い市域をもっていた。これは浦和町・浦和市が東西に連なる諸町村を合併した結果である。中央部西寄りを北側から与野市(現:さいたま市中央区)が突きだしていた。市域は「コウモリが羽を広げたような形」と称されていた。
- さいたま市の政令指定都市移行に伴う区制の施行で、旧浦和市域はごく一部の地区(大原6・7丁目が大宮区、さいたま新都心内の上木崎1丁目8番地30号および35号が中央区)を除き、中心部・北部が浦和区、西部が桜区、南部が南区、東部が緑区となった。
- 2000年(平成12年)の時点で、概ね見沼代用水西縁以東、荒川周辺に広がる河川敷を除く、市域の6割強が人口集中地区となっていた。
- 気候についてはさいたま市の記事を参照のこと。尚現在のアメダスの観測地点「さいたま」は、旧浦和市の北西端、大久保浄水場内に設置されているが、さいたま市の成立以前は「浦和」の名称がつけられていた。
[編集] 歴史
- 江戸時代まで
- 明治から第二次大戦まで
- 1869年(明治2年)9月29日 - 浦和宿に本格的な県庁が設置され、それまでの県名であった大宮県が浦和県に変更される。
- 1871年(明治4年)11月14日 - 浦和県が忍県、岩槻県と合併し、埼玉県となる。県庁は当初岩槻に置かれる予定だったが、暫定的に浦和宿に置かれる。
- 1876年(明治9年)8月21日 - 埼玉県が入間県と合併、新たに埼玉県となる。12月1日には旧浦和県庁舎を埼玉県庁舎とすることとなった。
- 1883年(明治16年)7月28日 - 日本鉄道上野~熊谷間が開通。浦和駅が開設される。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い浦和宿が北足立郡浦和町となる。同時に後の浦和市域となる地区において木崎、谷田、三室、尾間木、六辻、土合、大久保、美谷本、大門、野田の各村も誕生。
- 1932年(昭和7年) 4月1日- 木崎村(北袋のみ大宮町に編入)・谷田村が浦和町に編入される。
- 1932年(昭和7年)9月1日 - 東北本線の電車線赤羽~大宮間が完成。現在の京浜東北線。
- 1934年(昭和9年) 2月11日 - 市制施行により浦和市となる(県内では川越市、熊谷市、川口市に次ぐ4番目、全都道府県庁所在地で最も遅い市制施行)。
- 1938年(昭和13年)7月1日 - 六辻村が町制施行、六辻町となる。
- 1940年(昭和15年)4月17日 - 尾間木村・三室村が浦和市に編入される。
- 1942年(昭和17年)4月1日 - 六辻町が浦和市に編入される。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 美谷本村が笹目村と合併、美笹村となる。
- 戦後
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 土合村・大久保村が浦和市に編入される。
- 1956年(昭和31年)4月1日 - 大門村・野田村と戸塚村が合併し、美園村となる。
- 1957年(昭和32年)7月1日 - 美笹村が戸田町に編入される。
- 1959年(昭和34年)4月1日 - 戸田町のうち旧美谷本村北部、即ち松本新田・曲本・内谷および堤外の一部が分離され、浦和市に編入される。
- 1962年(昭和37年)5月1日 - 美園村のうち、差間・行衛を除く旧大門村・旧野田村の区域が浦和市に編入される(残りは川口市に編入)。
- 1980年(昭和55年)3月26日 - 東北自動車道浦和IC~岩槻IC間が開通。
- 2001年(平成13年)5月1日 - 大宮市・与野市と合併し、さいたま市の一部となる。
- 2002年(平成14年)6月 - サッカーワールドカップの開催地となる。
- 2003年(平成15年)4月1日 -さいたま市の政令指定都市移行に伴い区制が施行。旧浦和市の区域は大原6・7丁目(大宮区)、上木崎1丁目8番地30号および35号(中央区、現・中央区新都心3番地1号)を除き桜区、浦和区、南区、緑区となる。
- 2004年(平成16年) - 旧浦和市に当たる桜区、浦和区、南区、緑区の合計人口が50万人を突破する。
[編集] 行政
[編集] 歴代市長
- 高橋 泰雄
- 小谷野 伝蔵
- 相川 宗次郎
- 安井 大吉
- 阿佐見 新作
- 松井 計郎
- 川久保 義典
- 本田 直一
- 相川 曹司
- 中川 健吉
- 相川 宗一
[編集] 産業
[編集] 商業
[編集] 姉妹都市・提携都市
[編集] 海外
- トルーカ市(メキシコ合衆国)
[編集] 国内
これらの関係は全てさいたま市に引き継がれている。
[編集] マスメディア
[編集] 交通網
[編集] 鉄道
- 中心駅:浦和駅
[編集] 主な道路
[編集] 主な学校
(小学校と中学校と高等学校については、浦和区、桜区、南区、緑区の頁へ。)
[編集] 高等教育機関
[編集] 食文化
浜松や三島などと列んで、ウナギの蒲焼が名物となっている。又、蒲焼の老鋪も多い。
[編集] 娯楽
関東地方を代表するサッカー所として有名である。浦和以外で代表的な都市には、町田、鹿嶋、清水などがある。
[編集] 浦和市を舞台とした作品
浦和市が舞台、若しくは浦和市が登場する作品は、以下の通りである。
- 赤き血のイレブン(梶原一騎)
- 行け!稲中卓球部(古谷実。作中では「稲豊市」)
- キャプテン翼(高橋陽一。作中では「明和市」)
- エースをねらえ!(山本鈴美香。作品の舞台の西高は県立浦和西高等学校がモデルであり作者は本校のOGである。また、作中に登場する大原学園のモデルは西高の近所にあるさいたま市立大原中学校の名前から来ている)
[編集] 浦和市出身の有名人
[編集] 芸術
[編集] スポーツ
- 阿部敏之 - 鹿島アントラーズ(引退、所属は最終)
- 上野良治 - 横浜F・マリノス
- 内舘秀樹 - 浦和レッドダイヤモンズ
- 大熊清 - 日本代表コーチ
- 田口禎則 - 浦和レッドダイヤモンズ(現:埼玉県議会議員、所属は最終)
- 永井良和 - 浦和レッドダイヤモンズ・レディース監督
- 西野朗 - ガンバ大阪監督
- 堀之内聖 - 浦和レッドダイヤモンズ
- 三上和良 - 大宮アルディージャ
- 三上卓哉 - 京都パープルサンガ
- 水沼貴史 - 横浜F・マリノス監督
- 室井市衛 - 横浜FC
- その他のスポーツ
[編集] 芸能・マスコミ
[編集] その他
- 海野和三郎 - 天文学者