原博実
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原 博実(はら ひろみ、1958年10月19日 - )は栃木県那須塩原市(旧・黒磯市)出身の元サッカー選手であり、サッカー解説者、指導者。Jリーグ・浦和レッドダイヤモンズ(1998年 - 1999年途中まで)、FC東京(2002年 - 2005年)の監督を務めた。日本三大リーガ解説者の一人。
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[編集] 選手時代
矢板東高から早稲田大学教育学部を経て三菱重工業サッカー部(のちに三菱自動車サッカー部。現在の浦和レッドダイヤモンズの前身)に所属。ポジションはフォワード。ちなみに三菱→浦和のエースナンバーとされる背番号9番を、福田正博の前に付けていたのが原である)。
日本代表として国際Aマッチ75試合に出場、歴代3位の37ゴールを挙げる(ただし、Aマッチ以外の日本サッカー協会が認定している日本代表の試合を含めると171試合出場、72ゴールでゴール数は歴代2位となる)。ヘディングシュートを得意とし(ただし、本人はヘディングよりも左足シュートの方が得意だったと回想している)、「アジアの核弾頭」の異名を取る。特に'86W杯予選・ホーム北朝鮮戦での『雨中ゴール』、1987年ソウルオリンピック予選・アウェー中国戦での決勝ヘディングシュートが有名。
[編集] 指導歴
[編集] 浦和レッズ時代
1992年に引退後、コーチ・ユース監督等を経て1998年に古巣である浦和レッドダイヤモンズの監督に就任する。同年セカンドステージではチームを3位に導くものの、翌1999年ファーストステージは13位と振るわず、ステージ終了後に引責辞任(その年結局浦和はJ2へ降格)。
[編集] 解説者時代
その後スペインに渡りリーガ・エスパニョーラの数チームを視察。帰国後はサッカー解説者としてスカイパーフェクTV!の欧州サッカー中継を中心に活動。多くのファンを得た(後述)。
[編集] FC東京時代
2002年からFC東京の監督に就任。スペインの香り漂う多彩なサイド攻撃をチームに導入し、FC東京をJ1の上位争いに絡める位置へと押し上げた。特に初めての指揮となった2002年開幕戦、前年度王者鹿島アントラーズから4点を奪い圧勝した試合は、今でも語り草になっている。また監督インタビューでは解説者時代に引き続き名言を連発し、自チームのゴール時には現役時代さながらに体全体で喜びを表現するなど、チーム成績とは別の部分でもサポーターに愛される存在となっている。2004年のナビスコカップでは古巣浦和を下して、チームに初のJリーグタイトルをもたらした。しかし、契約期間最後の年である2005年は、主力をケガで欠いたことなどから成績が低迷。シーズン終盤は12戦負けなしと持ち直したが、序盤の躓きが原因で契約期間終了と共に退任することとなった。
[編集] 評価
[編集] 若手育成
指導者としての評価に際しては、特に若手の積極起用に注目して語られることが多い。浦和においては初年度に小野伸二を起用し、チームの大黒柱へと成長させたという評価もある。ただし、元々小野は広く注目されていたことからその功績をあまり重視しない見方もあり、さらに翌年も盛田剛平らの新人選手の起用に拘泥しシーズン途中で解任された(浦和はこの年J2に降格)ことなどから、浦和時代の評価は大きく分かれる(浦和OBで、かつてのチームの中心選手だった福田正博は、「サテライト・ユースの指導経験しかなかった原にいきなりトップチーム、しかも浦和レッズという独特な雰囲気のチームの監督を任せるのは非常にプレッシャーのかかることだったのではないか」という趣旨のコメントを、雑誌に寄せた原稿で述べている)。原自身は後に雑誌のインタビューで「弱いといわれた時期も、誰もが誇りは持っていた。ある意味王者のスピリットを持っているチームだった」と浦和を評するなど、古巣への思いがやはり大きいようで、FC東京監督就任後は、浦和をライバル視する発言を幾度となく繰り返していた。
FC東京でも若手登用の傾向は強く、加地亮、石川直宏、茂庭照幸、今野泰幸を獲得してレギュラーに据え、日本代表に選出されるまでに成長させた。 特に、横浜F・マリノスで出場機会のなかった石川に対して「(故障者が出ている)今なら使っちゃうよ」という口説き文句で移籍を決断させた逸話は有名である。また4バックをこよなく愛する監督としても知られ、4バックを選択する戦術的理由に関するテレビ番組のアンケートに対し、「4バックが好きだから」と答になっていない回答を連発し、閲覧者の笑いを誘った。
就任当初はその監督手腕に対しての懐疑論もあった中、東京の監督を務めて4年、最終的には選手、チーム関係者、記者、サポーターすべてに愛される存在となった。辞任報告の集会に5000人近くのファンが詰め掛けるなど、惜しまれながらの退任であった。
[編集] 解説・評論
原はテレビ解説者としても、多くのファンを得た。ゴールが決まった時の「いい時間帯に得点しましたね」(どの時間に得点しても必ずそう言う。それが延長Vゴールであっても)、シュート態勢になると「あ、入った」(こう言った時は大抵そのシュートは外れる)など、その軽妙な語り口のとりこになったサッカーファン(ヒロミスタと呼ばれる)は数知れない。試合に熱中するあまり解説を忘れることもしばしばだが、広い視野からの的確な指摘を分かりやすく視聴者に伝えるという解説者としての技量がある、さらに選手への批判も臆せず口にすることからも高く評価されている。解説者を辞する時はスカパー!で特別番組が何本も作られたほど、ファン・現場の人間双方から絶大な人気を誇った。ちなみにコラムニストのえのきどいちろうもヒロミスタのひとりである。
また、浦和レッズ監督時代に指導したチキ・ベギリスタインと親交を深めたことと関連して、スペイン語は堪能である。料理をはじめとするスペイン文化全般にも造詣が深く、サン・セバスティアンの料理がお気に入りらしい。FC東京の監督時代でも、チームのラ・コルーニャ遠征やポストシーズンの視察に合わせて、原がスペインを紹介する番組が作成された。
[編集] 関連項目
- サッカー解説者一覧
- デポルティーボ・ラ・コルーニャ(リーガ・エスパニョーラ)
- Foot!(FC東京監督就任前までコメンテーター、2003年より「原博実のスペイン紀行」を放送)
- ヨーロピアンキングス
- 浦和レッドダイヤモンズ監督
- 1998-1999途中
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- 先代:
- ホルスト・ケッペル
- 次代:
- ア・デモス
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