藤田俊哉
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藤田 俊哉(ふじた としや、1971年10月4日 - )は、静岡県清水市(現静岡市清水区)出身のサッカー選手である。ポジションはMF。12年間ジュビロ磐田に在籍したが(途中オランダのFCユトレヒトに移籍)、2005年シーズン途中の6月10日、名古屋グランパスエイトに完全移籍。
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[編集] プレイスタイル
攻撃的MFとして、トップ下や右サイド、左サイドをプレーエリアとし、高い得点能力、パス能力を持っている。また、マークをはずす動きや、こぼれだまへの寄せの早さ、スルーパスへの飛び出し、豊富な運動量なども優れている。
中村や小笠原、中田、小野は「視野の広さ」を使ったスルーパスなのに対し、藤田は、「一瞬のひらめき」を使った「藤田にしか見えない場所」に出すスルーパスで、このパスを出されるとディフェンスは、必ずと言って良いほど一瞬止って動けなくなってしまう。「ディフェンスをあざ笑うかのようなスルーパス」という言葉が似合う選手であり、中村や、小笠原、小野、中田達とは違い、とてもOMFやSTに向いている選手である
[編集] 備考
MFの名波浩、FWの中山雅史らとともに、ステージ優勝6回、年間優勝3回、そしてアジアクラブ選手権優勝2回など、輝かしいジュビロの黄金時代を作り上げ、Jリーグ・ベストイレブンに3度選出されたにもかかわらず、その期間中に日本代表のキャップを飾ることはできなかった。そのため本人はインタビューなどで「頂点を極めたなんて思ったことは一度もありません」と述懐する。ジーコ監督時代、日本代表定着を狙うためにFCユトレヒトに海外移籍(レンタル移籍)を行った。ジーコ監督は海外クラブに移籍した選手を好んで召集することもありこのような方法を取ったが、代表に呼ばれることはなくなった。契約満了の際、ユトレヒト側から期間延長の申し出があったが、磐田のチーム事情もあり磐田に復帰した。
しかし、2004年末より就任した山本昌邦監督(当時)の方針で成岡翔に出番を奪われ、出場機会を求めて名古屋グランパスエイトに移籍した。
[編集] 記録
2000年5月3日の対川崎フロンターレ戦では、ペナルティーキックを3本決めて、ハットトリックを達成。自身初、PKのみのハットトリックは、Jリーグでも史上初の記録であった。1本目はゴール右、2本目は真ん中、そして3本目は左と蹴り分け、ゴールキーパーは全く反応ができなかった。 2006年8月27日のガンバ大阪戦(瑞穂陸上競技場)の前半13分にPKによる得点を挙げ、三浦知良、澤登正朗に次いで史上3人目となる、J1のリーグ戦で13年連続ゴールという記録を達成した。
これまでのA代表歴は、25試合出場、3得点。
[編集] 逸話
- 磐田在籍時、ホットコーヒーを飲みたくて自販機で買おうとしたが、日光の影響で冷たいコーヒーを買ってしまった。そのコーヒーをどうしたかと言うと、磐田のあるスタッフにプレゼント。
[編集] 経歴
- 清水商業高校 1987-1989
- 筑波大学 1990-1993
- ジュビロ磐田 1994-2003.8
- FCユトレヒト(オランダ)レンタル移籍(14試合出場、1得点) 2003.8-2004.1
- ジュビロ磐田 2004-2005.6
- 名古屋グランパスエイト 2005.6-
[編集] 戦歴
[編集] Jリーグ通算成績
年度 | チーム | リーグ | 背番号 | リーグ戦 | カップ戦 | 天皇杯 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
J・J1 | J2 | ||||||||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
1994年 | 磐田 | J | - | 38 | 7 | - | 4 | 0 | 1 | 0 | |
1995年 | 磐田 | J | - | 49 | 11 | - | - | 1 | 1 | ||
1996年 | 磐田 | J | - | 25 | 4 | - | 14 | 1 | 1 | 0 | |
1997年 | 磐田 | J | 10 | 24 | 9 | - | 6 | 0 | 4 | 3 | |
1998年 | 磐田 | J | 10 | 33 | 17 | - | 6 | 4 | 3 | 0 | |
1999年 | 磐田 | J1 | 10 | 29 | 4 | - | 4 | 1 | 3 | 0 | |
2000年 | 磐田 | J1 | 10 | 30 | 8 | - | 4 | 1 | 3 | 1 | |
2001年 | 磐田 | J1 | 10 | 26 | 11 | - | 7 | 2 | 2 | 1 | |
2002年 | 磐田 | J1 | 10 | 30 | 10 | - | 7 | 2 | 3 | 0 | |
2003年 | 磐田 | J1 | 10 | 13 | 6 | - | 6 | 0 | 0 | 0 | |
2004年 | 磐田 | J1 | 10 | 28 | 1 | - | 5 | 0 | 3 | 0 | |
2005年 | 磐田 | J1 | 10 | 10 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | |
名古屋 | J1 | 10 | 22 | 2 | - | 0 | 0 | 2 | 0 | ||
2006年 | 名古屋 | J1 | 10 | - | |||||||
通算 | 358 | 96 | - | 58 | 9 | 28 | 7 |
[編集] タイトル・代表歴
- 清水商業高校二年生で全国高校選手権優勝。三年生時にはインターハイ優勝。
- 1993年 ユニバーシアード(サッカー競技)代表(アメリカ・バッファロー大会)
- 1995年 - オーストラリア戦でA代表デビュー
[編集] 個人タイトル
- 1998年 - Jリーグ ベストイレブン
- 2001年 - Jリーグ ベストイレブン、Jリーグ最優秀選手賞(MVP)
- 2002年 - Jリーグ ベストイレブン
[編集] 外部リンク
名古屋グランパスエイト - 2006 |
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1 楢崎正剛 | 2 秋田豊 | 3 スピラール | 4 大森征之 | 5 古賀正紘 | 7 中村直志 | 8 金正友 | 9 ヨンセン |10 藤田俊哉 | 11 玉田圭司 | 13 山口慶 | 14 吉村圭司 | 15 鴨川奨 | 16 増川隆洋 | 18 中島俊一 | 19 杉本恵太 | 21 高嵜理貴 | 22 川島永嗣 | 23 豊田陽平 | 24 本田圭佑 | 25 須藤右介 | 27 片山奨典 | 28 渡邊圭二 | 30 竹内彬 | 31 阿部翔平 | 32 青山隼 | 33 和田新吾 | 34 内藤友康 | 35 井上渉 | 37 津田知宏 | 38 高橋良太| 39 橋本晃司 | 監督 フェルフォーセン | クラブ | 編集 |
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