谷川和穂
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谷川 和穂(たにかわ かずお、1930年7月21日 - )は、日本の政治家(元衆議院議員)。東京都立青山高等学校、慶應義塾大学法学部卒。 父は広島東洋カープ設立で知られる広島県西志和村(現東広島市志和町)出身の元衆議院議員・谷川昇。父の後を継ぎ、1958年の衆議院議員選挙に全国最年少の27歳で初当選。以降当選12回。しかし選挙区だった旧広島2区は、池田勇人のち池田行彦、増岡博之、中川俊思のち中川秀直、松本俊一、森井忠良ら、有力政治家がひしめく全国有数の激戦区だったため、谷川も3度落選の苦戦続きだった。1983年には、防衛庁長官の現職で落選、その時テレビのインタビューの場において記者の肩を両手で掴み「私はね、本当は選挙区に帰りたかったんです!でも、それが(大臣のための公務があり)できなかったんだ・・・!!」と揺すりながら号泣した。
自民党内では三木武夫派→河本敏夫派→高村正彦派に所属。同派番町政策研究所の代表世話人としても活躍した。政治活動としては主に文教畑を歩み、防衛庁長官、法務大臣などを歴任した。2003年、政界引退。「穂」の戸籍上の正式表記は旧字体の「穗」。
[編集] 経歴
- 1958年5月 衆議院議員選挙に旧広島2区から立候補し、初当選。
- 1966年8月2日 文部政務次官(佐藤栄作内閣)
- 1966年10月7日 パリにおいて開催の第14回ユネスコ総会日本政府代表(同年11月15日まで)
- 1967年2月17日 文部政務次官(再任。同年11月28日まで)
- 1972年7月12日 衆議院法務委員長
- 1979年11月13日 衆議院文教委員長
- 1982年11月27日 防衛庁長官(中曽根康弘内閣)(1983年12月27日まで)
- 1983年12月 防衛庁長官の現職で総選挙落選(3度目の落選)
- 1986年6月 総選挙をトップ当選で返り咲く。(当選8回)
- 1989年6月3日 法務大臣(宇野宗佑内閣)(同年8月10日まで)
- 1993年 自民党国民運動本部長
- 1995年 自民党幹事長代理
- 1996年 自民党衆議院議員総会長。この年の総選挙で比例代表中国ブロックから出馬し名簿順位4位で当選。(当選11回)
- 1997年 番町政策研究所(旧河本派)代表世話人
- 2000年 比例代表中国ブロックから出馬。名簿順位4位で当選。(当選12回)
- 2003年 政界引退