谷川真理
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谷川 真理(たにがわ まり、1962年10月27日- )は、女子マラソン選手で、現在ではタレント活動を積極的に行っている。福岡県出身。
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[編集] 来歴・人物
東京・武蔵野高時代は陸上部に所属していたが、練習嫌いだったため関東大会どまりで精一杯だった(当時高校生で日本陸上競技界で活躍していた選手では、ロサンゼルスオリンピック代表の増田明美がいる)。
高校卒業後、一橋スクールオブビジネスから都内の一般企業でOLとして働いていたが、皇居近くを走る市民ランナー達を見て、谷川自身も昼休みに走り始めた。市民マラソンでの優勝を契機に注目を浴び、1990年資生堂入社。後輩には五輪3回連続出場した弘山晴美らがいる。1991年の東京国際女子マラソンで優勝を飾り、大きな話題となった。又1992年の名古屋国際女子マラソンでは惜しくも準優勝だったが、その後同年ゴールドコーストマラソン(途中トイレに駆け込むロスタイム発生)や、パリマラソン(自己ベストタイム)などでも優勝を果たし、平凡な市民ランナーから一躍日本女子マラソン界のトップアスリートへと飛躍していった。
谷川は五輪候補の選手の一人でもあったが、1992年のバルセロナオリンピックは惜しくも補欠代表に留まり、1996年のアトランタオリンピックでは、選考レースでケガの為に力を出し切れず、念願の五輪出場は叶わなかった。それでも谷川本人は「もし五輪に出場出来ていたら、もうそこで私は燃え尽きてしまって、きっと走るのを辞めていたと思います。でも五輪落選の後、これからも辞めないで走り続けて、と私を励まして下さった沢山のファンの声にもの凄く感動しました。五輪に出られなかったからこそ、今でもマラソンランナーとして走り続ける事が出来るのだと思っています。」と語っている。
1994年に資生堂から良品計画に移籍。現在はアミノバイタルACに所属。スポーツコメンテーターとしても活躍しているが、TV番組の冒頭では大抵「マラソンランナー 谷川真理」として紹介されている。美人ランナーとして現在でもマラソンファンからの人気は高い。
例年春と秋に行われる「オールスター感謝祭」(TBS系)の企画「赤坂5丁目マラソン」や「リレーマラソン」には、ほぼ毎回出場している。しかし最近は谷川に対するハンデが大き過ぎるせいか、優勝は意外にもまだ1回のみとなっている。 又年1回正月明け頃に、ハーフマラソンのイベント「谷川真理ハーフマラソン」の主宰を務める。市民ランナーの出場者は毎回ほぼ1万人を超えており、大変人気の有るマラソン大会の一つとなっている。
アテネオリンピックで110mハードル日本新記録を樹立した筑波大学講師の谷川聡は親戚。
[編集] 主な戦歴(マラソン)
- 1988年 名古屋国際女子マラソン 36位 3:00:58
- 1989年 大阪国際女子マラソン 22位 2:49:02
- 1989年 ボストンマラソン 14位 2:46:11
- 1989年 東京国際女子マラソン 11位 2:43:04
- 1990年 名古屋国際女子マラソン 5位 2:37:30
- 1990年 東京国際女子マラソン 3位 2:34:10
- 1991年 東京国際女子マラソン 優勝 2:31:27
- 1992年 名古屋国際女子マラソン 2位 2:31:09
- 1992年 ゴールドコーストマラソン優勝 2:35:45
- 1992年 東京国際女子マラソン 6位 2:33:57
- 1993年 名古屋国際女子マラソン 14位 2:34:15
- 1993年 東京国際女子マラソン 2位 2:28:22
- 1994年 パリマラソン 優勝 2:27:55
- 1994年 東京国際女子マラソン 7位 2:34:31
- 1995年 ボストンマラソン 7位 2:31:48
- 1996年 名古屋国際女子マラソン 23位 2:35:36
- 1996年 東京国際女子マラソン 12位 2:40:22
- 1996年 ホノルルマラソン 3位 2:36:20
- 1997年 東京国際女子マラソン 16位 2:37:49
- 1998年 マウイマラソン 優勝 2:40:37
- 1998年 北海道マラソン 6位 2:37:51
- 1998年 東京国際女子マラソン -位 2:36:16
(8番目でゴールしたが、陸連登録選手から外れており順位は無し)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 真理のJoyful Life(谷川真理オフィシャルサイト)