鉄道ファン (雑誌)
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鉄道ファン(てつどう-、JAPAN RAILFAN MAGAZINE)は、名古屋市千種区に本社を構える、交友社が発行する月刊の鉄道趣味雑誌。日本の鉄道趣味誌中、発行部数は最大。編集については東京支社で行っている。編集長は宮田寛之。
「鉄道ピクトリアル」に続く鉄道趣味雑誌として1961年に創刊された。当初は鉄道友の会が編集に携わる形であったが、のちに自社での編集となった。創刊号の表紙は名鉄7000系電車(パノラマカー)であった。
鉄道写真とビジュアルの美しさに定評があり、子育て用の絵本としても活用されている。
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[編集] 誌面
サイズはB5変形版(横幅が多少広い。これは鉄道ジャーナルも同様)、鉄道雑誌の中ではページ数が一番多く、その分、3月~6月・9月~11月号で定価1100円(1月・2月・7月・8月・12月号は、特別定価1200円)と他誌に比べ高い。
表紙デザインは上方を白抜きにしてタイトルと発行年月を、下に通算の号数と特集名などが記載され、中央は写真となるものである。但し創刊○周年、通巻○○号などの記念号では、必ずしもこのパターンになるとは限らない。 このデザイン、創刊から10数年は試行錯誤を繰り返しており、以下のような変遷を遂げている。
- 創刊号から1962年12月号までは左隅の通巻と右隅の刊行月を色で囲んでいた。「鉄道ファン」の文字は「鉄道」のみが大きくなっていた。
- 1963年1月号から1966年6月号までは白抜きの面積が縮み「鉄道ファン」の文字が全て同じ大きさとなった。
- 1966年7月号からはタイトル文字が縮小し、書体が現在のものとなる。写真スペースは全体の半分に縮小され、表紙に目次が掲載されるようになった。
- 1969年1月号からは目次が写真下に移動、写真下は雑誌の4分の1を占め、この部分はカラーとなった。
- 1970年1月号からは写真下部分が現在とほぼ同じ大きさに縮小、上方部分の白抜きと目次が廃止された。またタイトル文字も丸みを帯びたものに変わり、鉄道の文字が大きくなった(1969年10月号では創刊100号を記念してこれに近い表紙レイアウトがなされている)。
- 1973年1月号からは上方部分の白抜きが復活。タイトル文字も1966年7月号からのものに戻りほぼ現在のスタイルとなった。以後、フォントの小変更などを経て現在に至る。
- 1994年8月号(通巻400号)以降、背表紙に特集タイトルが掲載されるようになった。
毎号特集を組み、「短絡線ミステリー」などシリーズ化されたものもある。また、毎年7月号は「JR車両ファイル」として前年度のJR車両の動きと車両配置表が掲載される。特集の範囲は広く、だからといってマニアックになり過ぎず組まれている(内容が浅いとの批判も一部にはある)。特集部分は1990年代以降はフルカラーとなっている。写真はプロカメラマンのほか、ファンからの投稿写真も使われる。
その他の記事では、新車ガイドが大きな柱となっていた(バブル期には新車ガイドだけで特集が組めた)が、掲載上のトラブルなどもあり最近は以前ほど力を入れなくなってきた。最近の傾向としては、プレスリリース前の新車については『~と思われる新車』と、かなり曖昧な表現を使う事でトラブル回避に努めているようである。巻末には1/80もしくは1/87(HOゲージ対応)の車両形式図が添付されている(形式の多い系列については、数号に分けて掲載されることもある)。
後半にはファンの投稿による「REPORT」、「POST」、新聞記事などを集めた「RAIL NEWS」などが占める。ファンながら非常に細かい記事・写真が掲載されており、ネットが普及した現在でもファン同士の情報交換の場としての機能を持っている。
このほか、オールドファンによる連載があり、海外記事も掲載されるほか、鉄道関連のゲームソフトの紹介など、以前では取り上げられなかった内容も掲載されるようになった。
毎年、広告主の一つでもあるキヤノンとの共同主催でフォトコンテストを実施、毎年1月号に受賞作品が掲載される。なお、優秀者にはキヤノンのカメラや「鉄道友の会」の会費が1年間無料(未入会の場合は入会金を含める)となるなどの副賞がある。
現在は、巻末に車両コレクションと称する写真が掲載され、毎年1月・7月号の巻頭には直前半年分の索引が付属する。毎年1月・2月号にはカレンダーが付録として付いてくる。1月号は主に鉄道を含めた風景を、2月号は車両写真をテーマにしている。更に2003年以降、毎年12月号には手帳が付録するようになった。
この雑誌の知名度の高さから、2000年代には江崎グリコから復刻版豆本として1984年4月号が食玩になったり、雑誌そのものが「鉄道ファン」という食玩付き菓子として発売されたこともある。
1969年12月号・1971年1月号ではSLブームを反映して臨時増刊号「蒸気機関車撮影地ガイド」を発行した。現在に至るまで、同誌が増刊号を発行したのはこの2回だけである。
[編集] 執筆者・写真家
特別顧問として手塚一之、カメラマンとして伊藤久巳と契約。なお、伊藤の本職は航空写真家である。また、以前は鉄道ジャーナルで記事を書いていた松本典久も、乗車ルポなどを執筆する。
かつては広田尚敬や、元TBSアナウンサーの吉村光夫が記事執筆や写真撮影を行っていた。
[編集] 交友社
1934年、名古屋市にて創業。もともとは、旧国鉄や各鉄道会社の鉄道教習所(動力車操縦者養成所)で使用する教科書を製作していた出版社である。したがって顧客は当時の国鉄、大手私鉄などであった。鉄道関係者から鉄道趣味雑誌の出版を打診され、鉄道友の会の編集により発行してみると案外好評だったので、「鉄道ファン」はその後交友社が鉄道趣味人を対象にした本を多く出版していくことになるきっかけをつくったことになった。なお、趣味の本は本店ではなく東京支店で取り扱う。