FACOM
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FACOM(ファコム)は富士通が自社製コンピュータに使用していた商標。“Fujitsu Automatic COMputer”から。(ファコムの発音がFuck Onに似ているため、アメリカでは「フェイコム」と読ませている)
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[編集] FACOM 100
FACOMは、池田敏雄 (後、専務)、山本卓眞(現名誉会長)、山口詔規が1954年10月に完成させたFACOM 100から始まる。FACOM 100は、富士通が最初に製作したコンピュータであり、国産初のリレー式コンピュータでもある。当時、使用できるデバイスとしては真空管もあったが、真空管は寿命が短く、故障率が高かったことや、富士通が電話交換機を製造していた関係でリレーが豊富に使用可能だったことからリレーが採用された。(国産初のストアドプログラミング方式コンピュータとして富士フイルムの岡崎文次が開発したFUJICがあるが、こちらは真空管を採用)
もちろん、リレーも故障・誤動作が少ないとは言えないデバイスである。そこで検算回路を設け、誤動作を検知するフェイルセーフ設計が取り入れられていた。
ノーベル賞受賞者の湯川秀樹はFACOM 100について、「人手では2年はかかる多重積分を3日で解いた」と高く評価した。
FACOM 100は試作・実験機であったため、販売されることはなかったが、これを改良したFACOM 128が販売された。これが富士通最初の商用コンピュータである。このとき、すでにインデックスレジスタや割り込みが採用されていた。また、検算回路で誤動作を検知するだけでなく、自動的に再計算するようになっていた。(富士通沼津工場にFACOM 128Bが保存されているが、現在、実際に動作するコンピュータとしては世界最古と言われている)
なお、初期FACOMの命名規則は、100番台がリレー式、200番台が電子式(パラメトロン/トランジスタ/IC)となっている。
[編集] FACOM 230 シリーズ
初期のメインフレームは、用途別・規模別にばらばらに開発され、ほとんど互換性がなかった。しかし、IBMが、科学技術計算・事務処理のどちらにも使え、それぞれに互換性がある、規模の異なる製品をラインアップ、System/360として発売した。
当時、富士通は、好評だったFACOM 231の後継機をFACOM 230として発売していたが、これと互換性があり、より大型のFACOM 230-50、小型のFACOM 230-10を発売、FACOM 230をFACOM 230-30と改名することで、FACOM 230をシリーズ化した。なお、230-50はFONTACをベースとして開発された。
FACOM 230シリーズは、ソフトウェアレベルの互換性を持つ一方、コスト要求の厳しい小中型機では可変語長を採用し、高速性能を要求される大型機では固定語長を採用した。
[編集] FACOM 270 シリーズ
FACOM 230シリーズと平行して、科学計算・プロセス制御用としてFACOM 270シリーズを開発した。超小型のFACOM 270-10、小型のFACOM 270-20、中型のFACOM 270-30の3機種。
これらの用途には、すでに発売されていたFACOM 231も使用されていたが、さらにオンライン・リアルタイム処理にも対応した。
[編集] FACOM M シリーズ
富士通は東京大学大型計算機センターへ対してFACOM 230-50の納入を目指していたが、「海外で開発されたソフトウェアが動作すること」が要求され、独自技術で開発されたFACOMは採用されなかった。これを機会に富士通はIBM互換機路線を取ることになる。
当時、日本のOECD加盟などにより、国内メーカーは海外メーカーからの逆風に直接さらされることとなった。しかし、当時の国内メーカーは、まだ、IBMを始めとする海外の有力メーカーと対等に張り合えるだけの実力を持っているとは言えなかった。そこで通産省は国内6社を3グループ化、体制強化を図ることとした。(詳しくは三大コンピューターグループを参照)富士通は日立製作所と提携、両社が共同で開発し、製品化したのが、IBM互換機のM シリーズである。
また、富士通はIBM互換機の開発に先立って、IBMでSystem/360を設計したジーン・アムダールが設立したアムダール社と提携、そのノウハウを得た。富士通初のIBM互換機であるM-190は、アムダール社のベストセラー機種、Amdahl 470V/6と実質的に同等であり、470V/6の製造を担当したのも富士通であった。
富士通は、FACOM Mシリーズで国内の売上トップを獲得、名実ともに国内最大のコンピュータメーカーとなった。それまでのトップは日本アイ・ビー・エムであった。
[編集] その後のFACOM
1990年、Fujitsu M-1800が発売される。8CPU密結合で主記憶2Gバイト(システム 8Gバイト)、256チャネルという超大型機である。過去のMシリーズとも互換性はあるが、FACOMという商標は使われなくなった。
[編集] 代表的なFACOM
- FACOM 201 (1959年)
- パラメトロン(東京大学大学院の学生だった後藤英一が開発したデバイス)を使って日本電信電話公社(現在のNTT)電気通信研究所が製作したMUSASINO-1号をベースに開発。
- FACOM 222A (1961年)
- 富士通で初めてトランジスタを採用し、1万語のコアメモリを搭載。1台1万語の磁気ドラムを最大10台まで接続可能。(通称、フ・ジ・ツー)
- FACOM 230-10 (1965年)
- シリーズ最小だが、それを補う仮想記憶(ソフトページング方式)を搭載。かな文字COBOLを実装。
- FACOM 230-60 (1968年)
- 日本で初めてICを採用したベストセラー機種。主記憶装置および入出力装置を共有する本格的デュアルプロセッサ。世界で初めてマルチプロセッサ構成を採用。
- FACOM 230-25,230-35,230-45 (1968年)
- 2バイト1語の16ビットマシン。FACOM 230-25/230-35で主記憶にICメモリを採用し、仮想記憶(ソフトページング方式)も採用。
- FACOM 230-45S, 230-55 (1974年)
- ハードウェアによる仮想記憶(ページアドレス方式)を採用。
- FACOM 230-75 APU (1977年)
- 科学技術計算むけのパイプライン方式アレイプロセッサで22M FLOPSを達成、航空宇宙技術研究所などに納入。FACOM 230-75と互換。
- FACOM M-190 (1974年)
- 富士通初のIBM互換機。LSIを採用した超大型機でIBM System/370の2~3倍の性能。当時、世界最大・最速。
- FACOM M-200 (1978年)
- M-190の1.5~1.8倍の性能だが、最大4 CPUのマルチプロセッサ構成が可能。この時、5 CPU分の速度に達する。当時、世界最大・最速。
- FACOM M-130F, M-140F, M-150F, M-160F, M-170F (1979年)
- 日本で初めて本格的な日本語処理機能、JEF(Japanese processing Extended Feature)を搭載。日本語に対応したソフトウェアと、日本語入力用のタブレットや漢字ドットインパクトプリンタで構成。
- FACOM M-380, M-382 (1981年)
- 31ビットアドレス空間(2Gバイト)をサポート、ECL/TTL LSIを採用した超大型機。最大2CPU、最大物理メモリはM-380が64Mバイト、M-382が128Mバイト。
- FACOM M-780 (1985年)
- 10,000ゲート/チップのECL LSIを採用した超大型機。最大物理メモリ256Mバイト、最大64チャネル。CPUの冷却に伝導液冷(いわゆる水冷)を採用。
- FACOM VP-100, VP-200 (1982年)
- 富士通初のスーパーコンピュータ。実際のFORTRANプログラムの分析を元に設計されたベクトル型プロセッサで、最大500 MFLOPSを達成した(VP-200)
- FACOM α (1984年)
- いわゆるLISPマシン(LISP専用機)。単独では動作せず、Mシリーズのバックエンドとして使用する。人工知能の研究やエキスパートシステムに使用された。30台が製造され、慶應義塾大学などに納入された。
- FACOM R (1969年)
- デスクトップサイズを実現したミニコン。手軽に使用できる単独のコンピュータとして、また、FACOM 230シリーズの周辺機器として使用された。
- FACOM Mate (1975?年)
- テープリーダなども内蔵したオールインワンのミニコンで、工業高校や専門学校など、教育機関むけ。
- FACOM V0 (1974年)
- ユーザック電子工業(現PFU)と共同開発したFACOM 230-15、USAC 720/90の後継機。バッチ処理、帳票出力など、ビジネスむけ。
- FACOM 9450 (1981年)
- パナファコム(現PFU)と共同開発したビジネスむけパーソナルコンピュータ。24ドット漢字表示など、当時の一般的なパソコンよりハイクオリティとなっていた。OAアプリケーションのEPOCファミリが用意された。
- FACOM K-10 (1984年)
- デスクトップ型のオフコン。i8086を採用し、5インチ/8インチフロッピーディスクも内蔵可能。EPOCファミリも用意された。
- FACOM K-670 モデル40 (1989年)
- オフコンで初めて3CPU構成を採用した。主記憶40M、内蔵ディスク13.3G。ワークステーション224台まで接続可能。
- FACOM G-140, G-150, G-150A (1987年)
- Unix System Vを改良したSX/Gを搭載し、Unixであることを意識させないユーザーインターフェースを実現。専用ソフトウェアとしてEPOCH-Gファミリも用意された。Mシリーズ、Kシリーズのクライアントとしても利用された。
[編集] 参考文献
- 田原総一郎 - "日本コンピュータの黎明" 文春文庫 1996 ISBN 4-16-735613-9
- 柏原久 - "ついにIBMをとらえた - 富士通・エキサイト集団の軌跡" 日本放送出版協会 1992 ISBN 4-14-080011-9
- 遠藤諭 - "計算機屋かく戦えり" アスキー 1996 ISBN 4-7561-0607-2
- 相磯秀夫・坂村健ほか 編 - "国産コンピュータはこうして作られた" 共立出版 1985 ISBN 4-320-02278-5
- ハーマン H. ゴールドスタイン - "計算機の歴史" 共立出版 1979
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 富士通について - 池田敏雄
- 富士通について - 富士通ミュージアム
- 情報処理学会 - 日本の歴史的コンピュータ
- 情報処理学会 - 日本のコンピュータパイオニア - 後藤英一
- 東京理科大学近代科学資料館 - 計算器具 (FACOM 201の写真あり)
- 三輪修 - 私のコンピュータ開発史 (元開発者による解説)
- 神田泰典 - 日本語情報システムJEFの歴史 (元開発者による解説、当時の資料あり)
- 平松守彦 (元通産官僚、元大分県知事)
- 大河原克行の「パソコン業界、東奔西走」- 富士通コンピュータ事業の故郷、沼津工場見学記
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