T-72
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
T-72A | |
---|---|
性能諸元 | |
全長 | 9.53 m |
車体長 | 6.86 m |
全幅 | 3.59 m |
全高 | 2.23 m |
重量 | 41.5 t |
懸架方式 | トーションバー方式 |
速度 | 60 km/h(整地) |
45 km/h(不整地) | |
行動距離 | 450 km 600 km(外部タンク搭載時) |
主砲 | 125 mm滑腔砲 2A46M |
副武装 | 12.7 mm機関銃 7.62 mm機関銃 |
装甲 | 複合装甲 |
エンジン | V型12気筒ディーゼルエンジン 780 hp |
乗員 | 3 名 |
T-72は1970年代にソビエト連邦が開発した主力戦車。旧東側陣営を代表する戦車の一つで、多数が生産された。T-90の原型にあたる。
[編集] 概要
1971年に原型であるオブイェークト172Mが完成、1973年に採用、1977年の戦勝パレードに姿を現し、西側関係者に脅威の新型と認識され話題となった。もっとも本車は、新機軸を一気に取り入れた反面コストが上がりトラブルも続出したT-64の代わりに、大量配備と輸出を目指した簡易量産型戦車といえる。
T-64A以降と同じく「カセトカ」自動装填装置を搭載しているにもかかわらず、実用発射速度は4発/分(カタログ上は8発/分)と手動装填の西側戦車より遅いが、これは125mm砲弾の弾頭と発射薬が分離式のためである。装填手が不要となったので、乗員は3名である。
安価で大量生産に向き、ソ連が崩壊するまでワルシャワ条約機構に加盟するソビエト友好国やフィンランド、キューバ、中東諸国、インド等へ大量に輸出された。また、チェコやポーランド、ユーゴスラビアでもライセンス生産されている。
前述のとおり、存在が公になると西側諸国の恐怖の対象となり、各国の戦後第3世代戦車の開発の推進力となった。初の実戦はレバノン内戦でシリア軍の戦車として出撃したが、1982年に同じく初陣だったイスラエルの国産戦車メルカバによって30輌以上が撃破され、その評判を大きく損なうこととなった(逆に少数ではあるが、その主砲でメルカバを撃破している)。
後の湾岸戦争ではイラク軍が輸出型のT-72を用いたが、やはりM1A1エイブラムスをはじめとする西側陣営の戦車に対して一方的に撃破され、セールスにも影響したとされる。この他チェチェン共和国やユーゴの内戦(ユーゴスラビア国産型のM-84)でも、撃破された車輛は砲塔下に円形に並べられた砲弾が誘爆、砲塔が吹き飛んで乗員が全滅するケースが多く、ロケット弾および対戦車ミサイル対策に爆発反応装甲をより大量に貼り付けるなどの改良が行われた。
[編集] 関連項目
第二次世界大戦後のソ連・ロシアの装甲戦闘車両 | |||||
---|---|---|---|---|---|
主力戦車 | |||||
T-54 | T-55 | T-62 | T-64 | T-72 | T-80 | T-90 | |||||
重戦車 | 水陸両用戦車 | 装甲車 | 装甲兵員輸送車 | ||
T-10 | IS-4 | PT-76 | BTR-70 | BTR-80 | BTR-D | ||
歩兵戦闘車 | 空挺戦車 | ||||
BMP-1 | BMP-2 | BMP-3 | BMD-1 | BMD-2 | BMD-3 | BMD-4 | ASU-57 | ASU-85 | ||||
自走砲 | |||||
2S1グヴォジーカ | 2S3アカーツィヤ | 2S5ギアツィント | 2S9ノーナ-S | 2S19MSTA | 2S25スプルート-SD | |||||
自走式対空砲 | |||||
ZSU-57-2 | ZSU-23-4シルカ | 2S6/2K22ツングースカ | |||||
戦車一覧 |