雅山哲士
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雅山 哲士(1977年7月28日-),本名竹内 雅人,是日本的大相撲力士。他在茨城縣水戶市出生。父親竹内哲士是茨城的交通警。他的相撲技術師承自武双山。他年少時最喜歡的力士是琴椿。曾就讀明治大学,但因為被武藏川部屋收為徒而中途退學。雅山の四股名は、武双山の父が考えたものだが、本人は雅風と考えていた。現在でも雅風に未練が残っている。幕下付出から4場所連続優勝で幕内に上がり、平成の新怪物と呼ばれた。肩のコブが印象的な力士だった。平成12年5月場所後に大関に昇進し、大関を8場所務めたが大関での2桁勝利はなかった。平成13年9月場所後に大関から陥落し、現在は三役と平幕の往復を続けている。玉乃島新(本名岡部新)とは子どもの頃からライバル関係である。また、若兎馬からもライバル視されている。千代天山とライバル関係だった時期もあった。巨漢力士で、幕内最重量の時期もあった。突き押し相撲だが、四つでも取れる。立ち合いの変化を激しく嫌う。同部屋の武蔵丸を慕っており、武蔵丸が引退した時は泣いた。武蔵丸引退土俵入りでは露払を勤めた。明るい性格で、愉快なコメントを数多く残している。