クラッシュ (バンド)
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クラッシュ(The Clash)は、1976~86年に活動した、イギリス・ロンドン出身のパンク・ロックバンドである。
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[編集] 概要
最も成功したパンク・ロックバンドの一つであり、また、時代を象徴するバンドでもある。1stアルバムは音楽的にパンク色の強いものであったが、徐々にレゲエやダブ、ロカビリー、ジャズ、スカといった様々な音楽の要素を取り入れ、幅広い音楽性を持った。また、ステージ上での激しいパフォーマンスも人々に記憶されている。
彼らはその活動当初から、音楽の才能と歌詞で他のパンク・ロックバンドとは一線を画す存在であった。特にジョー・ストラマーとミック・ジョーンズによって書かれた歌詞は、情熱的かつ左翼的政治主張を強く意識したものであり、アナキズムの色が濃く出ているセックス・ピストルズや、シンプルなパンク・ロックを指向していたラモーンズとは非常に異なったものであった。
彼らのファッションや発言はデビュー当時からセンセーショナルに受け止められた(セックス・ピストルズにマルコム・マクラーレンが関わっていたように、クラッシュにもバーニー・ローズというマネージャーが影響を与えていた)。また中心人物のジョー・ストラマーは労働階級出身者の多いパンクバンドのメンバー中では珍しい中産階級出身である(父親は外交官)。
しかし、徐々にメンバー間に不協和が生まれ、まずドラマーのトッパー・ヒードンが、さらにはリード・ギタリストのミック・ジョーンズがグループをクビになってしまう。 ジョー・ストラマーとポール・シムノンは新メンバー3人を迎えた新体制で再出発を図るが、発表したアルバム「カット・ザ・クラップ」はメディア、ファン両者の支持を得られず、結局バンドは解散する。
ジョー・ストラマーはソロとして活動したが、2002年12月22日にサマセット州ブルームフィールドにある自宅で心臓発作で死去。
クラッシュはパンク、ロックを越えた社会運動を作り出した。ロンドンでは英連邦に所属した地域のマイノリティが貧困の中に生活していた。ジャマイカからの移民もマイノリティの一つとしてロンドン市内にコミュニティを形成していた。
不況、失業、社会の不平等を音楽を通じて表現していたクラッシュは、日曜ごとに集まるカリブ系移民のコミュニティに呼応し、しばしば活動をともにした。この活動がレゲエに傾倒していくきっかけになった。労働組合活動、学生運動とともに民族的マイノリティの活動は警察権力からの弾圧を受けることがあり、クラッシュも弾圧の現場に弱者の立場としてかかわっており、このことがクラッシュの国家との対決姿勢を色濃くさせている。ロックという表現が社会の変革にあるならば、クラッシュの目指したものはそこだったと言えるだろう。
彼らの代表曲のひとつである「アイ・フォート・ザ・ロウ」(オリジナルは、アメリカの伝説的なロックンローラーであるバディ・ホリーのバックバンドをつとめたクリケッツ。同曲はクラッシュ以外にも様々なアーティストがカバーしている。アメリカのロック・バンド、ボビー・フラー・フォーが60年代にヒットさせたヴァージョンは特に有名)は、2003年まで日産・エクストレイルのCM曲として使われており、日本でも知名度が高い。ただし、その歌詞は「俺は法と戦った。そして(俺は負け)法が勝ったのさ」といった内容で、彼らの姿勢が端的にあらわれていると言える。
[編集] メンバー
- ジョー・ストラマー(ボーカル・ギター)
- ミック・ジョーンズ(ボーカル・ギター)-米国のバンドフォリナーにも同姓同名のミュージシャンがいるが、別人
- ポール・シムノン(ベース)
- テリー・チャイムス(※後にトッパー・ヒードン)(ドラムス)
[編集] オリジナル・アルバム
- 1977 白い暴動 The Clash
- 1978 動乱(獣を野に放て) Give 'Em Enough Rope
- 1979 ロンドン・コーリング London Calling(007 ダイ・アナザー・デイ挿入歌)
- 1980 サンディニスタ! Sandinista!
- 1982 コンバット・ロック Combat Rock
- 1985 カット・ザ・クラップ Cut the Crap