ザラスシュトラ
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ザラスシュトラ (Zaraθuštra、現代ペルシア語形 زرتشت , Zartošt、紀元前13世紀?,紀元前7世紀?) は、人類の思想の歴史における偉大な聖者の一人で、ゾロアスター教の開祖である。一神教を最初に提唱したとも考えられ、その教えは、ユダヤ教、キリスト教に影響を及ぼし、また初期仏教にも影響を及ぼしている。
ニーチェの著作『ツァラトゥストラはかく語りき(Also sprach Zarathustra)』で、「ツァラトゥストラ」として有名であるが、これはイラン語での呼称をドイツ語読みしたものである。
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[編集] 名の由来
ザラスシュトラは、日本では英語名ゾロアスター(Zoroaster)として知られる。これは古典ギリシア語での呼称である「ゾーロアストレース(Ζωροάστρης)」に由来する。
[編集] 歴史上のザラスシュトラ
ザラスシュトラの本来の教えは、イランの神話的聖典である『アヴェスター』内の「ガーサー(韻文讃歌)」部分の記述がそれに相当すると考えられる。インドの『リグ・ヴェーダ』などとの言語学的比較から、ガーサー(サンスクリット語では、「ガーター」がこれに対応する)は、紀元前15世紀頃から紀元前13世紀頃に成立したと考えられ、ここよりメアリー・ボイスなどは、ザラスシュトラの生存した年代を、この期間のいずれかに比定している。
しかし、ザラスシュトラの生没年については異説が多く、ボイス以外の西欧の研究家のあいだでは、紀元前7世紀頃が妥当とする意見が多い。ただ確定的なことは分からない。
伝承は、スピタマ家のポウルシャスパの子がザラスシュトラであるとする点では一致し、その生涯のエピソードなどもほぼ一致して詳細が語られるが、しかしこれが歴史上のザラスシュトラの本当の生涯であったのかどうかは確認できない。
古代ギリシア人は、アケメネス朝ペルシアの知識人を通じて、彼の地の偉大な賢人ザラスシュトラの名を知り、彼らの歴史にザラスシュトラについての記録を残したが、その中では、彼らの時代よりも五千年以上過去の人物であるとか、神話的に把握されていた。従って、古代ギリシアの文献記録の記述は、歴史上のザラスシュトラについて、正確とは言い難い。しかし、紀元前4世紀頃には、既にこのような伝承が存在していたことを確認できるという意味では資料価値がある。
[編集] 教え
ザラスシュトラの教えは、後にゾロアスター教として、まとまった宗教体系となるが、ザラスシュトラの教えが述べられているとされる聖典『アヴェスター』が文字で記録されたのが、漸く紀元3世紀のサーサーン朝ペルシアの時代である。
この時代には、ペルシア語はすでに中世ペルシア語となっており、アヴェスター語とも呼ばれる古代ペルシア語は、この当時すでに解読が困難であった。まして、その最古層に属するガーサー部分は、今日でも解釈に異論があり、確かなことが分からない。ザラスシュトラ自身の教えの言葉が含まれるとされるガーサーは方言の古代ペルシア語で記されおり、一層に解読に問題がある。
ザラスシュトラの教え自体は、生前すでに大きな影響力を持ち、口伝で『アヴェスター』及びその教えや儀式は伝わっていった。アケメネス朝ペルシアの諸代の大王たちはザラスシュトラの教えに帰依していたが、その帝国の住民に、ザラスシュトラの教えを「国教」として強制することはしなかった。
このような状態は、アケメネス朝を滅ぼしたアレクサンドロスの後のギリシア人の王朝であるセレウコス朝、そして再度、ペルシア人自身の王国となったアルサケス朝ペルシア(パルティア王国)においても同様であった。ただ、アルサケス朝では、国教化への準備とも言える、『アヴェスター』の文字化や儀式・祭礼の文書化などが試みられていた。
アルダシールによる突然のアルケサス朝の転覆と、それに続くサーサーン朝ペルシアの成立において、マニ教を弾圧した大神官キルディールなどの活躍により、3世紀半ばになって、ゾロアスター教はサーサーン朝ペルシアの国教となった。
しかし、四百年後、イスラム教の成立とイスラム帝国の勢力拡大により、サーサーン朝は滅び、ゾロアスター教はイスラム教に取って代わられる。しかし、ザラスシュトラの教えの真髄は、イスラム教内部にも浸透しており、シーア派などにザラスシュトラの教えとされる「救世主の再来」の思想が認められる。
ニーチェの時代、ヨーロッパではザラスシュトラの思想は一つの流行となっていた。ニーチェがどこから資料を得たのか不明であるが、後年の研究成果と比較しても、かなり正確な知識を持っていたと思える。ただ、その著作『ツァラトゥストラはかく語りき(Also sprach Zarathustra)』は、ニーチェ自身の思想を、ザラスシュトラに仮託して述べたものであり、ゾロアスター教との相関はほとんどない。ザラスシュトラの教えには、「永劫回帰」などはない。
[編集] ザラスシュトラは一人であったのか
ペルシア(現在のイランとイラク)からインドに移住したゾロアスター教徒(パーシー)の間では、ザラスシュトラは『個人の名称であるという説』と、個人の名前ではなく『代々引き継がれていた称号だという説』がある。
『代々引き継がれていた称号だという説』の場合も、最後のザラスシュトラが大きな宗教改革を行ったという意見であり、強く記憶されているのは最後のザラスシュトラ個人ということになっている。
[編集] 参考書籍
- メアリー・ボイス 『ゾロアスター教』 筑摩書房 ISBN 4480841245
- 伊藤義教 『ゾロアスター研究』 岩波書店 ISBN 4000012193
- 岡田明憲 『ゾロアスター教 神々への賛歌』 平河出版社 ISBN 4892030538
- 岡田明憲 『ゾロアスター教の悪魔払い』 平河出版社 ISBN 4892030821
- 岡田明憲 『ゾロアスターの神秘思想』 講談社 ISBN 4-06-148888-0
- 前田耕作 『宗祖ゾロアスター』 筑摩書房 ISBN 448008777X