ビヨンセ
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ビヨンセ(Beyoncé Knowles 本名:Beyoncé Giselle Knowles 1981年9月4日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州ヒューストン出身の歌手、女優。デスティニーズ・チャイルド初期からのメンバーで、グループではリードシンガー、作詞作曲、プロデューサーも兼ねる。“B(ビー)”という愛称で呼ばれることもある。
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[編集] 来歴
1981年9月4日マシュー・ノウルズ(Matthew Knowles)とティナ(Tina Knowles)の間に、長女として生まれる。フランス系クレオール人の祖先を持つティナは、フランス系の名を付けた。Beyonce(発音は異なる)はティナの旧姓でもあった。7歳ごろのビヨンセはダンス・スクールに通い、教会の聖歌隊員だった。
ビヨンセは地元ヒューストンで「Girl's Tyme」というカルテットを組み、地道な活動をしていた。このグループは大きな成果を得られず、後にグループ名を変え、1998年デスティニーズ・チャイルドとしてデビューする。父マシュー・ノウルズはマネージャー、母ティナはデスティニーズ・チャイルドのファッションデザイナー。この家族経営はほかの第一次デスティニーズ・チャイルドメンバーたちの反感を買い、マネージャーであるマシューを追い出そうとしたメンバーが、逆に追い出され、ビヨンセとケリー以外のメンバー脱退に至ったと言われている。
このころビヨンセはヒューストンでHigh School For The Performing And Visual Artsに通い、音楽の才能を磨いていた。 後にヒューストンのAlief Elsik High Schoolにも通い、2000年に卒業した。
デスティニーズ・チャイルドで成功を感じていたビヨンセは、女優業にも興味を持ち、特に演技の準備もせずMTV でMekhi Phiferと共に、2001年にヒップホペラ(ヒップホップ・オペラの合成語)「カルメン(Carmen: A Hip Hopera)」に出演。これは 1954年ハリー・ベラフォンテとドロシー・ダンドリッジが共演したミュージカル映画「カルメン」のリメイクで、女優としてのデビュー作品になった。
2002年の7月、映画「オースティン・パワーズ・ゴールドメンバー」では、フォキシー・クレオパトラ役でマイク・マイヤーズと共演。また、同映画サウンドトラックにネプチューンズプロデュースによるファースト・ソロ・シングル「ワーク・イット・アウト」を提供するも、イギリスでトップ 10、オランダ、オーストラリアではトップ 40と奮わなかった。アメリカでもラジオでほとんど曲が流れず、PVもMTV、VH1 Soulなどでわずかに露出しただけであった。
同年秋、ボーイフレンドと噂されるジェイ・Zとのスマッシュシングル、「'03 ボニー&クライド('03 Bonnie And Clyde)」を発表。2003年春、ロバータ・フラックとダニー・ハサウェイの名曲を元にした、故ルーサー・ヴァンドロスとのデュエット、「ザ・クローサー・アイ・ゲット・トゥ・ユー(The Closer I Get to You)」を発表。ヴァンドロスがフラックのパートを、ビヨンセはハザウェイのパートを歌い、この曲はビヨンセのデビュー・ソロ・アルバムとヴァンドロスのアルバム「ダンス・ウィズ・マイ・ファーザー(Dance With My Father)」共に収録され、グラミー賞 ベストR&Bパフォーマンス賞のDuo or Group with Vocals部門を共有した。
2003年6月、デビュー・ソロ・アルバム「デンジャラスリィ・イン・ラヴ」をリリースした。ジェイ・Zをフィーチャリングしたファースト・シングル 「クレージー・イン・ラブ(Crazy In Love)」は、8週連続ビルボード・ホット100シングルチャートで1位を記録し、この夏最大のヒットとなった。「デンジャラスリィ・イン・ラヴ」はアメリカ、イギリス、カナダでポップアルバムチャート (ビルボード200)とR&Bアルバムチャートでトップを記録。アルバムはアメリカで400万枚、全世界では800万枚以上のセールスを記録。シングルとアルバムが同時にアメリカとイギリスでポップチャート1位を記録するのは1983年以来、女性では初めて功績だった。(1960年代と1970年代にビートルズ、サイモン・アンド・ガーファンクル、ロッド・ステュアートによって達成)彼女は、2003年最も商業的に成功を収める女性R&B歌手になるまで成長した。2004年はアリシア・キーズに押されて女性で2位に転落したものの、アリシアもビヨンセを超えるほどのセールスを記録することはなかった。
同年テレビ放送で7月4日のアメリカ独立記念日祝典で披露した、「クレージー・イン・ラブ」のパフォーマンスが論争を巻き起こす。彼女がユリシーズ・S・グラント大統領の墓地の階段で、ふさわしくないダンスをしたとグラント・メモリアル協会が憤慨し、グラント大統領のひ孫にあたるユリシーズ・グラント・ディーツとチャップマン・フォスター・グラントはビヨンセの代理人にこの旨を伝えた。チャップマン・グラントは「いまの世の中、あの方法で誰が気にかける?だれが分かるか?年寄りが生きていたら、楽しんだかもしれないが。」とコメントした。
夏の終わりにかけて、ダンスホール・レゲエのショーン・ポールをフィーチャーしたセカンド・シングル「ベイビー・ボーイ(Baby Boy)」はヒットチャートに浮上し、2003年のヒット曲の1つになった。秋はラジオでもヘビーローテーションされ、「クレージー・イン・ラブ」より一週長く9週間1位を記録した。
同年にビヨンセは、パンクト(MTV Punk'd、アメリカ版ドッキリカメラ)に出演。ユニバーサル・スタジオ・ハリウッドで、うっかり巨大ツリーを倒し子供たちのクリスマスプレゼントを台無しにしてしまうどっきりにかかり、騙されていることに気づくまで呆然として言葉を発しなかった。この様子はDVD「パンクト セカンド・シーズン 」に収録、販売されている。
「ベイビー・ボーイ」の成功からまもなく、サード・シングル「ミー、マイセルフ・アンド・アイ(Me, Myself and I)」、続いて翌年にはフォース・シングル「ノーティ・ガール(Naughty Girl)」をリリース。 両曲はビルボード・ホット100でそれぞれ最高4位と最高3位を記録。2004年のグラミー賞授賞式では、ビヨンセはソロ活動でベスト女性R&B ボーカルパフォーマンス賞、ベスト Contemporary R&Bアルバム賞を含む5個のグラミー賞を受賞した。
妹、ソランジュ(Solange Knowles)は2004年アルバム「ソロスター」でデビュー直後、デスティニーズ・チャイルドに加入するとの噂も流れたが、結局メンバーになることはなく、アメリカンフットボール選手のダニエル・スミス(Daniel Smith)との子を妊娠し、結婚する。
2004年キューバ・グッディング・Jrと「ファイティング・テンプテーションズ」に出演。主題歌「ファイティング・テンプテーション」ではミッシー・エリオット、Free、Lyte M.C.をフィーチャリング 。映画はほどほどの興業を納めたが、歌はそれほどヒットしなかった。
2005年9月にリリースされたアルバム「ソー・アメイジング〜オールスター・トリビュート・トゥ・ルーサー・ヴァンドロス(So Amazing: An Allstar Tribute To Luther Vandross)」ではスティーヴィー・ワンダーとのデュエット曲「ソー・アメイジング(So Amazing)」を収録。
また、同年終わり頃に、ビヨンセは著作権窃盗容疑でシンガーソングライターのジェニファー・アーマーという若い少女から告訴される。ジェニファーは楽曲をビヨンセのレーベルに送ったが、許可なく使用された、また2003年にヒットしたビヨンセのシングル「Baby Boy」が自身の曲「Got a Little Bit of Love for You」の歌詞に似ていると主張。2006年10月頃、ヒューストン連邦裁判所は2つの曲が「ほとんど異なる」と原告側の訴えを全面的に却下する判決を下し、ビヨンセは無罪となった。ビヨンセは「今回のような訴訟が起きたことは残念ですが、無罪となって安心しましたし、早く次に進みたいです」とコメントを発表した。
2005年12月、ビヨンセはスリム・サグ(Slim Thug)をフィーチャーしたニューシングル、「チェック・オン・イット(Check On It)」をリリース。 歌はデスティニーズ・チャイルドアルバム「ナンバーワンズ」、映画「ピンクパンサー」サウンドトラックに収録されている。
現在はその容姿が多くの女性達にも羨望され、トミー・ヒルフィガーの香水「トゥルースター」をプロデュースしたりと、「デスティニーズ・チャイルドのビヨンセ」というより、「ビヨンセのデスティニーズ・チャイルド」という認知のされ方に変化してきている。
ヘアスタイルやヘアカラーを頻繁に変え、ロレアルのヘアカラーリング商品でテレビコマーシャルにも出演したが、本人の地毛は短く黒人特有のカーリーヘアである。コマーシャル出演時も含め、PVやメディア露出時はほとんどがウイッグである。
2005年のデスティニーズ・チャイルド解散により、ソロとしての活躍が一層注目される。
[編集] 今後の活動
- 2005年11月に「ハウス・オブ・デレオン(House of Dereon)」(デレオンはビヨンセの祖母の名から)というファッションブランドを母親ティナと共に立ち上げる。それに先駆け、デスティニーズ・チャイルドワールドツアー中の9月9日、ファッション・ロックス・コンサートで実際に服を何着か着て披露した。メイシーズ(アメリカ)などの有名デパートで入手可能。
- ザニア役としてクルーゾー警部役のスティーヴ・マーティンと共演する「ピンクパンサー」が 2006年2月10日アメリカ公開。日本では東宝系で同年5月公開予定。映画の主題歌になっているシングル「チェック・オン・イット feat. スリム・サグ」は5週連続全米1位を記録、PVでは全身ピンクに装ったビヨンセがダンスを披露。ピンク色のヒールブーツは、自身もファンであるBAPEの特注品。
- 2006年9月にセカンド・ソロ・アルバムをリリース予定。
- 人気コーラス・グループ、シュープリームスに基づいた1960年代ミュージカルのリメイク映画「ドリームガールズ」に主演。 ダイアナ・ロスをモデルにしたキャラクター、ディーナ・ジョーンズを演じる。カーティス役にジェイミー・フォックスのほかにエディ・マーフィー、アッシャーなども出演。2006年12月アメリカ公開予定。
[編集] 声
[編集] ソロ業績
- 同時にアメリカ、イギリスでアルバム、シングル共に一位を記録した、初の女性アーティスト。
- アフリカ系アメリカ人の女性で二人目(一人目はダイアン・ウォレン)に、ASCAP ポップ・ソングライター賞を受賞。
- 2003年に最もセールスを記録した女性R&Bアーティスト。
- 2005年にアカデミー賞のベスト・オリジナル・ソング賞にノミネートされた5曲のうち、3曲はビヨンセの曲だった。
- ソロで5つのグラミー賞を獲得し、たった一年でアリシア・キーズ、ノラ・ジョーンズ、ローリン・ヒルを超える記録を打ち立てた。
- 5つのグラミー賞、4つのMTVビデオ・ミュージック・アワード、Brit AwardでBest International Solo Artist など、30以上の賞を受賞した。
- 2005年MuchMusicの「最もセクシーな女性20人」では20位。 前年は1位だった。
- ビヨンセに影響を受けたリアーナに代表される「歌える美形シンガー」が急増した。
[編集] ソロツアー
- デンジャラスリィ・イン・ラヴ ヨーロッパツアー: 2003年
- 46664コンサート(南アフリカのネルソン・マンデラのチャリティー・コンサート。U2からボーノとエッジ、アナスタシアなども参加):2003 年
- The Verizon Ladies ファースト・ツアー(アリシア・キーズ、ミッシー・エリオットも参加): 2004年
[編集] 広告
- ペプシ:ブリトニー・スピアーズ、ピンクとトリオのグラディエーター役でCMに出演し、クイーンの「ウィ・ウィル・ロック・ユー」をカヴァー。
- ロレアル
- サマンサ・タバサ
- マクドナルド(デスティニーズ・チャイルドとして)
- トミー・ヒルフィガー:トゥルー・スター(2004年)、トゥルー・スター・ゴールド(2005年)
[編集] 主な作品
[編集] アルバム
- デンジャラスリィ・イン・ラヴ - Dangerously In Love (2003年)※ソロ・デビューアルバム
- ライヴ・アット・ウェンブリー - Live At Wembley (2004年)
- ビー・デイ - B'Day (2006年9月4日)
[編集] シングル
- ワーク・イット・アウト - Work It Out (2002年)※ソロ・デビューシングル
- デ・ジャ・ヴ feat. ジェイ・Z - Deja Vu featuring Jay-Z (2006年7月)
[編集] 映画
- オースティン・パワーズ・ゴールドメンバー - Austin Powers in Goldmember (2002年)
- ファイティング・テンプテーションズ - The Fighting Temptations (2003年)
- ピンクパンサー - The Pink Panther (2006年)
- ドリームガールズ - Dreamgirls (2006年予定)
[編集] DVD
- パンクト セカンド・シーズン - Punk'd The Complete Second Season (2005年)
[編集] 関連事項
[編集] 外部リンク
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