佐世保市の歴史
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<佐世保市
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佐世保市の歴史(させぼしのれきし)では、現在の長崎県佐世保市に属する地域の歴史を詳述する。なお、行政区域の変遷については親記事を参照されたい。
目次 |
[編集] 概説
「佐世保」の地名の由来については諸説ある。
現在の佐世保市域に人類が住み始めたのは有史以前、遅くとも縄文時代からとみられ、市内には泉福寺洞窟(豆粒文土器が出土)や福井洞穴等の洞穴遺跡が多く存在する。
奈良時代に編纂された肥前国風土記によれば、現在の早岐付近に速来津姫をいただく土蜘蛛と呼ばれる土着豪族があり、景行天皇の命により討伐されたという。
鎌倉時代になると松浦党が北松浦半島周辺に勢力を広げ、室町時代になると本家にあたる宗家松浦氏が相浦付近に武辺城を築いて一帯を支配した。一方、同族のうち現在の市域中心部に拠った者が佐世保城を築き、佐世保姓を名乗った。古文書には佐世保城主として「佐世保清」「佐世保諫」等の名が残っている。戦国時代には平戸松浦氏・宗家松浦氏・大村氏等が激しく争いを繰り広げ、最終的には現市域の大半が平戸松浦氏の支配に帰し(→平戸藩)、そのまま廃藩置県に至った。(宮地区は大村氏(→大村藩)、宇久地区は宇久氏改め五島氏(→福江藩)が支配)
江戸時代には平戸往還が整備され、中里・佐世保・早岐に本陣が置かれた。この当時は相神浦(現在の相浦)と早岐に比較的大きな集落がある以外は農漁村地帯が広がっており、新田開発も各地で行われた。
明治時代に入ると海軍において九州西部に軍港の建設が求められた。いくつかの候補のうちから当時人口千人余りの寒村だった佐世保が適地とされ、鎮守府の設置以後急速に海軍施設と街の整備が進められた。1902年には村から一足飛びに市制を施行、九州でも五指に入る大都市として発展していったが、第二次世界大戦末期に空襲で市中心部が焦土と化し、終戦と海軍解体とともに人口の急減をみた。
戦後、公選初代の市長中田正輔を中心に旧軍港市転換法による佐世保港の商港への転換と九十九島を中心とした西海国立公園の指定による観光地としての基盤整備を図るが、朝鮮戦争勃発とともに米軍を中心とした国連軍の朝鮮戦線に向けての前進基地として再び軍港としての機能を担うことになり、現在まで米軍及び海上自衛隊を中心とした軍港としての機能と商港としての機能の棲み分けが大きな課題となっている。
[編集] 年表
[編集] 明治以前
- 1457年(長禄元年)
- 宗家松浦氏第13代当主の松浦親(武辺城主)、朝鮮と年1回の歳遣船派遣について条約を結ぶ。
- 1563年(永禄6年)
- 宗家松浦氏が平戸松浦氏に降る。
- 1650年(慶安3年)
- 1784年(天明4年)
- 福石観音堂、平戸藩主松浦清(静山)により再建される。
- 1812年(文化9年)
- 伊能忠敬が平戸藩領沿岸を測量、相神浦(現在の佐世保市相浦)で文化10年の新年を迎える。
[編集] 明治・大正時代
- 1889年(明治22年)
- 海軍佐世保鎮守府が開庁する。
- 1897年(明治30年)
- 1898年(明治31年)
- 1902年(明治37年)
- 黒島天主堂竣工。
- 4月1日:市制施行。
- 1905年(明治38年)
- 1920年(大正9年)
[編集] 昭和時代
- 1931年(昭和6年)
- 12月8日:三浦町教会天主堂竣工、献堂式が行われる。
- 1941年(昭和16年)
- 1945年(昭和20年)
- 1946年(昭和21年)
- 1947年(昭和22年)
- 7月4日:アメリカ独立記念日、軍楽隊を先頭に米軍が市内を行進。
- 1948年(昭和23年)
- 9月11日:全市豪雨水害、死者71名、負傷701名、床上浸水5,762戸。
- 1949年(昭和24年)
- 1950年(昭和25年)
- 1952年(昭和27年)
- 3月:日米行政協定により米海軍基地に指定。
- 1953年(昭和28年)
- 1954年(昭和29年)
- 1955年(昭和30年)
- 1956年(昭和31年)
- 1957年(昭和32年)
- 1958年(昭和33年)
- 12月23日:NHK佐世保テレビ局開局。
- 1959年(昭和34年)
- 1961年(昭和36年)
- 5月25日:佐世保市亜熱帯動植物園開園(県内初の本格的動植物園施設)。
- 1964年(昭和39年)
- 1965年(昭和40年)
- 1966年(昭和41年)
- 1967年(昭和42年)
- 1968年(昭和43年)
- 1969年(昭和44年)
- 1970年(昭和45年)
- 1971年(昭和46年)
- 1973年(昭和48年)
- 泉福寺洞窟から世界最古の土器、豆粒文(とうりゅうもん)土器が発見される。
- 1974年(昭和49年)
- 1976年(昭和51年)
- 1977年(昭和52年)
- 1978年(昭和53年)
- 1980年(昭和55年)
- 7月1日:「米海軍佐世保弾薬廠」は、4年ぶりに「米海軍佐世保基地」に復活。
- 1983年(昭和58年)
- 佐世保市博物館島瀬美術センター竣工。
- 3月21日:米空母エンタープライズ再入港(5日間寄港)。約3億4千万円の特需。
- 1984年(昭和59年)
- 1985年(昭和60年)
- 8月:アメリカ色を前面に打ち出した西海アメリカンフェスティバルが、3日~4日の2日間米海軍佐世保基地「ニミッツパーク」で開かれ約20万人の人出となる。以後恒例行事となるが、2003年以降はアメリカ同時テロの余波で中止。
- 1986年(昭和61年)
- 5月3日:浦頭引揚記念平和公園が完成、記念式典に1,600人が出席。
- 1988年(昭和63年)
[編集] 平成時代
- 1989年(平成元年)
- 1992年(平成4年)
- 1993年(平成5年)
- 12月定例市議会よりテレビ佐世保において本会議の中継を開始。
- 1994年(平成6年)
- 1996年(平成8年)
- 7月19日:「世界(炎)博覧会」が開幕。市内には三川内、ハウステンボスの2ヶ所のサテライト会場が開かれた。※(炎)は火を3つ重ねた字を使用。
- 11月:第1回きらきらフェスティバル開催。
- 1998年(平成10年)
- 2000年(平成12年)
- 11月:YOSAKOIさせぼ祭りが「おくんちさせぼ祭り」から独立して単独開催開始。
- 2001年(平成13年)
- 3月1日:市内三浦町に多目的ホールアルカスSASEBOがオープン。
- 2002年(平成14年)
- 市制100周年を迎え、全国豊かな海づくり大会等の各種記念事業を行う。
- 2003年(平成15年)
- 2月26日:ハウステンボスが会社更生法適用申請。
- 7月28日:平成15年度全国高等学校総合体育大会(2003年長崎ゆめ総体)開会。佐世保市では女子バレーボールほか5競技を行う。
- 2004年(平成16年)
- 2005年(平成17年)
- 1月10日:一般世帯のごみ収集を有料化。指定ごみ袋とごみ処理券(一定数まで無料配布、超過分有料)の組み合わせによる全国でも珍しい方式での導入となった。
- 2006年(平成18年)
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