全国高等学校クイズ選手権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
全国高等学校クイズ選手権(ぜんこくこうとうがっこう クイズせんしゅけん)は、日本テレビ系列(NNN)で毎年8~9月頃に放送されているクイズ番組。通称・高校生クイズ。
目次 |
[編集] 概要
同局の看板番組『アメリカ横断ウルトラクイズ』(1977年~1992年、1998年)のスペシャル版『ウルトラクイズ 史上最大の敗者復活戦』が1982年12月31日に日テレ開局30年記念特別番組として企画・放送された。 これが好評だったことに加え、参加規定により『ウルトラクイズ』に出場できない高校生から番組宛に要望が強かったことから、『史上最大の敗者復活戦』のノウハウを生かして、「知力、体力、チームワーク」をキャッチフレーズに『ウルトラクイズ』の弟番組として『ウルトラスペシャル 全国高等学校クイズ選手権』が1983年12月31日に初めて放送された。以降、1984年と翌1985年は夏と冬の年2回開催・放送(夏の大会は8月下旬、冬の大会は大晦日に放送された)。1986年の第6回からは夏季の年1回の開催・放送となっている(テレビ放送は例年、8月下旬~9月上旬。"金曜ロードショー"の枠で2時間30分放送している)。 兄貴分『ウルトラクイズ』が1992年をもって終了した後も、独自の演出と壮大な規模で毎年開催されており、"クイズの甲子園"として定着している。毎回、全国各地で開催される地方大会と、それらを勝ち抜いた代表校による全国大会を経て優勝校を決定する。
2000年の第20回以降は番組タイトルに、略称である『高校生クイズ20XX(西暦年)』や『第○回高校生クイズ』をメインに使用している。ただし、ナレーションや予選会場での開会宣言では現在でも正式名称である「第○回全国高等学校クイズ選手権」を使用している。
近年では、第23回(2003年)と第24回(2004年)で芸能人の多用など番組の刷新を目指した。しかし、従来の路線とかけ離れていたこと(挑戦者たちの悔しさを映し出すというような今までの敗者の扱い方とは、大きく異なる扱いをした等)により、視聴者の批判が相次いだ。
2005年の第25回ではある程度当初の内容への回帰を試みたものの、視聴率はわずか9.7%。NHK紅白歌合戦や日本レコード大賞等が裏番組である第1回をも下回った。それと同時に地区大会の参加人数が大幅に激減した。
2006年に第26回大会が開催され9月1日に放送。過去の番組スタンスを固持し、一方でメインパーソナリティーにオリエンタルラジオを起用するなど高校生の目線で感動や涙を伝えることを目指した。地方大会・全国大会等でもスケールや規模を重視したクイズを実施し、結果視聴率は13.6%に回復した。視聴者やファンからも「感動した」「このスタンスで番組を継続してほしい」等の声も多く、視聴率回復と視聴者からの信頼回復を達成できた大会でもあった。
福留がかつてTV情報誌「テレパル」において、「局の都合で番組を終わらせたくない」と語っていたが、現在のところこの思いは守られていることになる。また、視聴率が回復していることや、『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』『鳥人間コンテスト選手権大会』同様に日本テレビの夏の名物番組・看板番組であることから、今後も番組終了の可能性は低い。
キャラクターには、スポンサーのライオン君のほかに、首をかしげる怪獣型オリジナルキャラクター「QUIZRA(クイズラ)」が存在する。ただし番組できちんと触れられたわけではなく、キャラをよく見るとそう書いてあるだけのことである(ただ、放送はされていないが予選で福留が「クイズラのアドバルーン」という表現を使ったことがある)。 当初の番組ロゴマークは、冬の大会ではクイズラが描かれ、夏の大会ではライオン君がクイズラの肩に手をかけているものになる。現在は「?」の中に「高校生クイズ」と書かれた新しいロゴマーク(1996年に登場)を使うのが主流になっているが、現在も折りたたみ式早押し解答席などで旧ロゴマークが使用されており、地方大会でもアドバルーン等でクイズラが使用されている。
なお、経済産業省・日本立地センター主催で2001年~2005年まで行われていた「高校生エネルギークイズ選手権大会」は、この大会と一切関係がない。
[編集] 歴代総合司会
- 初代・福留功男(第1回・1983年~第10回・1990年)「青春真っ只中、(みんな)燃えているか!!」
- 「アメリカ横断ウルトラクイズ」の進行経験を活かして、「高校生クイズ」でも第1回から支え、番組の爆発的人気を生んだ。
- 第21回で11年ぶりの再登場。東西に分けて行われた全国大会1回戦で東軍の司会を担当した。「業界40年、高校生クイズ生みの親、クイズに24年の人生を懸けた、人呼んで"留ジィ"とはオレのことだぁ!」との言葉で高校生の前に登場した。
- 2代目・福澤朗(第11回・1991年~第20回・2000年)「ファイヤー!!」(時々「みんな、(青春の炎は)燃えているか!!」も)
- 3代目・"ラルフ"鈴木崇司(第21回・2001年~現在)「POWER!!」
- 総合司会着任前には、第18回の事前番組「裏高校生クイズ」に出演。運大王代表で上京した9チームに密着した。
- 第21回の全国大会1回戦は2人の先輩司会者が担当したため出番なし。2回戦からの担当となった。
- 第26回ではFIFAワールドカップの取材の為、沖縄大会のみ菅谷大介アナウンサーが代理司会を務めた。このような代役は、1984年の2大会で北海道・中部・中国・四国岡山の予選に福留が行かなかった時以来(84年冬の第3回では、北陸と日程が重なった近畿にも行っていない)。
[編集] 歴代スタジオ司会・リポーター・ゲスト
- 徳光和夫(日本テレビ/スタジオ司会・第1回、第3回/レポーター・第1回~第2回、第6回~第7回/事前番組司会・第7回)
- 小林完吾(日本テレビ/スタジオ司会・第1回/事前番組司会・第6回)
- 深堀恵美子(日本テレビ/スタジオ司会・第1回)
- 羽川英樹(よみうりテレビ/近畿大会司会・第1回、第3回/近畿大会レポーター・第4回~第7回)
- 三沢光晴(関東・関西大会ゲスト・第1回)
- ターザン後藤(関東・関西大会ゲスト・第1回)
- グレート小鹿(関東・関西大会ゲスト・第1回)
- 大熊元司(関東・関西大会ゲスト・第1回)
- 佐藤蛾次郎(全国大会ゲスト・第1回)
- 和久井薫(札幌テレビ/北海道大会司会・第2回~第3回)
- 伊藤ひでじ(中京テレビ/中部大会司会・第2回~第3回)
- きくち教児(中部大会レポーター・第2回~第7回/事前番組レポーター・第7回)
- 山崎達也(西日本放送/四国・岡山大会司会・第2回~第3回)
- 脇田義信(広島テレビ/中国大会司会・第2回~第3回/事前番組レポーター・第7回)
- 横森良三(関東大会敗者復活戦・第2回)
- アグネス・チャン(スタジオ司会・第3回)
- 中畑清(スタジオゲスト・第3回)
- 江川卓(スタジオゲスト・第3回)
- 日高充(ミヤギテレビ/東北大会レポーター・第3回、第5回/事前番組レポーター・第7回)
- いかりや長介(スタジオ司会・第5回)
- 三田寛子(スタジオ司会・第5回)
- 梶原茂(文化放送/スタジオ司会・第5回/ヘリコプター中継・第6回~第10回)
- 所ジョージ(事前番組司会・第6回)
- 高見知佳(事前番組司会・第6回)
- 一節太郎(敗者復活戦・第6回)
- 早見優(関東大会ゲスト・第7回)
- 島田紳助(事前番組司会・第7回~第13回)
- 向井亜紀(事前番組司会・第7回)
- 森中慎也(札幌テレビ/事前番組レポーター・第7回/東軍レポーター・第8回/知床コース進行・第25回)
- 荒勢(体力コースMC・第7回)
- 海老一染之助・染太郎(全国大会ゲスト・第7回)
- 古賀ゆきひと(福岡放送/西軍レポーター・第8回)
- 熊谷真実(事前番組司会・第9回/事前番組ゲスト・第21回)
- 小倉淳(日本テレビ/事前番組司会、レポーター・第9回)
- 森きく子(静岡第一テレビ/事前番組レポーター・第9回)
- 志生野温夫(事前番組実況・第9回)
- 永井美奈子(日本テレビ/事前番組レポーター・第9回/事前番組司会・第13回)
- 笑福亭笑瓶(事前番組レポーター・第9回/大王のしもべ・第15回)
- ポップコーン(事前番組レポーター・第9回)
- 細川隆一郎(知力コースMC・第7回、第10回)
- 鈴木君枝(日本テレビ/知力コースMC・第10回)
- アントン・ウィッキー(知力コースゲスト・第10回)
- 蔵間(体力コースMC・第10回)
- 堀敏彦(運コースMC・第10回/テレビ新潟入社後/北陸大会レポーター・第19回)
- 吉村明宏(運コースMC・第10回)
- 松澤一之(事前番組レポーター・第10回)
- 桂小枝(近畿大会レポーター・第11回)
- 水野晴郎(準々決勝MC・第11回)
- 島崎俊郎(事前番組レポーター・第11回)
- 豊田順子(日本テレビ/事前番組レポーター・第11回/準決勝面接官・第23回)
- 久本雅美(事前番組司会、レポーター・第12回~第13回)
- 須田開代子(敗者復活戦解説・第13回)
- 小林亜星(1回戦審査員・第14回)
- 清水ミチコ(1回戦審査員・第14回)
- 荒井注(サスペンスクイズ刑事役・第14回)
- 梅垣義明(サスペンスクイズ容疑者役・第14回)
- 中村有志(サスペンスクイズ容疑者役・第14回)
- 神田利則(サスペンスクイズ容疑者役・第14回)
- 林キセ子(サスペンスクイズ被害者役・第14回)
- 清水圭(事前番組レポーター・第15回/事前番組ゲスト・第21回)
- 宝田明(地獄の大王・第15回)
- 安岡力也(松尾芭蕉役・第16回)
- オセロ(芭蕉の弟子役・第16回)
- ラッシャー板前(金魚売り・第16回)
- 中山エミリ(サスペンスクイズ被害者役・第16回)
- 峰竜太(サスペンスクイズ刑事役・第16回)
- 立河宜子(サスペンスクイズ犯人役・第16回)
- 石田靖(近畿大会YES-NOクイズMC・第17回)
- 辻本茂雄(近畿大会YES-NOクイズMC・第17回)
- 島木譲二(近畿大会YES-NOクイズMC・第17回)
- 山田花子(近畿大会YES-NOクイズMC・第17回)
- モストデンジャラスコンビ(近畿大会準決勝MC・第17回)
- 大神いずみ(日本テレビ/事前番組司会・第17回)
- TOKIO(1回戦出題・第17回)
- 松井秀喜(1回戦出題・第17回)
- 猿岩石(1回戦出題・第17回)
- 遠藤久美子(1回戦出題・第17回)
- つぶやきシロー(1回戦出題・第17回/1回戦面接官・第19回)
- 海砂利水魚(運大王ナビゲーター・第17回)
- 山口達也(TOKIO)(サスペンスクイズ刑事役・第17回)
- 神田うの(サスペンスクイズ刑事役・第17回)
- 藤森夕子(サスペンスクイズ被害者役・第17回)
- 光浦靖子(サスペンスクイズ容疑者役・第17回)
- 大木凡人(サスペンスクイズ容疑者役・第17回)
- 高知東急(サスペンスクイズ容疑者役・第17回)
- 東海林のり子(サスペンスクイズレポーター役・第17回)
- 山田まりや(事前番組ゲスト・第18回)
- 羽鳥慎一(日本テレビ/クイズ結婚式司会・第18回/敗者復活戦・第19回/司会代行・第20回)
- 林家ペー・林家パー子(クイズ結婚式ゲスト・第18回)
- 矢島学(日本テレビ/クイズお葬式レポーター・第18回)
- 石原慎太郎(東京都知事/スペシャルゲスト・第19回)
- 村野武範(1回戦面接官・第19回)
- 小川光明(日本テレビ/1回戦面接官・第19回)
- 井田由美(日本テレビ/1回戦面接官・第19回)
- 中島誠之助(鑑定クイズ判定員・第20回)
- 石原良純(事前番組ゲスト・第21回)
- 松村邦洋(事前番組ゲスト・第21回)
- 島崎和歌子(事前番組ゲスト・第21回)
- 佐藤仁美(事前番組ゲスト・第21回)
- Take2(事前番組ゲスト・第21回)
- ジョーダンズ(事前番組ゲスト・第21回)
- 小倉久寛(事前番組レポーター・第21回)
- 爆笑問題(番組パーソナリティ・第23回~第24回)
- 河村亮(日本テレビ/準決勝面接官・第23回)
- 菅谷大介(日本テレビ/準決勝面接官・第23回/沖縄大会司会・第26回)
- 長井秀和(札幌大会サポーター・第24回)
- マギー審司(仙台大会サポーター・第24回)
- 青木さやか(名古屋大会サポーター・第24回)
- キングコング(大阪大会サポーター・第24回)
- はなわ(福岡大会サポーター・第24回)
- 菊川怜(1回戦出題・第24回)
- 米村でんじろう(1回戦出題・第24回)
- KABA.ちゃん(敗者復活戦MC・第24回)
- 橋下徹(知の壁・第24回)
- 平沢勝栄(知の壁・第24回)
- 大槻義彦(知の壁・第24回)
- 猪瀬直樹(準決勝面接官・第24回)
- テリー伊藤(準決勝面接官・第24回)
- 神田川俊郎(準決勝面接官・第24回)
- 宮里藍(関東大会出題・第25回)
- 谷亮子(九州大会出題・第25回)
- 仲間由紀恵(沖縄大会出題・第25回)
- 蛯原哲(日本テレビ/京都コース進行・第25回)
- 炭谷宗佑(日本テレビ/東京コース進行・第25回)
- 長澤まさみ、斉藤祥太、斉藤慶太(関東大会サポーター・第25回 <映画タッチとのコラボレーション>)
- オリエンタルラジオ(番組パーソナリティ・第26回)
[編集] 歴代ナレーター
初期は司会者である福留が兼任していた。同様に、第18回~第20回では福澤が、第21回・第22回では鈴木がそれぞれ全編もしくは大部分のナレーションを担当した。
- 梶原茂(文化放送/第6回~第10回)
- バンブー竹内(文化放送/第11回~第14回)
- 沼尾ひろ子(第13回)
- 川平慈英(第15回)
- バッキー木場(第16回・第17回)
- キャロル久末(第16回)
- 魚住りえ(日本テレビ/準決勝のみ・第22回)
- 奥田民義(第23回・第24回)
- 勝俣州和(第25回)
- 佐藤政道(知床コースのみ・第25回)
- 大杉君枝(日本テレビ/京都コースのみ・第25回)
- 平野義和(第26回)
- 大神いずみ(敗者復活戦のみ・第26回)
[編集] メインテーマ曲
- 1.「Hollywood」(トランペット奏者メイナード・ファーガソンの演奏) ※第1回(1983年)~第19回(1999年)まで(第2回、第17回を除く)、第26回(2006年)
- 2004年9月、この「Hollywood」を収録したファーガソンのLP『HOLLYWOOD』がCD化された。
- ファーガソンは『アメリカ横断ウルトラクイズ』のメインテーマ曲も演奏している。
- また、同曲は男子プロゴルフ『中日クラウンズ』のテレビ中継テーマ曲としても使われていた。
- 2.「Hollywood」(1.の番組オリジナルアレンジ版) ※第20回(2000年)~第22回(2002年)、第25回(2005年)、第26回(2006年)
- メイナード・ファーガソンが逝去した2006年の第26回は、2の前奏部分の後に1の本編をつなげて放送した。
- 3.「僕らだけの歌」(ロードオブメジャー) ※第23回(2003年)
- 4.「Happy Days」(大塚愛) ※第24回(2004年)
[編集] (オープニング曲として)
- 1.「アクセル」(吉川晃司) ※第16回(1996年)オープニングソング
- 2.「やってやろうじゃない」(佳苗) ※第17回(1997年)オープニングテーマ
[編集] (エンディング曲として)
- 1.「心のさざめき」(ピエール・ポルト・オーケストラ) ※第15回(1995年)まで(第2回を除く)
- 2.「every little thing every precious thing」(LINDBERG) ※第16回(1996年)エンディングソング
- 3.「指でさようなら」(谷口崇) ※第17回(1997年)エンディングテーマ
[編集] (イメージソングとして)
- 1.「Standing on the Rainbow」(THE CHECKERS) ※第8回(1988年)
- 2.「未来はきみのもの」(熊谷幸子) ※第12回(1992年)
- 3.「Teenage dream」(DEEN) ※第15回(1995年)
[編集] (応援ソングとして)
[編集] BGM・SE
- YES-NOクイズ(現○×クイズ)で移動するときのBGMに関しては、1996年の第16回まで同じだった(第2回のみ異なる)ものの、1997年の第17回以降は、ほぼ毎回変わっている。だが、第25回の放送では、第16回以前のBGMが再び使用された(ただし現場では別の曲が使用されていた)。
- 問題出題時のSEは1995年以降、いくつかの新しいSEが登場しており、近年では場面によって複数の種類のSEが使い分けられていることもある。早押しボタンSE、正誤判定のSEなどは当初のもののままで、現在までにいたって使用されている。特に早押しと正誤判定のSEについてはアメリカ横断ウルトラクイズの後期と共通であり、日本テレビの番組で単発のクイズの企画をするときは必ずこの音を使うことになっているようで、収録時に別のチャイムを使っていながら、アフレコでこのSEにしている例も多々見られる。
[編集] スポンサー
- 第2回と第4回(1984年・1985年 夏の大会)、そして第6回(1986年)から現在まで、番組のスポンサーは大手生活用品メーカー・ライオンとライオングループ各社である。独占提供していた時期もあった(この頃は、「いただきます」のものよりはるかに豪華なアニメーションを使った、この番組でしかみられないスポンサークレジットが使われた)が、現在はライオングループを含めベネッセコーポレーション・進研ゼミ高校講座(準・筆頭スポンサー)、サントリー・三井生命・日清食品などの複数社提供となり(過去には大塚製薬(元:準・筆頭スポンサー)や東洋水産などがスポンサーになっていた時期があった)、毎回の番組名は『ライオンスペシャル 第○回全国高等学校クイズ選手権』となっている。
- また、冬の大会に関しては第1回(1983年)はレギュラー時のスポンサーが中心だったが、第3回(1984年)では日産自動車と一部のレギュラー時のスポンサー、第5回(1985年)も日産自動車と日産グループを中心とする提供だったが、タイトルは「ウルトラスペシャル」となっていた。しかし、1986年からの夏大会一本化などの理由で廃止となった。年2回の開催はスタッフの負担が重いため、当初は冬季への一本化が検討されたが(各地の予選での風景に変化があるため)、ライオンがスポンサー継続の強い意向を示したため、夏季のみの開催となった。
- ライオンがスポンサーになるきっかけは、第1回の放送を見た当時の社長の妻の進言だったという。
[編集] 番組内容
同一高校に通う3人1組でチームを結成し、地区大会に参加する。地区大会は、全国各地で『ウルトラクイズ』の規模に引けをとらない人数の挑戦者が集合して行われる(実際に「世界一挑戦者の多かったクイズ番組」としてギネスブックに記載)。そこで地区大会代表(都道府県代表チーム)を決定し、全国大会を実施、高校生のクイズの頂点を決める。
出場資格は同一高校または高専(高等専門学校)に通う3人1組(男女・学年・学科混成可)。同一校からは何チームでも出場可能であり、部活動等にも関係なく参加できる。全日制・通信制高校については18歳までで、定時制高校については年齢上限なし。また、修業年限5年の高専生については3年生まで出場可能。公式サイトの「参加の流れ」には、定時制高校の年齢上限がないことが書かれているのみで、他の高校の年齢の上限は書かれていないが、定時制以外の高校生については上限があることに注意。この規定に則り、当時、東京都内の定時制高校に通っていた現国会議員の元プロレスラー大仁田厚が中年高校生らとともに予選に出場したことがある。第23回では定時制で初めて中村高(高知)が全国大会進出を果たした。第2回では、日本語がほとんど話せない外国人留学生のいるチームが全国大会に進出した。
[編集] 地区大会
[編集] 概要
「全国高等学校クイズ選手権」と銘打っているだけあり、日本全国47都道府県をいくつかの地区に分割し「地区大会」として全国大会出場をかけた予選が行われている。
[編集] 選出方法
- 第1回(1983年)から第5回(1985年)までは各地区大会ごとに出場枠が決められていた(各地区代表制)。
- 第6回(1986年)からは北海道、東北、北陸、関東、中部、近畿、中国、四国・岡山、九州、沖縄の全10大会を開催して47都道府県別代表制を選抜する方式に変更され、第22回(2002年)まで長く続けられた。その後の第25回(2005年)でも再びこの方式で実施された。
- 各地区大会に該当する都道府県は以下の通り
- 第23回(2003年)では札幌、仙台、東京、名古屋、大阪、福岡の全6大会に再編され、第1回~第5回に近い各地区代表制を採用した。第24回(2004年)でも同様の編成により予選が開催された。
- 第26回(2006年)では前年の全10大会方式から更に、東北(北東北大会-青森県・岩手県・秋田県、南東北大会-山形県・宮城県・福島県)、九州(北九州大会-福岡県・佐賀県・長崎県・大分県、南九州大会-熊本県・宮崎県・鹿児島県)が南北2つに分かれて予選が行われ、全12大会・47都道府県別代表制で全国大会が実施された。
[編集] 色
第6回(1986年)~第22回(2002年)および第25回(2005年)~では大会運営上、複数県の代表を決定する地区大会において、挑戦者の通学する学校が存在する都道府県を特定の色で識別している。
大会名 | 緑 | 赤 | 黄 | 青 | 橙 | 桃 | 白 | 紫 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
東北大会 | 青森県 | 秋田県 | 福島県 | 山形県 | 岩手県 | 宮城県 | ||
北陸大会 | 石川県 | 福井県 | 新潟県 | 富山県 | ||||
関東大会 | 山梨県 | 栃木県 | 群馬県 | 茨城県 | 千葉県 | 神奈川県 | 埼玉県 | 東京都 |
中部大会 | 長野県 | 静岡県 | 三重県 | 岐阜県 | 愛知県 | |||
近畿大会 | 和歌山県 | 滋賀県 | 奈良県 | 京都府 | 兵庫県 | 大阪府 | ||
中国大会 | 鳥取県 | 島根県 | 山口県 | 広島県 | ||||
四国・岡山大会 | 愛媛県 | 高知県 | 徳島県 | 香川県 | 岡山県 | |||
九州大会 | 宮崎県 | 佐賀県 | 長崎県 | 鹿児島県 | 大分県 | 熊本県 | 福岡県 |
- この色分けは○×クイズでののぼりの色や、○×クイズを勝ち抜けた高校生がつけるゼッケンの色に相当する。この色分けは、初めて県別代表制が行われた第6回において、各地区で応募者の少ない順に緑→赤→黄→青→橙→桃→白→紫と決められた。たまたま第6回の東北大会が岩手県が会場だったため、岩手は人数の多い橙になっている。逆に愛媛はこの回だけたまたま人数が少なくて緑になった。また、宮崎が緑なのは宮崎緑とは関係ない。北海道大会・沖縄大会については、単一の道県のため、色分けがない。ただし全国大会で各都道府県の区別をするために「北海道」「沖縄」というのぼりが必要になった場合、北海道は緑、沖縄は橙。北海道・沖縄の決勝戦は概ね5チームで行われ、赤・青・黄・緑・橙の5色が参加者のゼッケンに使用される。
- 第17回(1997年)より地方大会で使用されるゼッケンが変更され、東京の高校生が使用するゼッケンの色が「紫」から「水色」に変更されている。
- 第8回(1988年)の北海道大会では、YES-NOクイズの通過が、札幌市の学校から10チーム、札幌市以外の学校(番組では「全道(連合)」と称した)から10チームという趣向で行われた(札幌のチームばかり勝ちすぎるという声があったため)。この時は「札幌」という青ののぼりと横断幕、「全道」という黄ののぼりと横断幕を使った。
[編集] 予選形式
- 予選1回戦は全国統一で○×クイズ(第20回(2000年)まではYES-NOクイズと呼ばれていた)を行い、規定チーム数が決定するまで繰り返されていた(第17回(1997年)と第18回(1998年)ではチーム数ではなく問題数を限定し、全問正解したチームは無条件で次のクイズに進めた。また、第19回(1999年)は、7問出題し正解数の上位チームが勝ち残った)。
- ○×クイズ以降は、その地方にあった趣向を凝らしたクイズが行われていた。
- 第6回(1986年)から第16回(1996年)までは、YES-NOクイズを勝ち抜けたチームに対して「全国統一ペーパークイズ」が実施されていた。これは全国大会に進出した際に、出場チームの力量を測るのにも用いられていた(第10回(1990年)優勝校・札幌西高校や、第13回(1993年)優勝校・ラ・サール高校等は、このペーパークイズでNo.1の成績を残していた)。第6回で全国トップの成績だったのは奈良高校だったが、このチームを予選で破った東大寺学園が全国優勝した。
- 各地区の決勝戦では、数々の名物クイズが誕生した。
- 北海道大会では、名産の馬鈴薯を使用したクイズ(規定の重さの馬鈴薯を解答席まで手押し車で運ぶ、荷カゴに積む、等。途中様々な障害物があり、転倒する挑戦者たちが全国大会OA時のオープニングを飾った)。
- 九州大会では、有明海を使用して「干潟ドロンコクイズ」が良く行われていた(収録時間が長引き、満潮時間を迎え「海水浴クイズ」と呼ばれたこともあった)。
- 沖縄大会では砂浜が会場に指定されることが多く、その砂浜に特設されたプールの上を滑る「ウォータースライダークイズ」が良く行われていた。
- 東北大会では、仮名で書かれた俳句の一部が見えて、全体を推理する「俳句クイズ」が2度行われたが、なぜか2度とも相馬高校の生徒が大ボケの解答を連発し、一躍有名になった。第6回のメンバーはこれがきっかけで欽ドン!ハッケヨーイ笑った!のレギュラー出演者になった。
- 第23回(2003年)からは、地区予選の他に新たな予選形式として、「新聞クイズ予選」、クイズの実力は未知数ながら一発芸に秀た高校生を募集する「一芸予選」、インターネットを駆使した「インターネット予選」が導入された。この回ではこれらの予選が地区大会の前に行われたため、史上初めて、地区大会に参加せずに全国大会に出られることになった。この回の決勝進出チームはいずれも地区大会に参加していなかった。
- 第24回(2004年)では前回大会をさらに改変し、地区大会では頭脳・肉体バランス・肉体パワーといった趣向の異なる3種類のクイズに挑み、それぞれの分野から地区代表を選出した。また携帯電話を使用した「ケータイ予選」、「一芸予選」を実施した。
- 第25回(2005年)では「一芸予選」・「ケータイ予選」が廃止、地区大会へ一本化された。
- 第26回(2006年)は、基本的に前年同様の地区大会制。ただし、地区大会への参加が難しい離島在住の高校生の為に、FAX送信で解答する「島特別大会」が開催された(可能であれば、地区大会にも参加出来るので、離島の高校生は実質2度チャンスがある)。
[編集] 全国大会出場枠の変遷
(ブロック数は地方大会のみカウント、1~5回、23・24回の()内の数字は各地区出場枠、都道府県名は特別な区分のみ、23、24回の県名の【】は2会場から選択可能なことを示す)
- 第1回 - 8ブロック・37チーム 北海道(3)、東北(4)、北陸(2)、関東(11)、中部(5)、近畿・山陰(4、近畿+鳥取・島根)、山陽・四国(3、四国・岡山+広島)、九州(3+再予選2=5、九州+山口・沖縄)
- 第2回 - 8ブロック・37チーム 北海道(3)、東北(4)、関東(11、関東+新潟)、中部(5)、近畿・北陸(5、近畿+富山・石川・福井)、中国(3)、九州・沖縄(4)
- 第3回 - 9ブロック・40チーム 北海道(3)、東北(4)、北陸(2)、関東(10、関東+山梨)、中部(4)、近畿(5)、四国・岡山(3)、中国(3)、九州(4) 特別ブロック 北海道・道立天売高等学校(1) 鹿児島・県立沖永良部高等学校(1)
- 第4回 - 9ブロック・40チーム 北海道(3)、東北(4)、北陸(2)、関東(12、関東+山梨)、中部(4)、近畿(5)、四国・岡山(3)、中国(3)、九州・沖縄(4)
- 第5回 - 9ブロック・40チーム 北海道(3)、東北(4)、北陸(2)、関東(10、関東+山梨)、中部(4)、近畿(5)、四国・岡山(3)、中国(3)、九州・沖縄(4) 特別ブロック 北海道・道立利尻高等学校(1) 沖縄・県立久米島高等学校(1)
- 第6回~第22回、第25回 - 10ブロック・49チーム 北海道、東北、北陸、関東、中部、近畿、四国・岡山、中国、九州、沖縄(各府県1代表、北海道、東京は2代表)
- 第8回 - 10ブロック・50チーム(東京が3枠、北海道が2枠、他の府県は1枠)
- 第23回 - 6ブロック・30チーム 札幌(2)、仙台(3)、東京(5、関東+山梨・新潟)、名古屋(4、中部+【富山、石川、福井】)、大阪(4、近畿+鳥取・徳島・香川・岡山・【富山・石川・福井・広島・高知・愛媛・島根】)、福岡(3、九州+沖縄・山口・【広島・島根・高知・愛媛】)、新聞クイズ(1)、一芸(2)、インターネット(6)
- 第24回 - 6ブロック・30チーム 札幌(3)、仙台(3)、東京(6、関東+山梨・新潟)、名古屋(4、中部+【富山、石川、福井】)、大阪(5、近畿+鳥取・徳島・香川・岡山・【富山・石川・福井・広島・高知・愛媛・島根】)、福岡(4、九州+沖縄・山口・【広島・島根・高知・愛媛】)、一芸(2)、ケータイ(3)
- 第26回 - 12ブロック・49チーム 北海道、北東北、南東北、北陸、関東、中部、近畿、四国・岡山、中国、北九州、南九州、沖縄(各府県1代表、北海道、東京は2代表)
[編集] 全国大会出場校の増加分
- 第17回~第22回、第26回は下記の条件により全国大会出場校が増加した。
- 第17回 - 10ブロック・56チーム(「運大王」導入。北陸、中部、近畿、九州、沖縄から各1、関東は2)
- 第18回 - 10ブロック・59チーム(前年に続き「運大王」実施。全10地区から1チームずつ)
- 第19回 - 10ブロック・51チーム(特別ブロックとして、埼玉と佐賀の両県1校から1チームずつ)
- 第20回 - 10ブロック・50チーム(和歌山大会を実施した関係で和歌山から2チーム)
- 第21回 - 10ブロック・50チーム(21世紀枠として東京・私立桜蔭高等学校が出場)
- 第22回 - 10ブロック・50チーム(アメリカ代表、1チームを設置)
- 第26回 - 12ブロック・50チーム(島ブロック代表、1チームを設置)
- 詳細は次の通りである。
- 第3回(1984年冬)と第5回(1985年冬)では、北海道と鹿児島・沖縄の離島に1校ずつ計2校の特別ブロックを設けた。学校全体でクイズを行い、その中から代表3名が全国大会へと進出した。
- 第8回(1988年)では、東京の出場枠が通常の「2」から「3」になった。これは、全国大会の1回戦を1対1の対戦にするために代表校を偶数にする必要があったため。
- 第17回(1997年)、第18回(1998年)では、地方大会のクイズ終了後に「運大王」という敗者復活があり、くじ・名前ビンゴ等で最後まで残ったチームが全国大会へ進めるという制度があった(第17回・第18回では全国大会での扱いが異なる。詳細は後述の全国大会の概要で述べている)。
- 第19回(1999年)では第3回・第5回と同様の特別ブロックが設けられた。選出方法も第3回・第5回と同様で、埼玉と佐賀を対象とし、埼玉・私立淑徳与野高等学校、佐賀・県立鹿島高等学校から各校1チームずつが全国大会へと進出した。
- 第20回(2000年)では和歌山大会が近畿大会とは別に開催され、この関係上、和歌山代表は2チームとなった。
- 第21回(2001年)では「史上最大の敗者復活戦」と称し、全国の地区予選敗退チームを対象にくじ引きでの大抽選会を行った。
- 第22回(2002年)ではアメリカ・ニューヨークで「アメリカ予選」を開催。代表3名が「アメリカ代表」として全国大会へ進出した。
- 第26回(2006年)では前述の「島特別大会」から「島ブロック代表」として1校が全国大会へと進出した。
[編集] 放送
- 基本的に地区大会の模様は、各地区で放送される(東北大会は、東北地方で放送。九州大会は、九州地区で放送。等)。
- 関東大会においては地区大会の放送がない。「関東大会」と称した番組があっても、全国各地の高校生のドキュメンタリーだったりする。全国大会放送時に関東大会の第1問が毎年放送されているが、第26回(2006年)では後述の赤坂御用地墜落事件のため、史上初めて全国放送で関東大会の第1問が放送されなかった。
- 地区大会のダイジェストが、全国大会放送時の最初の10分~30分くらいを割いて放送されている。以前は全国大会が1時間程度で残り全部が地区大会に割り当てられていた(第5回までは全国放送で必ずすべての地区大会を放送することになっていた)が、第12回(1992年)からディレクターの方針変更により、全国放送のほとんどが全国大会になった。
[編集] 第26回大会
2006年の第26回では、全国12ブロックで地区予選を行い、47都道府県別代表(北海道・東京は2チームで計49チーム)を選出、全国大会を実施した。全国大会の模様は9月1日に放送された。
[第26回(2006年)地区予選日程・開催地・開催区分]
- 北海道大会(7/28、札幌市・モエレ沼公園) - 北海道全域
- 北東北大会(8/2、岩手県盛岡市・盛岡中央公園) - 青森、岩手、秋田
- 南東北大会(8/4、宮城県仙台市・七北田公園) - 宮城、山形、福島
- 北陸大会(7/16、新潟県新潟市・阿賀野川河川公園→テレビ新潟本社に変更) - 新潟、富山、石川、福井
- 関東大会(7/2、東京都新宿区・神宮球場) - 茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉、東京、神奈川、山梨
- 中部大会(7/30、愛知県名古屋市・庄内緑地公園) - 静岡、愛知、長野、岐阜、三重
- 近畿大会(8/6、大阪府吹田市・万博記念公園) - 滋賀、京都、奈良、大阪、兵庫、和歌山
- 中国大会(8/8、広島県広島市・広島市民球場) - 鳥取、島根、広島、山口
- 四国・岡山大会(7/9、香川県高松市・サンポート高松) - 岡山、香川、愛媛、徳島、高知
- 北九州大会(7/25、福岡県福岡市・ホテル海の中道前広場) - 福岡、佐賀、長崎、大分
- 南九州大会(7/23→8/10に変更、熊本県熊本市・熊本城奉行丸) - 熊本、宮崎、鹿児島
- 沖縄大会(6/25、糸満市・美々ビーチいとまん) - 沖縄全域
- なお、第26回の地区予選の模様の放送は、8月26日に放送された(内容は地域によって異なり各地域の地元の大会の模様を放送。地区予選実施会場の地元局が送出を担当しているものと思われる。関東については、関東大会だけではなく、全国の予選の模様を総花的に放送した。なお、本来系列外である沖縄テレビでの放送はなく、独自に沖縄大会を7月29日に放送した)。
[編集] 問題点
- 地区大会の日程が1学期の期末試験に重なる地区においては、参加者が激減する。
- 開催場所の天候が悪天候(雨)の場合は参加者が来られないこともある。
[編集] 1県1代表制の問題点
- 各都道府県の全国大会出場倍率に、雲泥の差がある。地方大会は実費参加のため、一般に開催地から遠い程倍率は低くなる。また高校生の数が少ない県ではさらに競争率が下がる。
- 第22回中国大会では準々決勝へ進めるのが各県8チームだったのだが、一説では島根県がたったの8チーム(24人)しか参加しなかったために無条件で次のステージに進出することがあった。これは島根の教育委員会が高校生クイズを妨害する目的で中国大会の日に全県模試を行った為だと言われている。そのため第23回大会では地区代表制を復活させたという説もある。さらに第26回の四国・岡山大会では、○×クイズの通過が8チームであるにもかかわらず高知県が6チームしか参加しておらず、高知のみ次のクイズを6チームで行ったが、これは同日に実施された進研模試という全国規模の模試の影響による。進研模試を主催するベネッセコーポレーションが番組スポンサーであるにもかかわらず、その日を避けて予選を行うという配慮はなかった。
[編集] 地区代表制の問題点
- 大会会場が減った分、各地区大会の開催地から遠い高校生から不満が聞かれたほか、出場校の都道府県が都市部に極度に集中する事態も発生した。
- 第23・24回大会では地区大会の会場の減少により、会場から遠い地区では同時期に行われたケータイ予選に参加者が集中する事があったため、一部の地区大会の参加人数が大きく激減することもあった。特に北陸や中国地方の参加者が激減することが目立った。
- 第23回の福岡大会では、出場を予定していた沖縄県の高校生の大半が台風による飛行機の欠航により、欠場を余儀なくされたこともあった。
[編集] 全国大会
[編集] 概要
地区大会を勝ち抜いたチームによって全国大会が行われる。主として東京で開催される(全国大会出場校数は地区大会欄を参照されたい)。
[編集] 日程
- 全国大会は例年、お盆で都内があまり混まない時期に収録が行われる。
- 全国大会の日数は、4日~7日くらいが多い。
[編集] 形式
- クイズは東京都内を中心に、第1回戦→第2回戦…と勝ち残り方式で行われる。
- 大会の内容は毎回異なるため、下記の項目を参照。
[編集] 各回の全国大会の概要
- 第1回(1983年冬) - 100問ペーパークイズ(37→12)→コース別クイズ(夜の東京コース・東京下町コース・東京新名所コースの計3ブロックで各4→1、12→3)→決勝戦(早押し・10ポイント先取)
- 第2回(1984年夏) - 100問ペーパークイズ(37→20)→準々決勝・20チーム早押しクイズ(20→10)→準決勝・学校指名チャンスクイズ(10→3)→決勝戦(早押し・10ポイント先取)
- 第3回(1984年冬) - 120人早押しクイズ(40→20)→ジャンル別早押しクイズ(20→9)→大東京空中散歩クイズ(9→5)→学校指名クイズ(5→3)→決勝戦(7分間タイムレースクイズ)
- 第4回(1985年夏) - 上京ペーパークイズ→準々決勝・七転び八起き20対1早押しクイズ(ペーパークイズの上位20チームがまず早押しクイズを行い、正解したチームが下位20チームと対決で通過クイズ、正解すれば準決勝進出。下位20チームは阻止した回数が最も多かった1チームが敗者復活、40→5+1)→準決勝・オンライン電話クイズ(6→4)→大東京空中散歩クイズ(4→3)→決勝戦(早押し・10ポイント先取)
- 第5回(1985年冬) - 猫の手も借りたい宅Q便ペーパークイズ&東京お泊まり300問ペーパークイズ(40→10)→オーケストラ音楽クイズ(10→4)→日本列島グーニーズ宝探しクイズ(4→3)→決勝戦(早押し・10ポイント先取)
- 第6回(1986年) - 究極のジャンル早押し通過クイズ[敗者復活・カラオケのど自慢(41→2)→決戦アミダクジ(2→1)](49→9+1)→富士山おじゃま無視!新バラマキクイズ(10→9)→近似値クイズ+一問必答YES・NOクイズ(4→3)→決勝戦(早押し・10ポイント先取)
- 第7回(1987年) - 3人バラバラ東京迷子クイズ(49→15)→1問勝ち抜け早押しクイズ(15→9)→つぶし合いクイズ(9→3)→決勝戦(早押し・10ポイント先取)
- 第8回(1988年) - 上京戦 東西対決1vs1[敗者復活](50→10+5)→ホップ・ステップ・ジャンプクイズ(15→4)→富士山9合7勺 YES・NOクイズ(4→3)→決勝戦(早押し・10ポイント先取)
- 第9回(1989年) - アメリカン激写ペーパークイズ[敗者復活・伊豆大島観光3択クイズ](49→24+3)→ウォーターフロント・アドバンテージクイズ(27→8)→アメリカンカートクイズ(8→4)→YES-NOクイズ(4→3)→決勝戦(早押し・10ポイント先取)
- 第10回(1990年) - 3人バラバラお宿ペーパークイズ(49→30)→知力・体力・運トライアングルクイズ(30→10)→早押し連想クイズ(10→5)→ドロンコクイズ(5→3)→決勝戦(早押し・10ポイント先取)
- 第11回(1991年) - 7チーム分割・早押し通過クイズ[敗者復活・名前ビンゴ](49→10+1)→VTR答え探しクイズ(11→4)→準決勝・個人別YES/NOクイズ(4→3)→決勝戦(早押し・10ポイント先取)
- 第12回(1992年) - 上京YES-NOクイズ(一発勝負YES・NOクイズ)[敗者復活・タイムアップ3択クイズ](49→22+18)→対決2チームクイズ(40→10)→大東京見物ビデオクイズ(10→8)→ジャンル多答大逆転マシンガンクイズ(8→4)→準決勝・勝負の1分間クイズ(タイムショック&早押しクイズ)(4→3)→決勝戦(早押し・10ポイント先取)
- 第13回(1993年) - Qッキングクイズ[敗者復活・ボウリング](49→40+1)→満場一致YES-NOクイズ(41→16)→クイズ スーパーへ行こう!(16→4)→準決勝・勝負の1分間クイズ(4→3)→決勝戦(早押し・10ポイント先取)
- 第14回(1994年) - クイズスター誕生&音楽YES・NOクイズ(49→23+17)→運命のルーレットクイズ[敗者復活・逆ババ抜き](40→10+1)→サスペンスクイズ(11→4)→準決勝・勝負の1分間クイズ(4→3)→決勝戦(早押し・10ポイント先取)
- 第15回(1995年) - 48問限定早押しクイズ(49→48)→VISUAL2択クイズ&共食い地獄(48→39+5)→VISUAL3択クイズ&フライング地獄(44→34+2)→VISUAL4択クイズ&電話ラッシュ地獄(36→16+12)→成績発表[敗者復活・YES・NO地獄](28→19+6)→王様クイズ[敗者復活](25→12+1)→1vs1対決クイズ(13→6)→1vs1サドンデス筆記クイズ(6→3)→決勝戦(早押し・10ポイント先取)
- 第16回(1996年) - BATTLE LAND(48問限定早押しクイズ、49→43)→TIME LAND(一問多答早押し問題・時間制限を設けた様々なクイズ)(43→15)→SUSPENSE LAND(サスペンスクイズ、15→6)→SUPER SHOCK LAND(単独最下位脱落リレークイズ、6→3)→決勝(早押し・10ポイント先取)
- 第17回(1997年) - BATTLE LAND(40問限定早押しクイズ、49→36、運大王7→6)→SHOCK LAND(地雷クイズ(早押しクイズ・一問多答クイズ)、36→10、運大王6→4)→SUSPENSE LAND(サスペンスクイズ、10→6、運大王4→1)→準決勝・単独最下位脱落リレークイズ(7→4)→出発直前サドンデスYES・NOクイズ(4→3)→決勝戦(香港市内観光クイズ+早押し・10ポイント先取)
- 地方大会で勝ち残った「運大王」のチームは、まず全国大会の1回戦終了後に49チームの中からルーレットで1チームを指名し、そのチームが勝ち残った場合は同時に勝ち残れるというルールで、まさに運だけで勝敗を分けていた。そして最後まで勝ち残った「運大王」の1チームが準決勝からは他のチームと合流してクイズに参加した。
- 第18回(1998年) - 運大王実力試し(運大王10→1)→(関東大会のYES・NOクイズによりクイズ形式決定)→クイズ結婚式(結婚式でのマナーテスト)[敗者復活・ご祝儀早押しクイズ](40→8+4)・クイズお葬式(式場の様子から、誰の葬式か当てる推理クイズ)(10→3)→誤答脱落サバイバルクイズ(15→4)→準決勝・15ポイント先制シャッタークイズ(4→2)→決勝(ホーム&アウェイ早押し・合計20ポイント先取)
- 第18回も「運大王」の制度があったが、全国大会で1チームに絞られ、その後は普通のチームとしてクイズに参加した。
- 第19回(1999年) - 面接クイズ石原都知事と語る会&3人バラバラ面接クイズ[敗者復活ペーパークイズ](51→25)→15人斬りクイズ(多答地雷対決クイズ)(25→4)→準決勝・5ポイント先取UP DOWNオールリセットクイズ(4→2)→決勝(ホーム&アウェイ早押し・合計20ポイント先取)
- 第20回(2000年) - (前日にくじ引きによるカバン決め)→品川駅出発→昼食弁当 記憶力クイズ(50→48)→特Qファイヤー号 どっち!どっち?クイズ(48→46)→日野春駅・3人バラバラ勝ち抜け出会い!発車まで1時間ちょっとよクイズ![敗者復活・絵画展](46→24+6)→新井駅~おはようございます どっち!どっち?クイズ(30→26)→鯨波駅・サバイバル綱引きクイズ[敗者復活・魚釣り](26→9+1)→浦佐駅・(宿舎探し→お宝捜し→中島誠之助による鑑定会→)ザ・越後・魚沼産 おむすび当てクイズ[敗者復活・家族を早く笑わせた方が勝ち(放送されず)](10→5+1)→土合駅・ドキドキドッキン心拍数クイズ(6→4)→準決勝・爆走700km思い出パノラマクイズ&1分間タイムショック(4→3)→決勝(早押し・10ポイント先取)
- 第21回(2001年) - 東軍・西軍(各25)に分かれて決勝を目指す。東軍・未来遺産フォトバトル(相倉集落・一枚の写真と五七五で表現)西軍・鳥取砂丘バラマキクイズ(1チーム1人正解で次のメンバーと交代、3人正解で2回戦進出)(東西各25→15)→東軍・西軍キーワードクイズ→[西軍勝利、東軍敗者復活](30→西15+東3)→準々決勝・QUIZどっちの料理!(空席待ち早押しクイズ・料理2択問題)(18→6)→準決勝・1対1大筆記クイズ(対決ボード)(6→3)→決勝(10ポイント+1(タイブレーク・後述)先取)
- 第22回(2002年) - 天国地獄カットライン変動サバイバルクイズ[敗者復活・?](50→17+3)→成田山新勝寺・盛り沢山隠れ文字厄をおとしてオーストラリアへ行こうクイズ[敗者復活・1000枚大神経衰弱](20→7+1)→(成田空港・組分けジャンケン)→準々決勝・団体戦ゲレンデばらまきクイズ[敗者復活・羊の数数え](8→4+1)→準決勝・ワイルドLIFEゲストクイズ(ペンギンの生態に関する三択+早押しクイズ)(5→3)→決勝(オーストラリアの高校生アンケート+早押し・10ポイント先取)
- 第23回(2003年) - 歴史グルメクイズ(早押し・ペーパークイズ)[敗者復活・料理対決](30→20+1)→江戸幕府400周年 斬り捨て御免クイズ(21→12)→ドンジャラ神輿クイズ[敗者復活・鯉のつかみ取り合戦](12→8+1)→アトム誕生記念ロボットクイズ(○×・ボード→早押し)(9→5)→アナウンサークイズ(文章穴埋め)(5→3)→決勝戦(早押し・10ポイント先取)
- 第24回(2004年) - バカの壁3択クイズ(3択問題・10ポイント先取)[敗者復活・知恵の輪問題](30→20+1)→クイズコロシアム(早押し・2択・バラマキ)(21→得点上位10)→2ndステージ(パイプスライダー&クイズ・ペーパークイズ・紙飛行機制作)(10→得点上位5)→インタビュークイズ(5→3)→決勝戦(早押し・10ポイント先取)
- 第25回(2005年) - スリーアンサークイズ(早押し・一問三答問題)[敗者復活・ボウリング](49→15+1)→3人バラバラクイズ(知床・東京・京都の三方に分かれ、日本の自然・文化を体験し、その問題にも答える)100問ペーパークイズ(移動中・個人)(16→8)→外国人記者クラブでのプレゼンテーション(8校を順位付け)→準決勝・8文字を解読せよひらめきパズルクイズ(8→3)→決勝戦(早押し・10ポイント先取)
- 第26回(2006年) - 50音バトルクイズ(早押し)[敗者復活・3人一致相性ビンゴ](50→15+3)→激流!ラフティングクイズ(ゴムボートに乗り、激流の途中にある問題に答える)[敗者復活・親子愛ホットライン復活キーワードクイズ](18→5+1)→準決勝・生き残りデッドラインクイズ(6→3)→決勝戦(早押し・10ポイント先取)→世界決戦(早押し+書き問題・15ポイント先取)
[編集] その他
- 飛行機で上京するチームは収録開始前日に集合・受付して前泊し、新幹線など鉄道で上京するチームは収録開始当日昼に集合するのが通例となっている。
- 会期中の宿は、東京都文京区の「機山館」がよく用いられる。
- スタジオ収録のケースが多い第1回戦は、川崎市多摩区の生田スタジオで行われることがよくある。
- 結果発表の際に、勝者(敗者)をあたかも敗者(勝者)のように発表し、高校生を喜怒哀楽の混乱に陥れる「どんでん返し」は名物となっている(地区大会でもあり)。
[編集] 決勝戦
- 基本的に『ウルトラクイズ』以来伝統の10ポイント先取早押しクイズ(1問正解1ポイント、不正解は1ポイントマイナス)。高校生クイズでは3チームで行われる。
- 出場者の地元の家族や学校、応援団などと中継を結んだり、家族や応援団を会場に招く場合がある。
- 第3回で生放送の関係上、まず中継先から2問出題した後、7分間のタイムレースクイズを実施
- 第6回は、10ポイント先取であることに変わりはないが、2位と3位のポイント差が5ポイントになった時点で3位チームは失格・3位確定となった。
- 第14回では、最初に地元中継の応援団にYES-NOクイズが1問出題、応援団が正解したチームに1ポイントが加算された(正解発表は、どこか1チームが5ポイントに達した時点で発表。)
- 第17回は、早押しクイズの前に香港の観光地を巡ってクイズが行い、そこで獲得したポイントを持って早押しクイズに挑んだ。
- 第18回、第19回では例外的に、2チームによるホーム&アウェー形式(各チームのメンバーが所属する高校内、またはその高校がある都道府県の名所でクイズを行う)で20ポイント先取(前半戦は10ポイント先取で終了)の早押しクイズ。
- 第21回では10ポイント獲得でアドバンテージとなり、その状態でもう1問連続正解しなければならなかった。
- 第22回は、最初の数問は英語で出題され、オーストラリアの高校生が答えられなかった場合のみ解答権が得られる形式であった。解答は日本語でよいが、英語の問題文だけで解答を考えなければならない。
[編集] 歴代決勝戦会場
- 日本テレビスタジオ(生放送) - 第1回(1983年)、第3回(1984年・冬)
- 日比谷野外音楽堂 - 第2回(1984年・夏)
- 東京ディズニーランド - 第4回(1985年・夏)、第5回(1985年・冬)
- 富士山山頂 - 第6回(1986年)~第11回(1991年)
- 有明コロシアム - 第12回(1992年)
- 豪華客船「ヴァンテアン号」 - 第13回(1993年)~第16回(1996年)、第26回(2006年)
- ヴァンテアン号は第10回大会の全国大会オープニングセレモニー会場にも使用された。
- 香港 - 第17回(1997年)
- ホーム&アウェークイズ - 第18回(1998年)、第19回(1999年)
- 日本テレビスタジオ - 第20回(2000年)
- お台場・東京都立潮風公園 - 第21回(2001年)
- オーストラリア・メルボルン - 第22回(2002年)
- 汐留・日テレタワー - 第23回(2003年)~第25回(2005年)
[編集] 歴代優勝校と各回の概要
優勝校には優勝旗・賞金・副賞(世界研修旅行など)が授与され、後日学校に優勝レリーフ(富士山が描かれている)が授与される。
- 第1回(1983年・冬の大会) - 県立山形南高校(山形)※初めての開催/参加人数77,781人(関東31,380人)/敗者復活・九州再予選実施 (京王プラザホテルでの全国大会1回戦(第二次予選)まで放送ライブラリーで視聴可能)
- 第2回(1984年・夏の大会) - 県立第一女子高校(宮城)※夏の大会を初開催/女子チーム初制覇
- 第3回(1984年・冬の大会) - 都立江戸川高校(東京)※100人以上が一斉に参加できる早押しクイズが初登場
- 第4回(1985年・夏の大会) - 県立加納高校(岐阜)※地区大会の番組がローカル放送で始まる(一部はそれ以前から)
- 第5回(1985年・冬の大会) - 県立仙台第二高校(宮城)※最後の冬の大会
- 第6回(1986年) - 私立東大寺学園高校(奈良)※都道府県別代表制導入/初の富士山頂決戦
- 第7回(1987年) - 県立山形東高校(山形)※参加人数過去最多133,086人(関東49,962人)/3人バラバラクイズ実施/本放送視聴率20%越え
- 第8回(1988年) - 県立静岡高校(静岡)※各地方大会第1問を全国統一問題で実施/東軍が札幌から、西軍が福岡から寝台列車で上京
- 第9回(1989年) - 県立宇都宮高校(栃木)※伊豆大島で敗者復活戦
- 第10回(1990年) - 道立札幌西高校(北海道)※福留功男最後の司会/2度目の3人バラバラクイズ実施
- 第11回(1991年) - 県立高志高校(福井)※2代目司会・福澤朗初登場/最後の富士山決勝
- 第12回(1992年) - 県立水戸第一高校(茨城)※全国大会出場校による入場行進の実施/大観衆の前で決勝戦
- 第13回(1993年) - 私立ラ・サール高校(鹿児島)※初のヴァンテアン号船上決勝
- 第14回(1994年) - 県立石橋高校(栃木)※10年ぶり2度目の女子チーム優勝
- 第15回(1995年) - 県立米子東高校(鳥取)※前年の準優勝者が悲願の全国制覇
- 第16回(1996年) - 県立西条高校(愛媛)※現在のタイトルロゴマークが初登場
- 第17回(1997年) - 県立弘前高校(青森)※運大王制度(翌年まで)/初の海外・香港へ(決勝のみ)
- 第18回(1998年) - 国立筑波大学附属駒場高校(東京)※関東・全国大会共通第1問/ホーム&アウェー決勝(翌年まで)
- 第19回(1999年) - 道立札幌南高校(北海道)※石原慎太郎ゲスト登場
- 第20回(2000年) - 県立川越高校(三重)※福澤朗最後の司会(日程の都合により途中から羽鳥慎一アナが司会代行)/貸切列車・特Qファイヤー号で勝ち抜き戦 (放送ライブラリーで視聴可能)
- 第21回(2001年) - 県立宇部高校(山口)※3代目司会・ラルフ鈴木初登場/福留・福澤がそれぞれ東軍・西軍のゲスト司会
- 第22回(2002年) - 道立旭川東高校(北海道)※豪州初上陸/成田でジャンケン/初の男女混成チーム優勝/金沢泉丘49秒敗退
- 第23回(2003年) - 私立栄光学園高校(神奈川)※"メインパーソナリティ"に爆笑問題/6地区大会に再編、各地区代表制復活/新予選方式(翌年まで)
- 第24回(2004年) - 県立岐阜高校(岐阜)※高校生VS芸能人・著名人/地方大会に芸能人サポーター
- 第25回(2005年) - 県立浦和高校(埼玉)※10地区大会、都道府県別代表制復活/15年ぶりに3人バラバラクイズ実施
- 第26回(2006年) - 県立浦和高校(埼玉)※"メインパーソナリティ"にオリエンタルラジオ/史上初の2連覇&2大会制覇/10年ぶりヴァンテアン号決勝/韓国「奨学クイズ」(EBSテレビ)優勝校・春川高と世界決戦
[編集] 複数回優勝校
- 番組史上初の複数回優勝を果たした。当然、2大会連覇も初の快挙である。
- なお、第26回大会(2006年)では決勝進出した3チームが浦和高校の他に、私立ラ・サール高校(第13回大会優勝・鹿児島)、県立川越高校(第20回大会優勝・三重)といずれも過去に優勝を経験した高校であり、どの高校が優勝しても初の快挙であった。この第26回大会ではその後に世界決戦として、韓国「奨学クイズ」(EBSテレビ)の優勝校・韓国代表の春川高校と対決し、これにも勝利した。
[編集] 2度目の優勝まであと一歩だった高校
- 初めての1県1代表制の地区大会が行われた第6回大会(1986年)の優勝校。
- 翌年の第7回大会(1987年)でも決勝に進み、一時は2位の山形東高校(山形)に5ポイント差をつけ楽勝ムードだったが、終盤追いつかれ9-10と1ポイント差で優勝を逃す。
- また、その13年後の第20回大会(2000年)の決勝においても、最大で6ポイント差(東大寺9:川越3)のあった川越高校(三重)に7ポイントを連取され、まさかの逆転優勝を許した。
- 第11回大会(1991年)・第22回大会(2002年)でも準決勝まで進出しているが、優勝には届いていない。
- 第13回大会(1993年)では、準々決勝で敗色濃厚からの奇跡の大逆転勝利、準決勝では敗者決定戦を行うなど、綱渡り的に勝ち進み優勝した。
- 第16回大会(1996年)では、横綱相撲で各チェックポイントを上位で通過し、優勝候補の筆頭に挙げられていた。決勝でも西条高校(愛媛)に一時7ポイント差(ラ・サール6:西条-1)をつけるが、お手つきにより自爆。土壇場で9-10と逆転負けを喫した。
- 第26回大会(2006年)では浦和高校(埼玉)に1ポイント差まで詰めたが(浦和8:ラ・サール7)、最終的には浦和高校に連覇を許してしまった。
- 「来年また来ます、スーパー八木橋研二になって」。第14回大会(1994年)の決勝、2ポイント差で石橋高校(栃木)に敗れ、準優勝に終わった直後のコメント。本当に翌年、第15回大会(1995年)で全国制覇を果たしてしまった。同一人物が2度の決勝戦進出は、彼ただ一人だけである。もし第14回大会も制していれば2年連続優勝の快挙だった。尚この優勝チームは立命館大学の一芸入試で合格を受けている(3人のうち2人)
- また第17回大会(1997年)決勝でも、主導権を握る弘前高校(青森)の自滅により一時逆転に成功するが、最後の最後で逆転され準優勝に終わった(その時の代表は第15回で八木橋チームと中国大会決勝で争ったチームである)。
- 第10回大会(1990年)でも決勝戦まで進出し、3位の成績を残した。
- 余談として、第9回大会(1989年)~第15回大会(1995年)にかけての7年連続全国大会出場は、高校生クイズ記録である。
- また、出場3大会連続(第14~15、17回(第16回大会の鳥取代表は鳥取東高校))で決勝進出も高校生クイズ記録である。さらに同一人物の2大会連続決勝進出は八木橋ただ1人である
- 第17回(1997年)大会2回戦の地雷クイズでは奇跡の26チーム切りでラスト抜けすると、準決勝でも危なく敗退するところだった。決勝ではあっという間に9ポイントを獲得(いわき光洋2:弘前9:米子東3)するが、お手つきを繰り返し一時米子東高校にリードを許す、しかし4度目のリーチで見事頂点を射止めた。
- 第9回大会(1989年)では当時の決勝戦の舞台である富士山頂上まで進出するも、チームリーダーが体調不良にて途中下山し2人で決勝戦に挑むという緊急事態に。しかし宇都宮高校(栃木)と互角に優勝争いを演じ、惜しくも準優勝に終わった。
- 国立筑波大学附属駒場高等学校(東京) 第18回(1998年)大会優勝
- 第18回大会(1998年)高校生クイズ史上初の2校による決勝戦(HOME&AWAY)で、高校生クイズ史上初の国立高校優勝校となった筑波大学附属駒場高校(通称:筑駒)。
- 第22回大会(2002年)では東京2つの枠を独占し、2チームとも準々決勝進出(=オーストラリア上陸)を果たす。そんな中、中西チームが決勝進出を果たしたが、旭川東高校(北海道)の独走を止められず8-10で破れ準優勝に終わる。
- 第22回大会(2002年)、高校生クイズ史上初めて男女混成チームでの優勝を果たした。と同時に、筑波大学附属駒場高等学校(東京)の2回目の優勝を阻止した。
- 第11回大会(1991年)では、北海道勢2連覇をかけて決勝戦まで進出(前年の第10回大会(1990年)で札幌西高校(北海道)が優勝)。高志高校(福井)と激しいシーソーゲームを展開するも、わずか1ポイント足らず準優勝に終わった。
- 第2回大会(1984年夏)3チーム接戦の決勝戦を制し、女子チームとして初めて全国制覇を果たした第一女子高校。
- 第4回大会(1985年夏)でも同一チームで全国大会出場を果たす。順調に準決勝まで進出するが、準決勝「宇宙⇔夢の国オンライン電話クイズ」で最初の敗者となり2度目の優勝を逃す(尚、このときのメンバーだった岡田明子はこの出場をきっかけに放送業界への就職を志願、仙台放送のアナウンサーとしてデビューした)。
- 第5回大会(1985年冬)この回仙台第二高校からは2チームが全国大会に出場。最後の冬の大会で見事に優勝を飾った。
- 第25回大会(2005年)準決勝のひらめき通過クイズで2度通過席に立つもこの年優勝した浦和高校(埼玉)に1文字のヒントで抜けられ惜しくも決勝進出を逃した。ちなみにオンエアされた分だけを見れば準決勝では仙台二高が最も多く早押しで正解している。
- 第20回大会(2000年)の決勝戦で、3チームのうち東大寺学園(奈良)が先に9ポイント獲得し、V2まであと1ポイントとしたが、その時点で3ポイントだった川越高校が7連続ポイントで逆転勝利を収めた。
- 第26回大会(2006年)では、2回戦のラフティングクイズで一度は敗退したが敗者復活戦で生き残り、その勢いで決勝まで進んだ。浦和高校(埼玉)、ラ・サール高校(鹿児島)を相手に史上初の優勝経験校のみによる決勝を行い、川越高校自身2度目、また第22回大会(2002年)の旭川東高校(北海道)以来2度目の男女混成チーム優勝を目指したがポイントが伸びず、浦和高校の連覇を許した。
[編集] 全国大会出場回数上位校
※第26回(2006年)時点
- 15回 私立東大寺学園高等学校(奈良)
- 12回 県立米子東高等学校(鳥取)
- 9回 私立智辯学園和歌山高等学校(和歌山)、県立熊本高等学校(熊本)、私立ラ・サール高等学校(鹿児島)
- 7回 県立弘前高等学校(青森)、国立金沢大学教育学部附属高等学校(石川)、県立岐阜高等学校(岐阜)
- 6回 県立秋田高等学校(秋田)、県立仙台第一高等学校(宮城)、県立静岡高等学校(静岡)、県立高松高等学校(香川)、県立丸亀高等学校(香川)、私立高知学芸高等学校(高知)
[編集] 高校生クイズ名ゼリフ集
- 「青春真っ直中。みんな燃えているかぁー!!」福留功男
- 「燃えて行け!FIRE!!」福澤朗
- 「POWER!!」「さぁ、冒険の、始まりだー!!」鈴木崇司
- 「来年また来ます、スーパー八木橋研二になって」八木橋研二…第14回、豪華客船「ヴァンテアン号」での決勝戦で石橋高校(栃木)が10年ぶり2度目の女子チーム優勝で幕を閉じ、米子東高校が敗れたあとインタビューで八木橋研二さんが答えたセリフ。その後第15回で再び決勝に登りつめ、前年そのセリフを言い残した場所で見事優勝を飾った。
[編集] ハプニング・エピソード
- 高校生クイズの開催の経緯としては、『ウルトラクイズ』に参加したい高校生の手紙が番組宛に殺到したことにより、福留が提案をしたのが始まりである。個人戦では面白くない、3人1チームであれば喜怒哀楽が出せるという事で現在のシステムが確立したのは福留のアイデアであった。(この話はラルフ鈴木司会就任時の事前番組で紹介された。この番組では当時のスタッフと密談をしたおでん屋が高校生クイズの原点と紹介されている)。
- 第2回、第3回大会(1984年)で福留が一部の予選に行かず地元局のアナウンサーが代理で司会をしたことについて、スタッフルームに「福留を出せ」という高校生の血判状が届いた。このことが翌年から総合司会が全予選を担当する理由のひとつになった。
- 第7回大会(1987年)の関東大会では、あまりの猛暑のため、熱中症の症状を訴える参加者が続出した。このため、4問出題しただけで大会を中止し、後日、続きを明治公園で行った。
- 第9回大会(1989年)全国大会の富士山頂での決勝で県立弘前高等学校(青森県)のチームリーダーが体調不良により途中下山し、決勝は2人で戦った。
- 第16回大会(1996年)の近畿大会は堺市の大泉緑地公園で行われる予定だったが、同市でO-157による食中毒が発生したため、開催3日前になって万博公園に変更された。
- 第20回大会(2000年)では、関東大会の敗者復活戦として一問多答クイズ(新人アナウンサーが何問解答できるかというもの。正解数=敗者復活チーム数となる)が行われた。オリンピックの開催地をあげるという問題だったが、小野寺麻衣アナ(当時)がモスクワと言うところを盛岡と言ってしまった。当然西武ドームに集まった25000人の参加者だけでなく総合司会ラストの福澤朗アナや、来年総合司会で見守っていた鈴木崇司アナ(ラルフ鈴木)までも小野寺の発言に呆れ返ってしまった。また羽鳥慎一アナは高校生クイズの小野寺の回答が衝撃的な出会いだったとコメントしている。なお、小野寺はその後第22回(2002年)のニューヨーク大会で代行司会を務めた。
- 第26回大会(2006年)は以下に挙げる通り、例年以上に大きなトラブルが連続して発生した。
- 関東大会が行われた明治神宮野球場で、オリエンタルラジオの中田敦彦とインストラクターの2人が乗ったパラシュートが強風にあおられて球場内に着陸できず、流されて皇室の敷地である赤坂御用地に誤って不時着した。2名に怪我はなかった。この日は天候が不安定で、雨と雷にも見舞われていた。また、宮内庁によると皇族の生活には特に影響はなかったという。当然、番組関係者が皇宮警察や警視庁警衛課から厳重注意を受けたのは、言うまでもなく、日本テレビも平謝りだった。
- この年の記録的な豪雨は多くの大会で影響を受け、北陸大会は開催前日になって新潟県から、河川敷を会場にしないよう要請があり、テレビ新潟本社の敷地で行った。南九州大会では番組史上初の雨天順延となった。
- 更に、全国大会の後、優勝チームがアメリカと韓国のクイズ優勝者と世界大会を行うことになっていたが、直前にヒースロー空港での航空機爆破未遂が発覚したため、アメリカ代表のリチャード・モントゴメリー高校が来日を中止し、日韓のみの対戦となった。
- 本放送の2週間ほど前(全国大会収録直後)に、韓国の中央日報の日本版ホームページにおいて、決勝戦・日韓戦の結果が報道されてしまう事態があった。
[編集] 関連書籍
- 全国高等学校クイズ選手権 1~16(日本テレビ) ※各回の放送内容と全問題を収録。ただし後期の巻では、予選部分がかなり省略されている場合がある。
- 全国高等学校クイズ選手権 燃えているかーッ!(日本テレビ 1990年) ※9回までの問題をジャンル別に抜粋したものと、主要スタッフのインタビューなどを掲載。
- 全国高等学校クイズ選手権-史上最強の指南書(全国高等学校クイズ選手権審査委員会・編著/日本テレビ 2000年) ※17~19回で出題された問題の一部を収録。
[編集] ゲームソフト
- 全国高等学校クイズ選手権(PC:ハイブリッド版/富士通パソコンシステムズ 1996年)
[編集] スタッフ
- この高校生クイズのスタッフは、チーフプロデューサーを筆頭に24時間テレビを担当している傾向がある。
(例)吉田真CPは、2002年の24時間テレビを担当し、2002年、2004年の高校生クイズを担当。高橋正弘CPは、2004年の24時間テレビを担当し、2005年、2006年の高校生クイズを担当した。
全国大会では現場アルバイトとして前年以前の全国大会出場者が働くことが多い。
[編集] 第26回(2006年)
- 構成:松井尚/山口克久、伊藤忠、西本満博、田中利明、西宮晋、矢野了平、藤本裕、外山信行、吉橋広宣
- 問題作成:吉本選江、日高大介、郡司昌代、古川弘子、野田修平、桝舘康隆、泉真裕美、岡由美子、佐藤信也、小松田規文、三瓶由里子、山田雄也
- 美術:小野寺一幸、星野充紀、栗原純二、大倉聡明、海老沼浩二、斉木祐一、中里昭博、溝口博志、磯野公章、富田仁、伊藤伸朗、斎藤賢、岩崎正樹、日テレアート
- 技術:新名大作、高岡彰吾、中野功士、森川哲男、村松明、渡辺滋雄、河合亮、日テレ映像センター、コスモ・スペース
- 照明:内藤晋
- 音効:江藤純、生駒篤則
- 編集:高橋亮
- MA:竹岡良樹、オムニバス・ジャパン
- 協力:札幌テレビ、テレビ岩手、ミヤギテレビ、テレビ新潟、中京テレビ、読売テレビ、広島テレビ、西日本放送、福岡放送、熊本県民テレビ、沖縄テレビ、読売旅行、アフロ、日刊スポーツ、共同通信社
- 制作協力:スタッフラビ、カメヨ、ハテナス、officeNY、安寿、ファランクス
- 広報:村上淳一、西端薫
- WEB:安蒜泰樹
- デスク:北村佳子、吉田美幸、岩田みつる
- AD:長野幸平、川村元昭、川畑良太、柳沢英俊
- AP:本多里子
- リサーチ:小林清人、小堀裕也
[編集] 過去のスタッフ
- 高橋洋二(放送作家/第22回・2002年~)
- YAS5000(放送作家/第22回・2002年~)
- 今村良樹(放送作家=元ずうとるびメンバー/~第25回・2005年)
- 吉川圭三(チーフプロデューサー[CP]、第18回・1998年~第21回・2001年、第23回・2003年)
- 吉田真(チーフプロデューサー[CP]、第22回・2002年、第24回・2004年)
- 初期の問題を泉麻人が作っていたことを福留が明かしている。
[編集] 過去の協力企業
- TELETECH MEDIAPARK(第24回・2004年、編集・MA協力)
- 西武観光バス(第24回・2004年、協力企業)
- 東京ベイNKホール(第24回・2004年、協力企業)
- PHP研究所(第24回・2004年、協力企業)
- acro(第24回・2004年、制作協力)
- Mizuno(第25回・2005年、協力企業)
- 近畿日本ツーリスト(第25回・2005年、協力企業)
[編集] 外部リンク
- 順序:トップページ→情報・バラエティ→高校生クイズ
カテゴリ: クイズ番組 | 日本テレビ放送網系番組 | 学生大会