対面交通
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対面交通(たいめんこうつう)とは自動車と通行人とが対面して通行することをいう。これによって、自動車と通行人とが相互を認識しながら通行することができるので、自動車が普及している社会においては法制化されている。
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[編集] 自動車の通行区分
これには左側通行と右側通行とがある。日本においては道路交通法第17条第4項が「車両は、道路の中央から左の部分を通行しなければならない。」(条文中の括弧書き省略)と定めていることから左側通行が採られている。
日本はジュネーブ条約(道路交通に関する条約(1949年))を締結していることから、日本の運転免許によって条約締結国で自動車の運転ができるが、通行区分が異なるので注意が必要だとされている。
[編集] 沿革
通行区分採用の沿革については、様々な説がある。最も一般に流布している説によると、日本の左側通行については、江戸時代頃から武士などが左腰に差している刀が触れ合うことを避けて、自然と左側通行になっていたといわれている。また、欧州大陸諸国の右側通行については、馬車の馭者は右手で鞭を振るうので、対向する馬車に鞭を当てないために自然と右側通行になったという説や、フランス革命の際に教会の定めた左側通行に対抗して右側通行にし、その後、ナポレオンがヨーロッパ各地を占領していったことで普及した説がある。
そして、日本では、後に普及した自動車も通行人と同じく左側通行だったが、自動車の交通量の増大に伴い交通事故の危険性が増加したことから、対面交通が採用されるに至った。その際、自動車の通行区分を変更すると、全国的に莫大な費用がかかることから、自動車の通行区分をそのまま維持して、通行人の通行区分の方を変更したとされている。また、これに慣らせるため又児童同士の衝突事故を防止するため、日本の小学校では廊下の右側通行を指導する事例も見受けられる。
しかしながら、鉄道駅では人が左側通行をすることを前提に設計されてきた為、一般道路で人の右側通行が採用されて以降も、人の左側通行が採用されている。
[編集] 各国の運用
[編集] 採用国
国の数としては日本などの左側通行は少数で、右側通行採用国が多数である。
人口比では左側通行と右側通行の比率は34:66であり、道路の総延長距離で比較すると27.5:72.5になる。
左側通行- 日本・イギリス・アイルランド・タイ・インドネシア・スリナムなどのほかに、旧イギリス植民地やイギリス連邦加盟国などがある。(香港・オーストラリア・ニュージーランド・インド・パキスタン・マレーシア・シンガポール・ケニア・南アフリカ・キプロス・マルタ・ジャマイカ・ガイアナなど)
右側通行 - 北米大陸諸国(アメリカ・カナダ・メキシコ・コスタリカ・パナマなど)、欧州大陸諸国(ドイツ・フランス・スイス・イタリア・スペインなど)、インドシナ三国(ベトナム・ラオス・カンボジア)、イスラエル・サウジアラビア・ロシア・CIS諸国・ペルー・ブラジル・モンゴル・中国・朝鮮半島(韓国、北朝鮮)などがある。
左右通行区分が異なるタイとラオス両国を結ぶタイ=ラオス友好橋は、通行区分を逆転させるために特殊な細工がなされている。
通常、左側通行国では右ハンドル車が使用され、右側通行国では左ハンドル車が使用される。法的規制がある国も多い。そのため、他国に自動車を輸出する自動車メーカーは、同一車種について右ハンドル車と左ハンドル車の両方を設計・製造することが多い。
しかし例外的に、左側通行の日本では主に消費者の嗜好から輸入車の一部が左ハンドルで販売されている。逆に、右側通行であるロシアの、特に極東地域(沿海地方やハバロフスク地方など)、モンゴル、また北朝鮮などでは、日本から右ハンドルの中古車が多数輸入され使用されている。
[編集] 左右交通区分の転換
人と自動車の対面交通制度は、自動車数の増加に伴い、大半の国で採用されている。もっとも、20世紀前半から第二次世界大戦前後にかけては、主に左側通行から右側通行へ左右交通区分の転換が行われたケースが各地で存在する。右側通行から左側通行へ転換された例は少ない。
- 中国大陸は、戦前・戦中までは上海などのイギリス租界や日本租界、関東州(大連)といった日本の租借地、また満州などが左側通行であったが、1949年の中華人民共和国成立後は、全土が右側通行に変更・統一されている。ただし、香港及びマカオは、中国に返還された後も従来通り左側通行を維持している。
- 台湾、パラオ、フィリピン、朝鮮半島などは、日本に統治されていた時代は日本式の左側通行であったが、日本の敗戦後は右側通行に変更している。
自動車が普及し、交通インフラが整備された国や地域で左右交通区分の転換が行われることは、市民への周知徹底、交通信号や道路標識の全面的変更、乗車扉を変更するためのバスの更新など、多大な費用と危険が伴うため非常に稀である。それでも、近年では以下のような例がある。
- 日本の沖縄県は、第二次世界大戦後にアメリカの統治下に置かれ、日本式の左側通行から右側通行に変更されていた。1972年に日本本土に復帰した後、1978年7月30日午前6時を以て、日本本土に合わせて再び左側通行に戻した。これを730(ななさんまる)という。