日本におけるゲーム機戦争
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この記事では、日本国内におけるゲーム機の販売競争について述べる。
目次 |
[編集] 概要
日本におけるゲーム専用機の競争の結末は、ほとんどの場合一強皆弱である。ファミリーコンピュータの登場以後、シェアトップのゲーム機(以下、ハード)の出荷が1500万台を下回った例はなく、対照的に2位以下のハードが600万台を超えた事はない。
これはシェアトップのハードが一定数以上普及すると、市場の大きさを好むサードパーティーが自社の人気タイトルをそのハード用ソフトとして開発し、これが更にそのハードの普及を促進するという好循環が生まれる為である。逆に普及率で劣るハードにはサードパーティーのソフトが開発されなくなり、競争力が益々低下するという悪循環に陥ってしまう。
この為、ハードメーカー各社はシェアトップの所謂勝ちハードを作ろうと激しい販売競争を展開する事となる。少しでもハードを普及させるため、ゲーム機の価格を原価割れするほど低く設定することもある。またハード開発には多額の費用が必要となり、その他プロモーション費用も莫大になりがちであるため、強い経営体力のある企業以外にハードを作ることは難しい。
現在の主なハードメーカーは、据置き機市場において勝ちハードプレイステーション2を販売するSCE、携帯機市場の覇者で据置き市場でも自社ソフトによって一定の市場と利益を確保できる任天堂、そして圧倒的な経営体力を誇るマイクロソフトの三社である。セガも長年独自のハードを販売してきたが、MSのような強い経営体力も任天堂程のソフト売り上げもない中で負けハードの販売を継続する事は難しく、ドリームキャストを最後に撤退を余儀なくされた。
[編集] ゲーマーに注目される理由
ゲーム機戦争の動向は、ユーザーにとっても大きな関心事となることが多い。もしユーザーが負けハードを購入してしまうと、そのハード用の魅力的なソフトの数が少なく、将来改めて勝ちハードの購入を強いられる可能性が高い為である。特に有力サードパーティーのスクウェアエニックスは勝ちハードと負けハードへの態度の違いが露骨とされ、FFやDQといった有力タイトルのファンが負けハードを購入すると経済的に2重負担になるケースが多い。この為余程のゲームマニアやファースト製のソフトのファン以外は、勝ちハードを購入したいと考え、次世代ハードが登場するたびに勝ちハードがどれになるのか注目するのである。
[編集] 据え置き型ゲーム機
[編集] 1980年代初期~中期
1980年代初期には、国内外の玩具メーカー・電機メーカーがこぞって各社各様のゲームマシンを発売していた。
そんな中に1983年、歴史に残る衝撃のゲーム機が登場。ともにアーケードゲームメーカーであった任天堂・ファミリーコンピュータとセガ・SG-1000。特に前者は、当時のアーケードゲームを再現するのに充分な能力を持っており、一気に市場を席巻した。翌年にはサードパーティーの参入を認め、多数の良質ソフトを生み出し、ファミコンブームを巻き起こした。セガも1985年、画面表示機能を大幅に向上させたセガ・マークIIIを発売するものの、ソフトメーカーがセガ1社では太刀打ち出来ず、惨敗に終わった。この頃にゲームとプログラミングという新たな手法としてMSXのような8ビット統一規格機も発売されたが、ファミコンの牙城を崩すまでにはいたらなかった。
[編集] 1980年代後期~1990年代初期
任天堂対セガの1強1弱対決に、1987年、割って入ったのがNECホームエレクトロニクスのPCエンジン。発売当初からナムコ等の有力サードパーティーを従え、開発元のハドソンのR-TYPEをキラータイトルとして用意するなどし、主に中高生以上のゲーマー層に訴えかけた。
翌1988年、セガはアーケードゲームの主流CPUだったMC68000搭載のメガドライブでこれに対抗。任天堂もスーパーファミコンを発表するが、延期に延期を重ね、実際の発売は1990年となった。
この3機の争いでは、国内ではファミコンのブランドを活かした任天堂がダントツのトップ、2位にNEC、3位にセガという結果に終わったが、海外ではソニック・ザ・ヘッジホッグを擁したセガが健闘し任天堂と互角の争いを演じた。
[編集] 1990年代中期 32ビットゲーム機戦争
1991年、任天堂はソニーと共同でスーパーファミコン用CD-ROMの開発を開始、同時にソニーもCD-ROM一体型スーパーファミコン互換機の発売を発表した。その名称はプレイステーションであった。しかし次第に両社の意見が合わなくなり共同開発は中止された。
1994年、ソニーの関連会社として発足したソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)は32ビット機であるプレイステーション(PS)を発売した(前述の通り、任天堂との共同開発版はスーパーファミコン互換機の予定であり、これとは名称が同じなだけで関連性は無い)。ほぼ同時期にセガも32ビット機セガサターン(SS)を発売した。
プレイステーションとセガサターンは共に32ビットCPUでCD-ROMドライブを持っていたが、PSは3Dに特化したハード構成で、サターンは2D性能に秀でていた。PSはこの大容量と3D性能の高さを併せ持っていたことが評価され、鉄拳、バイオハザードなどのヒット作が続々とリリースされた。また、SFCのカセットは当時10,000円前後と高価格化していたが、PSはソフトの価格を平均5800円で発売する政策も支持された。そして、1996年にスクウェア(当時)がFFシリーズ初の3DRPGである『ファイナルファンタジーVII』(FFVII)をプレイステーション用ソフトとして発売することを発表すると販売台数が飛躍的に伸びていき、サターン、NINTENDO64を突き放した。
PS、サターンに遅れること約1年半、SFCで圧倒的シェアを築いていた任天堂が1996年に64ビット機であるNINTENDO64を発売したが、SFC同様に容量の少ないロムカセットを採用したことから、スクウェア、エニックス、ナムコ、カプコンなどのソフトメーカーの流出を食い止めることができず、最終的にPSがトップの座に立った。
なお、これらに先行してパナソニックからは3DOが発売されたものの、ハードの価格が高いことや、性能がPS、サターンに及ばなかったことから台数を伸ばすことが出来なかった。また、PCエンジンの流れを汲んだPC-FXは2Dに特化した性能のため、当時のゲーム業界の流れであった3D化の流れから外れ、短命に終わった。
[編集] 2000年前後 セガの撤退、マイクロソフトの参入
プレイステーションに対抗してセガは1998年にドリームキャストを発売した。CD-ROMの2倍の容量を誇るGD-ROMの採用や、業務用「NAOMI基板」とのリンク、そして家庭用ゲーム機としては初めてのモデムの標準搭載などをアピールし、湯川専務などのCMでも話題になった。
一方、2000年に入るとSCEはプレイステーションの後継機であるプレイステーション2(PS2)を発売した。PS2は家庭用ゲーム機では初めて前の機種であるプレイステーションとの互換性を持ち、CD-ROMの7倍の容量を持つ「DVD-ROM」を採用。前機種のプレイステーションのユーザーをそのまま取り込み、発売と同時に爆発的な売り上げを記録した。
ドリームキャストはプレイステーション2に比べて機能が劣っている事や、DVDが使用出来ない事、セガサターンとの互換性が無いこと等が理由で売上が低下していった。そして2001年、セガはドリームキャストの販売を終了すると同時にハードウェア事業から撤退してしまった。
同年、任天堂がNINTENDO64の後継機であるニンテンドーゲームキューブ(GC)を発売した。機能としてはGBAとのリンクなどをアピールしつつも、N64との互換性を持たず、メディアの容量もDVD-ROMの1/3程度とPS2に比べて少なかった。また、2002年には、セガと入れ替わるように、世界のソフトウェア最大手のマイクロソフトが日本のゲーム機市場に参入し、高性能のXboxを発売。これによって日本のゲーム機戦争は任天堂、SCE、マイクロソフトの三つ巴となった。
この三つ巴の戦いはPS1との互換性を有し、DVD-ROMドライブを持っていたことからプレイステーション2が飛躍的に伸びていき、2003年頃には国内外ともSCEがトップに立ち、任天堂は日本においては一定の評価は得ているが海外では伸び悩み、マイクロソフトは逆に海外で健闘しているものの日本では低迷しているという状態になった。
こうして据え置きゲーム機市場で支配的な立場に立ったPS2だが、2001年に発売されたゲームボーイアドバンスや2004年に発売されたニンテンドーDS、プレイステーションポータブルといった携帯ゲーム機が猛烈な勢いで普及し、据え置き機と携帯機の市場規模を逆転させてしまった。
[編集] 2000年代後半 Xbox360・PS3・Wii三つ巴の戦い
2005年12月10日にマイクロソフトがXbox 360を、SCEはプレイステーション3(以下、PS3)を2006年11月11日発売。続いて任天堂もWiiを2006年12月2日に発売する予定となっており、今後の動きが注目される。
- 価格
- Xbox360は通常版が39,795円。HDDを取り除いた廉価版「Xbox360コアシステム」が29,800円で発売。
- PS3は、HDD20GBモデルが初発表の時62,790円であったが、その後49,980円まで値下げとなった。また、HDD60GBモデルはオープン価格である。
- Wiiは25,000円を予定している。これは前身であるスーパーファミコン、NINTENDO64、ゲームキューブの発売時の価格と同じである。
3機種は一般に、Xbox360が最も価格と性能のバランスがよく、PS3は3機種中最も高価だが高性能で、なおかつブルーレイディスクの再生機能という他機種には無い付加価値があり、Wiiは最も廉価で特殊なワイヤレスコントローラーによる新感覚のゲームにも期待が集まっている。
- 発売日
上記のとおり、Xbox360は2005年12月10日、PS3は2006年11月11日、Wiiは2006年12月2日となっている。現行機種と異なり、マイクロソフトが一番手に踊り出る結果となったが、これはマイクロソフトが、前身であるXboxの反省を強く意識したため(PS2の約2年後と、大きく出遅れたこと)と思われる。また、SCEは当初、PS3を2006年3月に発売する予定でいたが、後に延期された(これにより、Xbox360は1年近く先行することになった)。任天堂は今回もSCEの後に続く形となったが、PSやPS2に1年半も遅れたN64、ゲームキューブとは異なり、PS3発売から1ヶ月も経たないうちの発売となる。また、テレビCMに関しては任天堂側が早くからDSのCMと並行する形でOAしており、PS3の先手を取った。
- 互換性
今回は、どの機種も前身である下位機種との互換性を持っている。Xbox360は、Xboxのソフトのほとんどが使用可能であるが、ソフト個別に対応したエミュレーターソフトを、HDDにインストールすることが必要となる。PS3はPS、PS2のソフトのほとんどが使用可能とされているが互換性に問題があるソフトが多数報告されている。なお、これらの問題は今後、ファームウェアのバージョンアップ等による改善が行われる予定。また、メモリーカードを使用する際は、専用の周辺機器が必要となる。Wiiはゲームキューブのソフトの全てが使用可能であり、すでに全てのソフトが動作確認済み。そして、メモリーカード、コントローラーも流用が可能である。また、厳密に言えば互換性とは別物だが、Wiiはバーチャルコンソールシステムにより、ファミリーコンピューター、スーパーファミコン、N64、メガドライブ、PCエンジン、MSXのソフトを有償ダウンロードしてプレイすることができる。
- 売り上げ
先陣を切って発売されたXbox360は、北米では健闘しているものの日本国内では非常に苦戦している。2006年10月26日での全世界の累計出荷台数は600万台、日本国内での累計台数は約16万台。
一方、11月11日に発売されたPS3は、現主力機PS2の後継機種で、その高性能とも相まって詳細が発表されるまで次世代ゲーム機の大本命とされてきたが、ゲーム機としては異例の高価格(廉価版でも49980円)、ゲームソフトの開発の難しさ(参考:Cell・・・特異なチップ構造のためプログラミングが難)や製作期間の長期化を懸念する声が強まっていた。また、一台あたりの製造コストが高く、生産に時間もかかるため、発売初日にはPS2の100万台を大幅に下回る8万台しか用意できなかった。そのためPS2発売時のような公式サイトでの予約販売が出来ず、発売初日は多くのゲーム量販店に長蛇の列ができ、即完売となったが、店舗によっては数台しか入荷していない所もあったため、すべてのユーザーに行き渡っていないのが現実である。なお、SCEは2007年末までに600万台の出荷を予定している。
12月に発売を控えているWiiは、2006年のE3で、最も名誉ある賞「Best of Show」を受賞し、また、DSと同様に特殊なインターフェイスを搭載しているため、期待が高まっているが、任天堂の岩田聡社長が「DSのヒットはWiiの普及を必ずしも保証するものではない。」と述べている。なお、こちらは初回の出荷数は約40万台を予定。これはDSの50万台と比べると少ないため、全国のゲーム量販店では、すでに予約が終了している(もしくは予約販売無し、当日販売のみ)ケースが多い。
[編集] 携帯型ゲーム機
[編集] ゲームボーイの発売
1989年に任天堂が携帯型ゲーム機のゲームボーイを発売した。対抗して、1990年にセガがゲームギア、日本電気ホームエレクトロニクスがPCエンジンGTで参入するが、ゲームボーイはテトリスなどの記録的ヒットなどに支えられ、携帯ゲーム市場でトップに立った。 PCエンジンGTは据え置き機のPCエンジンと互換性があるほか、当時は珍しいカラー液晶を使用していたが、その分高価で電池の消耗も速く短命に終わった。ゲームギアもゲームボーイのような人気コンテンツを提供できず、またカラー液晶採用による消費電力の大きさがPCエンジンGT同様問題となり、GBに大きく水をあけられる結果に終わった。1990年代初頭は液晶・バッテリーとも技術的に未成熟であり、カラー液晶は多数の乾電池を短時間で消費するなど実用的でなかった。当時の技術ではモノクロ液晶を採用したGBが最も現実的な設計だったと言える。
[編集] 携帯型ゲーム機市場の縮小と復活
1994年に据え置き型ゲーム機のプレイステーションが登場。メディアにCD-ROMを採用した事により、ROMカートリッジの時代からソフトの価格が大きく押し下げられた。据え置きハードの急速な進歩の前に、性能に比して割高感の増してしまった携帯型ゲーム機用ソフトは売れ行きが悪化し、市場は縮小していった。ゲームギアはこの時期販売を終了、かつては一世を風靡したゲームボーイでさえも、新作ソフトが1ヶ月に数本程度しか出ない状況が続いた。
だが、1996年にゲームボーイ用ソフトポケットモンスター 赤・緑が登場。携帯ゲーム機ならではの特徴を活かしたこのソフトは世界規模で大ヒットを記録。それに支えられる形で携帯ゲーム機市場は息を吹き返した。
[編集] ゲームボーイカラーの発売
1998年に任天堂はゲームボーイカラーを発売、同年にSNKがネオジオポケット、1999年にバンダイがワンダースワンを発売した。ネオジオポケットはゲームボーイカラーやワンダースワン以上に高性能で、ワンダースワンは軽量さと安さをセールスポイントとしたが、ソフトのヒットが続くゲームボーイの牙城を崩すにはいたらなかった。 また、1999年にはポケモンシリーズ第2弾、ポケットモンスター 金・銀が発売された。ポケモンは携帯ゲーム機市場において、据え置き機におけるDQ・FF以上のキラータイトルとなっており、これを任天堂が抑えている以上、他社の携帯ゲーム機がシェアを逆転すること極めて困難な状況になっていた。ポケモンの存在は今後も携帯ゲーム機市場に参入する全てのメーカーがぶつかる問題と見られる。
[編集] 携帯ゲーム機市場の任天堂の独占
任天堂が2001年に発売したゲームボーイアドバンスを、2003年に改良型のゲームボーイアドバンスSPを発売した。ワンダースワンの後継機種であるスワンクリスタルも登場したがGBAには対抗できず、ネオジオポケットと共に携帯ゲーム市場より撤退した。
この結果携帯ゲーム機市場からGBAの対抗機種が全て消え、任天堂が完全に市場を独占した。 しかしGBAはポケモン以外にミリオンタイトルがなく、前世代機のGBや後継機のDSに比べ市場が低迷していた感はぬぐえない。任天堂の市場の独占はSCEがPSPを発売する2004年まで続いた。
[編集] ニンテンドーDSとPSPの覇権争い
2004年12月2日に任天堂がニンテンドーDS(DS)を、同年12月12日にSCEがプレイステーション・ポータブル(PSP)を発売し、携帯ゲーム機市場においても任天堂とSCEとの競争が起こった。
DS側は最大の特徴である「タッチスクリーン」を活かし、PSPでは性能的に不可能なゲームを多数発売し、2004年のクリスマス商戦で爆発的な売れ行きを示した。また2005年上旬からは『Touch! Generations』シリーズを投入し、それまでゲームに興味を持たなかった女性層、高年齢者層へのアピールに成功、徐々に社会現象とも言うべき一大ブームに発展した。2005年末~2006年初には深刻なDSの品不足が発生した。この品切れが続く中で2006年3月2日に上位機種ニンテンドーDS Liteの発売がされたことで品薄は長期化の様相を見せ、2006年一杯は品薄が解消されない見込みである。2006年7月、任天堂はDSの国内販売台数が1000万台を突破したと発表。発売20ヵ月の1000万台突破は日本ゲーム機市場最速の記録である。ソフトの販売も順調で、2006年11月現在、100万本を越えたソフトは11本、そのうち300万本突破が4本と、現在のゲーム業界における主役となっている。
対するPSP側は高性能さを売り物にし、DSでは性能的に不可能なゲームを多数発売し、2004年のクリスマス商戦でDS同様に爆発的な売れ行きを示すも、初期不良問題や品不足により序盤につまずいてしまう。2005年初期はニンテンドーDSの売れ行きを上回る好調な売れ行きを見せ、2006年11月には国内販売台数は400万台を突破、全世界では1500万台を出荷、現在も毎週プレイステーション2を越える売り上げを見せており、2006年末の商戦では『テイルズオブザワールド レディアントマイソロジー』同梱パックが予約開始と同時に完売と、善戦しているものの、予想を上回るDSの売り上げに苦戦し、2006年7月にはSCEもDSに苦戦していることを認めた。
また、11月11日にはプレイステーション3が、2006年12月2日にはWiiが発売。どちらも携帯ゲーム機との連動機能を搭載しており、ゲームをダウンロードしたり、コントローラーとして使用することを可能としている。
[編集] 関連項目
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