深谷隆司
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生年月日 | 1935年9月29日 |
出身地 | 東京都台東区 |
最終学歴 | 早稲田大学法学部卒業 |
学位 | 法学士(早稲田大学) |
前職 | 東京都議会議員 |
役職 | 予算委員会委員 |
世襲の有無 | 無 |
選挙区 | 東京2区 |
当選回数 | 9回 |
所属党派 | 自由民主党(山崎派) |
党の役職 | 東京都連最高顧問 東京都第二選挙区支部長 台東総支部最高顧問 |
会館号室 | 衆議院第一議員会館の202号室 |
ウェブサイト | ふかや隆司オフィシャルエッブサイト |
深谷 隆司(ふかや たかし、1935年9月29日 - )は、日本の政治家、自由民主党所属の衆議院議員(9期)。山崎派所属。早稲田大学法学部卒業。在学中は早稲田大学雄弁会に所属。生れは東京市浅草区(現・東京都台東区)浅草。
通産大臣、党総務会長などの重職を歴任したベテラン。森内閣の不人気という逆風の中で行われた2000年の総選挙では、都市部を中心としていわゆる「1区現象」が起き、閣僚経験者をはじめ自民党大物議員の多くが落選した。当時現職の通産大臣だった深谷も落選し、ひときわ大きく報道された。雪辱を期した2003年の衆院選でも落選。政治生命の危機も囁かれたが、2005年の総選挙では5年ぶりに国政復帰を果たした。小選挙区制導入後、これが選挙区における初の勝利となった。
目次 |
[編集] 略歴
- 1954年 東京都立江北高等学校卒業
- 1963年 台東区議会議員に当選
- 1965年 早稲田大学法学部卒業
- 1969年 東京都議会議員に当選
- 1972年 第33回衆議院議員総選挙で衆議院議員に初当選
- 1976年 第34回衆議院議員総選挙で落選
- 1979年 第35回衆議院議員総選挙で返り咲き当選
- 1980年 労働政務次官に就任
- 1982年 総理府総務副長官に就任
- 1986年 衆議院逓信委員長に就任
- 1990年 海部内閣で郵政大臣に就任
- 1995年 村山内閣で自治大臣・国家公安委員会委員長に就任
- 1998年 自由民主党総務会長に就任
- 1999年 小渕内閣で通商産業大臣に就任
- 2000年 森内閣で通商産業大臣に再任
- 2000年 第42回衆議院議員総選挙で落選
- 2004年 東洋大学大学院経済学研究科の客員教授に就任
- 2005年 第44回衆議院議員総選挙で返り咲き当選
- 2006年 衆議院国家基本政策委員長に就任
- 2006年10月 近未来政治研究会(山崎派)常任顧問に就任。
[編集] 余談
- 公式ホームページではミュージシャンのGacktが応援メッセージを寄稿している。また、2006年6月に議員在職25年を迎え、国会内に肖像画が飾られたが、その肖像画は深谷と20年来の親交がある八代亜紀が描いた。他にも、都倉俊一、花田勝らとも交友を持つなど、芸能界に幅広い人脈を持っているようだ。
[編集] 文献
[編集] 著作
- 『時代に挑む-与党から野党へ、そして与党へ-』東都書房、1996年9月。
- 『大臣日記』角川書店、1991年12月。
- 『ちょっとアメリカ急ぎヨーロッパ-代議士の妻・聞き書き亭主のヨーロッパ便り-』朝日出版社、1989年1月。(共著)深谷慶子。
- 『深谷隆司のさわやかトーク-あなたとこんにちわPart2-』サンケイ出版、1983年3月。
- 『~江戸っ子議員世界を往く~世界のきょうと明日』行政通信社、1971年。
- 『あなたとこんにちは-下町議員の一口評論-』行政通信社、1974年。
- 『保革逆転-チリ軍事クーデターの意味するもの-』浪曼、1974年。
[編集] 評伝
山口朝雄『深谷隆司・全人像』行研出版局、1997年12月。
- 国家公安委員会委員長
- 1995 - 1996
-
- 先代:
- 野中広務
- 次代:
- 倉田寛之
- 郵政大臣
- 1990
-
- 先代:
- 大石千八
- 次代:
- 関谷勝嗣