キミ・ライッコネン
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F1での経歴 | |
国籍 | フィンランド |
車番 | 3 |
所属チーム | マクラーレン |
活動年数 | 2001 - |
過去の所属チーム | ザウバー |
出走回数 | 105 |
タイトル | 0 |
優勝回数 | 9 |
通算獲得ポイント | 346 |
表彰台(3位以内)回数 | 36 |
ポールポジション | 11 |
ファステストラップ | 19 |
F1デビュー戦 | 2001年オーストラリアGP |
初勝利 | 2003年マレーシアGP |
2006年順位 | 5位 (65ポイント) |
(記録は2006年第18戦終了時) | |
キミ・マティアス・ライッコネン(Kimi Matias Räikkönen, 1979年10月17日 - )は、フィンランド出身のF1ドライバー。日本ではライコネンと表記されることの方が多い。
目次 |
[編集] プロフィール
2001年オーストラリアGPでザウバーからF1デビュー。フォーミュラのでのレースはフォーミュラ・ルノーのみで、F3を経験せずにF1参戦は他の関係者からの批判があった。事実、ライッコネンのスーパーライセンスは4戦限定の仮ライセンスで、危険であれば取り消される可能性もあった(当時のザウバー代表、ペーター・ザウバーがメディアに対し、F1に来る前に、F3に出場させることも考えたと語った)。開幕戦でいきなり6位入賞で周囲の批判を驚きに変え、その後正式にスーパーライセンスが発給された。第6戦のオーストリアGP、第8戦のカナダGPでは共に4位入賞するなど、全17戦中4回ポイントを獲得してドライバーズポイントランキング10位につけた。
この実力を買われて翌2002年から、同郷のF1ドライバーミカ・ハッキネンの後任として名門マクラーレン・メルセデスの正ドライバーとなり、初戦のオーストラリアGPでいきなり3位に入賞して初表彰台を獲得した。2003年には第2戦のマレーシアGPで初優勝を飾り、強敵ミハエル・シューマッハと対等に渡り合ってこの年はドライバーズポイントランキングで堂々の2位につけた。
2004年シーズンは不運なエンジントラブルに多く見舞われ、9戦を消化した時点で僅か8ポイントの11位に留まるも、第8戦のカナダGPでの5位や次戦のアメリカGPでの6位など復調の兆しを見せた。そしてマクラーレン・メルセデスが新車MP4-19Bを投入してから2戦目のイギリスGP予選で2004年シーズン初のポールポジションを獲得、決勝レースでも2位を獲得し、同年初の表彰台となった。その後ベルギーGPでシーズン初優勝を飾る。
2005年シーズンは開幕当初はマクラーレンの新車の信頼性不足によりやや出遅れるも、ヨーロッパラウンドに入るや、第4戦サンマリノGPから3戦連続ポールポジション、第5戦スペインGP以降シーズン7回のレースで優勝を飾るなど、ルノーのフェルナンド・アロンソと激しいチャンピオン争いを繰り広げていたが、惜しくもアロンソに及ばなかった。
ニックネームは北欧出身で常にクールな所から「アイスマン」。(フジテレビの放送では、「北欧のシルバーウルフ」ともいわれる。)口数が少なく記者泣かせであるが、アグレッシブなドライビング、優勝したときのパフォーマンスは内に秘めた情熱を感じ取れる。しかしリタイアした際には、誘導しようと体に触るなどをしたコースマーシャルを突き飛ばすなどの人間的に未成熟な部分を多々見せることもある。 また、大の酒好きとしても知られ、表彰台でのシャンパンファイトでは、まずシャンパンを飲んでからシャンパンファイトに参加する。 ちなみに彼の癖はよくあくびをする。
2006年イタリアGP終了後に、2007年から2009年までフェラーリと契約した事が発表された。
F1参戦前からマネージャーは、「ディビッド&スティーブ・ロバートソン親子」。実は、ジェンソン・バトンを発掘した人物でもある。
英語圏からみればライコネンの話す英語は何を言ってるのか理解できないらしい。
[編集] F1での年度別成績
(2006年第18戦終了時)
年 | 所属チーム | 獲得ポイント | ランキング | 決勝最高位・回数 | 表彰台回数 | *予選最高位・回数 |
---|---|---|---|---|---|---|
2001 | ザウバー | 9 | 10位 | 4位・2回 | 0回 | 7位・2回 |
2002 | マクラーレン | 24 | 6位 | 2位・1回 | 4回 | 2位・1回 |
2003 | 91 | 2位 | 1位・1回 | 10回 | 1位・2回 | |
2004 | 45 | 7位 | 1位・1回 | 4回 | 1位・1回 | |
2005 | 112 | 2位 | 1位・7回 | 12回 | 1位・5回 | |
2006 | 65 | 5位 | 2位・2回 | 6回 | 1位・3回 |
*予選順位はペナルティなどを反映した決勝グリッド
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
2006年シーズンのF1世界選手権を戦うチームと出走ドライバー | |||||||||||
M | RENAULT | M | McLAREN | B | FERRARI | B | TOYOTA | B | WILLIAMS | 使用タイヤ: M: ミシュラン B: ブリヂストン |
|
1 | アロンソ | 3 | ライコネン | 5 | M.シューマッハ | 7 | R.シューマッハ | 9 | ウェバー | ||
2 | フィジケラ | 4 | デ・ラ・ロサ | 6 | マッサ | 8 | トゥルーリ | 10 | ロズベルグ | ||
M | HONDA | M | RED BULL | M | BMW SAUBER | B | SPYKER MF1 | M | TORO ROSSO | B | SUPER AGURI |
11 | バリチェロ | 14 | クルサード | 16 | ハイドフェルド | 18 | モンテイロ | 20 | リウッツィ | 22 | 佐藤 |
12 | バトン | 15 | ドーンボス | 17 | クビサ | 19 | アルバース | 21 | スピード | 23 | 山本 |
井出 (スーパーアグリ-23・第1~4戦) / モントーヤ (マクラーレン-4・第1~10戦) モンタニー (スーパーアグリ-23・第5~11戦) / ヴィルヌーヴ(BMW-17・第1~12戦) クリエン (レッドブル-15・第1~15戦) |