井出有治
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F1での経歴 | |
国籍 | 日本 |
活動年数 | 2006 |
所属チーム | スーパーアグリ |
出走回数 | 4 |
タイトル | 0 |
優勝回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 0 |
表彰台(3位以内)回数 | 0 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
F1デビュー戦 | 2006年バーレーンGP |
初勝利 | - |
最終勝利 | - |
最終戦 | 2006年サンマリノGP |
井出 有治(いで ゆうじ、1975年1月21日 - )は、レーシングドライバー、元F1ドライバー。埼玉県浦和市(現さいたま市)出身。愛車は日産・フェアレディZ。
目次 |
[編集] プロフィール
[編集] レース経歴
1991年にレーシングカートでデビューする。1994年より全日本F3選手権に参戦するが結果を出せず、1999年に一旦格下のフォーミュラ・ドリームに参戦し、松浦孝亮や柳田真孝らと争ってシリーズチャンピオンを獲得する。
その後2002年にはフランスF3選手権に参戦。2003年に星野一義率いるホシノインパルよりカルソニックスカイラインで全日本GT選手権に参戦し、2勝をあげる。同年にセルモよりフォーミュラ・ニッポン(FN)にも参戦、予選順位こそふるわないが、決勝レースでは安定したペースで走行し、最終的には上位に食い込む走りで関係者の注目を集めることとなる。
2004年にはフォーミュラ・ニッポンもインパルから参戦。最終戦までチャンピオン争いを展開し、シリーズ3位の成績を挙げる。2005年は、引き続きインパルよりフォーミュラ・ニッポンとSUPER GT(旧・全日本GT選手権)に参戦して、フォーミュラ・ニッポンではシリーズ2位の成績を収めた。
[編集] F1
2006年に鈴木亜久里率いる新チーム・スーパーアグリよりF1に参戦。
開幕戦・バーレーンGPでF1デビューを果たすが、新規参入チームで満足なテストも実施していないことから、フリー走行時よりトラブルが発生してクルマを止めるシーンが見られ、結果的には35周でリタイアとなる。第2戦のマレーシアGPもメカニカルトラブルでリタイア。その後、オーストラリアGPでは初の完走(13位)を記録したが、サンマリノGPでは、1周目にMF1のクリスチャン・アルバースと接触、アルバースのマシンを横転させてしまう。その接触によるダメージもあり、再びリタイア。
ヨーロッパGPでは、テストドライバーとしてF1の経験を積ませるべきであるというFIAの助言をチームが受け入れ、フランク・モンタニーにシートを譲った。
その後5月10日に、FIAから井出のスーパーライセンスを取り消す旨の通告があったことがチームから発表された。これにより、井出が再びライセンスを手にするためには、F1に参戦している全チームの同意が必要となることから、シリーズへの出場が現在のところ不可能となった。現在もF1の夢は断念していないが、後任のセカンドドライバー、山本左近の活躍により復帰は難しいと考えられている。FIAも1度ライセンスを剥奪した選手の復帰は望ましくないとしている。
実際のところは事前のテスト走行不足などが祟りマシンに習熟する間もなくレースに参戦せざるを得なかったことに加え、マシン自体の性能も(同チームのナンバーワン・ドライバーである佐藤琢磨のマシンと比べても更に)低かったことから、本当に井出の能力が不足していたわけではないとして井出に同情する意見もあった。しかしその一方で、井出の後にシートについたモンタニーや山本が同様の条件で井出以上の結果を出していることからFIAの判断は妥当とする意見も多く、この問題についての賛否は未だ分かれたままである。
7月4日、チームの公式サイトおよび自身のサイトにおいて、7月8日から鈴鹿サーキットで開催されるフォーミュラ・ニッポン第4戦から「DoCoMo TEAM DANDELION RACING」より参戦し残り6戦を戦うことを発表した。また、F1への再挑戦という思いを捨ててはおらず今後の動向が注目される。
[編集] SUPER GT
8月20日、NISMO23号車のサードドライバーとして鈴鹿サーキットにて行われたSUPER GT第6戦Pokka1000kmに出場。しかし32周目のシケイン進入時にGT300クラス55号車と接触。この接触が危険行為とみなされ、大会審査委員会からドライブスルー・ペナルティを課されるもペナルティを示すサインボードを見落としたまま走行を続け、規定周回内にピットインしなかったため、黒旗が提示され失格となった。黒旗の提示後もなお走行を続け、数周後にピットインした。本来自己ピット前に停止すべきところをドライブスルーペナルティを消化するためかピットレーンを通過、そのままコースインしてしまった。それに対して再度黒旗が提示された。チャンピオンシップを争うNISMO、23号車の本山哲、松田次生にとっては大きな痛手となった。
[編集] 外部リンク
[編集] 関連項目
2006年シーズンのF1世界選手権を戦うチームと出走ドライバー | |||||||||||
M | RENAULT | M | McLAREN | B | FERRARI | B | TOYOTA | B | WILLIAMS | 使用タイヤ: M: ミシュラン B: ブリヂストン |
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1 | アロンソ | 3 | ライコネン | 5 | M.シューマッハ | 7 | R.シューマッハ | 9 | ウェバー | ||
2 | フィジケラ | 4 | デ・ラ・ロサ | 6 | マッサ | 8 | トゥルーリ | 10 | ロズベルグ | ||
M | HONDA | M | RED BULL | M | BMW SAUBER | B | SPYKER MF1 | M | TORO ROSSO | B | SUPER AGURI |
11 | バリチェロ | 14 | クルサード | 16 | ハイドフェルド | 18 | モンテイロ | 20 | リウッツィ | 22 | 佐藤 |
12 | バトン | 15 | ドーンボス | 17 | クビサ | 19 | アルバース | 21 | スピード | 23 | 山本 |
井出 (スーパーアグリ-23・第1~4戦) / モントーヤ (マクラーレン-4・第1~10戦) モンタニー (スーパーアグリ-23・第5~11戦) / ヴィルヌーヴ(BMW-17・第1~12戦) クリエン (レッドブル-15・第1~15戦) |
カテゴリ: 日本のF1ドライバー | 1975年生 | 埼玉県出身の人物