メデイア
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メデイアはギリシア神話に登場するコルキス(現在のグルジア西部)の王女。アイエテスとアステロデイアの子。ヘカテの魔術に長け、イアソン率いるアルゴナウタイの冒険を成功に導いた。
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[編集] 神話
イアソンたちアルゴナウタイとの主な神話についてはイアソンの項を参照のこと。ここでは、メデイアを中心とした追補的な神話や異説について述べる。
[編集] アプシュルトス
メデイアの母アステロデイアはカウカソスのニンフ。イアソンたちがコルキスに到着したとき、アステロデイアはすでに亡く、イデュイアがアイエテスの二番目の妃として、メデイアにとり異母弟となるアプシュルトスを生んでいた。
イアソンとメデイアが金羊の毛皮を獲ってアルゴ船を出航させたとき、アイエテスの船団に追われ、メデイアは、一緒に連れてきていた幼い弟アプシュルトスを殺し、亡骸を海にばらまいて脱出したとされている。しかし、これには異説がある。このときアプシュルトスはすでに成人していて、追っ手の船団を率いていた。メデイアが小島にアプシュルトスをおびき出したところをイアソンがこれを殺したというものである。
[編集] メデイアの復讐
メデイアはペリアスの娘たちに老いた雄羊を切り刻んで鍋に入れてぐつぐつ煮て若返らせる所を見せた。姫たちは父親を同じように若返らせようと、ぺリアスを切り刻み、鍋に入れてぐつぐつゆでたが、ぺリアスは死んでしまった。メディアがぺリアスを謀計によって殺した後、イオルコスの人々はメディアの残酷な仕打ちに怒り、メディアはイアソンとともにコリントスに向かったが、コリントスはもともとメデイアの父アイエテスの出身地であり、アイエテスが執政を置いていたのでメデイアは統治権を要求できる立場にあったという。しかるにイアソンはメデイアとの誓いを破棄してクレオンの娘グラウケと結婚しようとしたため、メデイアは毒を染みこませた結婚衣装をグラウケに送り、グラウケはクレオンとともに焼け死んだ。
このとき、メデイアはイアソンとの子まで殺したとされているが、これは後世エウリピデスによる脚色であるともいわれる。イアソンとメデイアの間には、7人の息子と7人の娘がいたが、メデイアが手にかけたのではなく、グラウケとクレオンの殺害に憤激したコリントス人たちが、彼らをことごとく捕らえ、石を投げつけて殺したというものである。また、長男のメデイオスは、イアソン同様ペリオン山のケイロンに養育されていて、難を逃れたともいう。
[編集] 逃避行
コリントスを追われたメデイアは、初めテーバイのヘラクレスを頼った。ヘラクレスは、イアソンが本当に不誠実で、自分を襲った狂気を治してくれるのならかくまおうといった。しかし、クレオンはテーバイの王でもあったため、テーバイ人たちはこれを許さなかった。次にメデイアはアテナイを訪れた。アテナイのアイゲウス王は喜んで迎え、メデイアと結婚した。しかし、メデイアはテセウスを毒殺しようとして失敗し、テセウスによって追放された。その後メデイアはイタリアに行き、マルビウム人たちに蛇遣いの術を教えた。テッサリアにも一時滞在し、女神テティスと美しさを競ったが、イドメネウスの審判で敗れたという。さらに、小アジアに達して王と結婚した。この王はアイギオスでメデイオスの父だともいう。
[編集] コルキスへ~その後
コルキスで父王アイエテスが伯父ペルセスに王座を奪われたと聞いたメデイアは、メデイオスを連れてコルキスに戻った。メデイアはペルセスを殺し、アイエテスを再び王座につけた。
やがてメデイアは不死の身となり、エリュシオンの野を治めたという。アキレウスは死後ヘレネと結婚したという伝説があるが、相手はヘレネではなく、メデイアだという説もある。
[編集] エウリピデスによる悲劇
ギリシャ三大悲劇詩人の一人エウリピデスによる戯曲。コリントスを舞台とし、夫イアソンに離婚を告げられ、追放を言い渡されたメデイアは、イアソンへの復讐のために彼の新しい花嫁とその父王、そして自分の二人の息子を殺害してコリントスを去っていく。一人の女性によって全てを狂わされてしまう物語である。詳しくはメディア (ギリシア悲劇)を参照されたい。