孝安天皇
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孝安天皇(こうあんてんのう、孝昭天皇49年(紀元前427年)- 孝安天皇102年1月9日(紀元前291年2月27日))は、『古事記』『日本書紀』に記される第6代の天皇(在位:孝安天皇元年(紀元前392年)1月27日 - 同102年(紀元前291年)1月9日)。日本足彦国押人尊(やまとたらしひこくにおしひとのみこと)・大倭帯日子国押人命(古事記)。いわゆる欠史八代の一人で、実在しない天皇と捉える見方が一般的である(実在説もある)。
- 大倭帯日子国押人(おほやまとたらしひこくにおしびと)命、葛城の室(むろ)の秋津島(あきづしま)宮に坐しまして、天(あめ)の下治(し)らしめしき。(この後は、毘売(ひめ)を娶って、二人の御子をもうける。内一人が天皇の位についたことを、書いている)天皇の御年、百二十三歳(ももあまりはたちまりみとせ)。御陵は玉出(たまで)の岡の上にあり。(『古事記』)。葛城の室の秋津島宮と玉出の岡は奈良県南葛城郡。
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[編集] 系譜
孝昭天皇の第二子。母は瀛津世襲の妹・世襲足媛(よそたらしひめ)。
[編集] 皇居
都は室秋津島宮(むろのあきづしまのみや、現在の奈良県御所市室)。
[編集] 事績
事績は全く伝えられていない。孝昭天皇68年(紀元前408年)正月に立太子し、同83年(紀元前393年)父天皇の崩御にともない、翌年正月に即位した。在位102年は歴代天皇中最長だが、信憑性は薄い。『古事記』に123歳、『日本書紀』に137歳。
[編集] 陵墓・霊廟
奈良県御所市大字玉手の玉手丘上陵(たまでのおかのえのみささぎ)に葬られたとされる。
歴代天皇一覧 | |||||||||
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1 神武 | 2 綏靖 | 3 安寧 | 4 懿徳 | 5 孝昭 | 6 孝安 | 7 孝霊 | 8 孝元 | 9 開化 | 10 崇神 |
11 垂仁 | 12 景行 | 13 成務 | 14 仲哀 | 15 応神 | 16 仁徳 | 17 履中 | 18 反正 | 19 允恭 | 20 安康 |
21 雄略 | 22 清寧 | 23 顕宗 | 24 仁賢 | 25 武烈 | 26 継体 | 27 安閑 | 28 宣化 | 29 欽明 | 30 敏達 |
31 用明 | 32 崇峻 | 33 推古 | 34 舒明 | 35 皇極 | 36 孝徳 | 37 斉明 | 38 天智 | 39 弘文 | 40 天武 |
41 持統 | 42 文武 | 43 元明 | 44 元正 | 45 聖武 | 46 孝謙 | 47 淳仁 | 48 称徳 | 49 光仁 | 50 桓武 |
51 平城 | 52 嵯峨 | 53 淳和 | 54 仁明 | 55 文徳 | 56 清和 | 57 陽成 | 58 光孝 | 59 宇多 | 60 醍醐 |
61 朱雀 | 62 村上 | 63 冷泉 | 64 円融 | 65 花山 | 66 一条 | 67 三条 | 68 後一条 | 69 後朱雀 | 70 後冷泉 |
71 後三条 | 72 白河 | 73 堀河 | 74 鳥羽 | 75 崇徳 | 76 近衛 | 77 後白河 | 78 二条 | 79 六条 | 80 高倉 |
81 安徳 | 82 後鳥羽 | 83 土御門 | 84 順徳 | 85 仲恭 | 86 後堀河 | 87 四条 | 88 後嵯峨 | 89 後深草 | 90 亀山 |
91 後宇多 | 92 伏見 | 93 後伏見 | 94 後二条 | 95 花園 | 96 後醍醐 | 97 後村上 | 98 長慶 | 99 後亀山 | 100 後小松 |
北朝 | 1 光厳 | 2 光明 | 3 崇光 | 4 後光厳 | 5 後円融 | 6 後小松 | |||
101 称光 | 102 後花園 | 103 後土御門 | 104 後柏原 | 105 後奈良 | 106 正親町 | 107 後陽成 | 108 後水尾 | 109 明正 | 110 後光明 |
111 後西 | 112 霊元 | 113 東山 | 114 中御門 | 115 桜町 | 116 桃園 | 117 後桜町 | 118 後桃園 | 119 光格 | 120 仁孝 |
121 孝明 | 122 明治 | 123 大正 | 124 昭和 | 125 今上 | ※赤字は女性天皇 |