欽明天皇
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欽明天皇(きんめいてんのう、継体天皇3年(509年) - 欽明天皇32年4月15日(571年5月24日))は、第29代の天皇(在位:宣化天皇4年(539年)12月5日 - 欽明天皇32年(571年)4月15日)。天国排開広庭天皇・志帰嶋天皇・斯帰斯麻天皇(しきしま)とも。この代に、百済より仏教が公伝し、任那が滅亡した。
- 弟(おと)、天国押波流岐広庭(あめくにおしはるきひろには)天皇、師木島(しきしま)の大宮に坐しまして、天の下治めらしめしき。
目次 |
[編集] 和風諡号
- 天国押波流岐広庭天皇(あめくにおしはるきひろにわのすめらみこと) - 『古事記』
- 天国排開広庭天皇(あめくにおしはらきひろにわのすめらみこと) - 『日本書紀』
- 阿米久爾意斯波留支比里爾波乃弥己等(あめくにおしはるきひろにわのみこと) - 『天寿国繍帳』
[編集] 系譜
継体天皇の嫡子で、母は手白香皇女(たしらかのひめみこ。仁賢天皇の皇女)。
- 皇后:石姫皇女(いしひめのひめみこ。宣化天皇の皇女)
- 箭田珠勝大兄皇子(やたのたまかつのおおえのみこ、八田王)
- 渟中倉太珠敷尊(ぬなくらのふとたましきのみこと、敏達天皇)
- 笠縫皇女(かさぬいのひめみこ、狭田毛皇女)
- 妃:稚綾姫皇女(わかやひめのひめみこ、古事記に小石比賣命。宣化天皇の皇女。)
- 石上皇子(いそのかみのみこ、上王)
- 妃:日影皇女(ひかげのひめみこ、古事記になし。宣化天皇の皇女?)
- 倉皇子(くらのみこ。古事記に宗賀之倉王として、母は糠子郎女)
- 妃:堅塩媛(きたしひめ。蘇我稲目宿禰の女)
- 妃:小姉君(おあねのきみ。蘇我稲目宿禰の女)
- 妃:糠子(ぬかこ。春日日抓臣の女)
- 春日山田皇女(かすがのやまだのひめみこ)
- 橘麻呂皇子(たちばなのまろのみこ、麻呂古王)
[編集] 即位
継体天皇と手白香皇后(たしらかのひめみこ)の間の息子である。宣化天皇が、身罷った時に、安閑天皇の皇后である山田皇后を推薦したが、これは辞退されたためまだ若い欽明天皇が12月5日に即位した。宣化天皇の皇女石姫を皇后とし敏達天皇を儲けたほか、用明天皇、崇峻天皇、推古天皇の父でもある。
なお、継体天皇の死後、安閑天皇、宣化天皇の朝廷と欽明天皇の朝廷が並立していたという説がある。
[編集] 皇居
都は磯城島金刺宮(しきしまのかなさしのみや、現在の奈良県桜井市金屋・外山)。『古事記』に「師木島大宮」とある。
[編集] 大臣・大連
大伴金村と物部尾輿を大連(おおむらじ)とし、蘇我稲目宿禰を大臣(おおおみ)としたが、すぐに大伴金村は失脚する。これにより物部氏と蘇我氏の二極体制ができあがる。
[編集] 仏教伝来
552年に百済から仏像と経文が伝来する(仏教伝来そのものに関しては、538年とする説が有力である。)。これによって、廃仏派の物部氏と崇仏派の蘇我氏の間で対立がおこり、物部氏は寺を焼き、仏像を投げ捨てる事までした。これにより物部氏と蘇我氏の間の確執が始まる。
[編集] 任那
百済の聖明王(三国史記では聖王、中国の正史では諱を明とすると書かれている)の間とは541年より任那の復興について協議していたが、戦況は百済側に不利であり、552年には平壌と漢城を放棄(三国史記によれば538年)、さらに554年に新羅との戦で、聖明王が亡くなると新羅軍は勢いづき、562年(もしくは560年)に任那を滅ぼしてしまう。562年には、新羅に討伐軍を送るが、敵の罠にかかってしまい退却する。(日本書紀には新羅は白旗を立てて欺いたと書かれている。同年の三国史記の新羅本紀にも伽耶が反乱を起こしたため、軍隊を送り、白旗を立てて敵を驚かせたと言う似た記述が見られる。)同年高句麗にも軍を送っている(三国史記では554年に似た記述が存在する。)
なお、任那は一つの国ではなく十国が集まった連合であると言う記載が日本書紀にある。
ちょうどこのころは、大和朝廷が任那からの影響力を失い、新羅が任那を圧迫しており、百済の弱体化もあり、その勢力を維持できず新羅に勢力圏を明け渡した時期とも考えられる。
欽明天皇は、最後まで任那復興を夢見ながら亡くなったという。
[編集] 御陵
檜隈坂合陵(ひのくまのさかあいのみささぎ)に葬られた。同陵は奈良県高市郡明日香村平田の平田梅山古墳(前方後円墳・全長140m)に治定されているが、橿原市の見瀬丸山古墳(五条野丸山古墳)とする説もある。
[編集] その他
聖武天皇の治世に、中納言阿倍広庭(あべのひろにわ)と言う人物が実在している。偶然とも思われるが、この広庭と言う名前は欽明天皇から取った物ではないかと思われる。この事から逆に、即位前の欽明天皇を「広庭皇子(ひろにわのみこ)」と呼称する学者もいる(記紀には和風諡号しか記されていない)。
[編集] 関連項目
歴代天皇一覧 | |||||||||
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1 神武 | 2 綏靖 | 3 安寧 | 4 懿徳 | 5 孝昭 | 6 孝安 | 7 孝霊 | 8 孝元 | 9 開化 | 10 崇神 |
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21 雄略 | 22 清寧 | 23 顕宗 | 24 仁賢 | 25 武烈 | 26 継体 | 27 安閑 | 28 宣化 | 29 欽明 | 30 敏達 |
31 用明 | 32 崇峻 | 33 推古 | 34 舒明 | 35 皇極 | 36 孝徳 | 37 斉明 | 38 天智 | 39 弘文 | 40 天武 |
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61 朱雀 | 62 村上 | 63 冷泉 | 64 円融 | 65 花山 | 66 一条 | 67 三条 | 68 後一条 | 69 後朱雀 | 70 後冷泉 |
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91 後宇多 | 92 伏見 | 93 後伏見 | 94 後二条 | 95 花園 | 96 後醍醐 | 97 後村上 | 98 長慶 | 99 後亀山 | 100 後小松 |
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