後藤久美子 (女優)
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後藤久美子(ごとう くみこ、1974年3月26日 - )は、東京都出身。昭和後期・平成期の女優。オスカープロモーション所属。身長161cm。
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[編集] 経歴
東京都杉並区出身。熊野幼稚園、区立大宮小学校、区立大宮中学校、多摩大学附属聖ヶ丘高等学校卒業。小学校5年生のときからモデルを始め、1986年、NHKの『テレビの国のアリス』のヒロイン役で女優デビューする。以降、「国民的美少女」をうたい文句に、世に言う美少女ブームを巻き起こす活躍を見せる。所属事務所のオスカープロモーションはこれに乗じて1987年から次代のそれを育成するためのオーディション全日本国民的美少女コンテストを開催することになる。映画出演作に男はつらいよ(松竹)、ラブストーリーを君に、ガラスの中の少女、シティーハンターなどがある。
好物はカレー丼と、名古屋「風来坊」の手羽先。
1995年にフランス人F1レーサーのジャン・アレジと結婚(入籍していない事実婚)。その後は女性ファッション誌を中心に本物のヨーロッパのセレブと結婚した日本のセレブとして活躍。現在はスイス・ジュネーブ在住。2児の母。
褐色の肌と精悍な表情が魅力の中性的な美人である。いわゆるモデル体型ではないが、ジョギングやジムでよく体を鍛えているため、女性としては割としっかり筋肉がついていて、引き締まった体をしている。
夫アレジの影響か、クルマ好きでも知られ、かつてはクーペ・フィアットを自ら運転し、現在は極めて希少価値が高いフェラーリ・ディノ206GT(150台のみ生産された)も運転するという。
愛称の「ゴクミ」は1987年の新語・流行語大賞の流行語部門で銅賞に選ばれる。ここから派生してエンクミ(遠藤久美子)、ゴマキ(後藤真希)などの愛称が作られた。うち「エンクミ」は自称でもあり、多分にあやかった愛称と思われるが、「ゴマキ」は本人の意思に関係なくマスコミが自然発生的にそう呼び出した意味で「ゴクミ」のそれに近い。ちなみに本人がそう呼ばれることを快く思っておらず、コアなファンの前でそう呼ぶことが「禁句」になっていたところまで共通している。
日本共産党の会報誌に政党応援コメントを寄せたこともある。
[編集] エピソード
[編集] 性格
サバサバした性格で、落ち着きがあり、少女時代からハッキリとモノを言うタイプである。クールな印象が先行する一方で意外に感受性が強く、映画の撮影中では感情移入して泣き出すことも少なくなかった。本人曰く「協調性がない分、孤独でも順応性が高い」。中学生当時はその協調性のなさから共演者との軋轢や批判を生んだようだが、現在はそれが外国生活に活かされているとのこと。
[編集] モデル時代
芸歴は長く、前出のとおり小学校の頃からモデル活動を行っていた。同時期から活躍していたのは宮沢りえで、同学年ということもあって仲が良く、また良きライバル関係でもあった。 なお、当時のプロフィールを見ると血液型が「A型」となっており、公式プロフィールでの「O型」は正しくないという説もある。
[編集] アレジとの交際
順調に芸歴を重ね、このままオスカープロの看板女優になると思われた矢先、現在の夫であるアレジとの交際が発覚した。以後グラビアやCMに出演する程度で、女優でありながら女優活動をほとんど行っていない。 なお、アレジの出場するレースには必ず寄り添っており、隠し立てのないオープンな交際ぶりは注目を集めた。
[編集] 筋肉質
前出のとおり、褐色の肌と精悍な表情が魅力の中性的な女性である。体脂肪率の少ないスレンダーなボディで女性的なセックス・アピールに乏しいタイプではあるが、華奢な身体に鍛えられた筋肉を付けることで同性にも支持される美しいボディを造り上げている。 日本で活動していた当初、映画やドラマなどでは露出の少ない衣裳を中心とし、極力筋肉が目立たないようにしていた。女性が筋肉を付けることがまだまだ忌避されていた1990年代前半当時、彼女同様に筋肉を付けていた女性芸能人は池上季実子、服部真湖ぐらいで珍しい存在であったが、現在では女性の地位向上や価値観の変化もあり、hitomiをはじめ、 YOU、ソニン、矢沢心、水野裕子、相武紗季など、筋肉質な肢体を魅力の1つとしている芸能人はさほど珍しいものではなくなっている。
- 中学生の時に著したエッセイ集「ゴクミ語録」にはスポーツ万能と記述されており、父親に似て力が強く、腕相撲では同級生の男子や母親にも負けないとも記述されていた。
- ドラマ「痛快!ロックンロール通り」の冒頭で沢口靖子と腕相撲をするシーンでは、少女らしい細い腕が次第に逞しくなり、力瘤の隆起する様子が伺える。当時すでに成人女性で、割と筋肉のある沢口の腕と比べても引けをとらないほどである。
- 映画「シティーハンター」に出演した頃は10代前半と比べると更に鍛えられ、筋肉が付いて胸や肩幅も大きくなっていた。冒頭で器械体操を演じるシーンでの腕の筋肉は本物の選手顔負けであるなど、作品中では彼女の筋肉美を堪能することができるが、どうして人気アイドルらしからぬマッチョボディになったのかは謎である。
- 写真集「I HAD A DREAM」では女性らしさが加わり、筋肉質ながらも官能的な肢体を堪能することができる。
- その後、アレジと交際を始めて今に至るが、アレジはあまり筋肉質の女性を好まなかったようで、結婚後は子育てもあってほとんど運動をしていなかったため、一時帰国して出演した徹子の部屋では筋肉が落ちてしまったことを嘆いていた。
- それから、運動不足を痛感したのか、前述のとおり再び身体を鍛えるようになり、現在のような筋肉質の美しい肢体の維持に至っている。
[編集] 褐色の肌
国民的美少女として売り出した彼女だったが、上記のように褐色の肌と筋肉質の鍛えられた肢体の持ち主で、運動神経抜群ということもあり、実はアクションなどのワイルド路線に適したタイプであった。ただ、顔立ちが端正すぎて美少女というイメージも強かったため、ワイルドな役柄を演じる機会がないまま事実上の女優休業となったことは非常に惜しまれる。一方で、「たかの友梨ビューティクリニック」のCMで披露した小麦色に焼けた筋肉質の肢体は神々しいまでに美しく、若い女性の注目を集めた。
[編集] 歌手活動
当時の人気アイドルとしては定石どおりであったが、レコードデビューも果たしている。中にはそこそこの売れ行きの曲もあったが、彼女自身が歌手活動にあまり意欲を示さなかったためか、程なく女優業に専念することになった。
[編集] オスカープロの隆盛
所属先のオスカープロモーションと言えば今や「ホリプロスカウトキャラバン」と並び称される一大オーディションとなった「全日本国民的美少女コンテスト」で名高いが、彼女自身はオーディションで選ばれておらず、「第2の後藤久美子」を探せと始まったものである。彼女のネームバリューもあってか当初から数多くの逸材が集まり、オスカープロは今では米倉涼子、上戸彩ら人気女優・タレントを数多く擁する一大芸能事務所に成長している。
[編集] 出演
[編集] テレビドラマ
- テレビの国のアリス(1986年 NHK)
- 続・たけしくん、ハイ!(1986年 NHK)
- 肝っ玉ママとオチャメな天使(1986年 フジテレビ系列)
- 独眼竜政宗(1987年 NHK)
- パンツの穴(1987年、フジテレビ系列)
- ママはアイドル!(1987年 TBSテレビ系列)
- 同級生は13歳(1987年 フジテレビ系列)
- 痛快!ロックンロール通り(1988年 TBS)
- 風少女(1988年 日本テレビ系列)
- 空と海をこえて(1989年 TBS)
- 火の用心(1990年 日本テレビ系列)
- もう涙は見せない(1993年、フジテレビ系列)
[編集] 映画
- ガラスの中の少女(1988年、東映)
- ラブ・ストーリーを君に(1988年、東映)
- 男はつらいよ ぼくの伯父さん(1989年、松竹)
- 男はつらいよ 寅次郎の休日(1990年、松竹)
- 男はつらいよ 寅次郎の告白(1991年、松竹)
- 男はつらいよ 寅次郎の青春(1992年、松竹)
- 男はつらいよ 寅次郎紅の花(1995年、松竹)
- シティーハンター(1993年、アメリカ・香港合作)
- ひめゆりの塔(1995年、東宝)
- キャンプで逢いましょう(1995年、東宝)
[編集] CM
- 住友スリーエム「スコッチEG EXG」
- 国鉄 → JR東日本(1987 - 1988年)
- 花王「エッセンシャル キューティクル・ケアシャンプー&リンス」(1986年)
- 日立製作所
- ミノルタ「マックデュアル」(1987年)
- 大正製薬「パブロン」(1991 - 1994年)
- ヤマザキナビスコ「チップスター」「オレオ」(1991 - 1996年)
- プレイステーション★
- 東洋ゴム工業・トランパス★
★は夫のジャン・アレジと共演
[編集] 曲
歌手としても活躍していた。
[編集] シングル
- 初恋に気づいて
- 「痛快!ロックンロール通り」の挿入歌に使われた曲。歌詞の内容は切ない初恋をテーマとしたもの。当時、後藤久美子の歌い方は棒読み調であったのであまり感情が感じられない印象を与えた。但し「クールな歌い方」と評する向きもある。