辻発彦
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辻 発彦(つじ はつひこ、1958年10月24日 - )は、佐賀県小城市出身のプロ野球選手。テレビ埼玉・NHK・BSの野球解説者および日刊スポーツ野球評論家を務めて、2007年より中日ドラゴンズの2軍監督を務める。2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表内野守備走塁コーチも務めた。
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[編集] 来歴・人物
1984年入団。西武ライオンズ黄金期を支えた二塁手として1995年までの12年間活躍し、1996年にヤクルトスワローズ移籍後も息長く活躍を続けた。1999年限りで引退。難しいボールをさばく技術、特にセンター前に抜けそうなゴロのボールを、逆シングルキャッチしてボールをそのまま二塁へグラブトスして、走者をアウトにする技術は天下一品であった。
人工芝球場での二塁守備は史上最高といっても過言ではない。ただし、本人はプレイヤーの目から見たもっとも良い球場として天然芝のグリーンスタジアム神戸(現スカイマークスタジアム)を挙げている。辻が現役だった当時は、内野は土(現在は天然芝)であった。
しぶといバッティングにも定評があり、走攻守3拍子揃った選手でセ・パ両リーグで優勝・日本一の栄誉に輝いた。また、読売ジャイアンツと戦った1987年の日本シリーズで優勝目前の9回表2アウトの時、一塁手清原和博が泣いているのを二塁を守っていた辻が見つけ、タイムをかけて清原をなだめた。
鉄壁の二塁守備、俊足を生かした盗塁、右打ち打法で首位打者になるなど、一見おろそかにされがちな面での徹底した確実性はまさに西武ライオンズ黄金時代の野球そのものであり、今でもその時代のライオンズの象徴として語られることが多い。西武ファンのみならず、玄人の野球ファンから大いに賞賛された職人肌の選手であった。
1987年日本シリーズの最終戦では、一塁走者として、次打者のシングルヒットで一気にホームインした。巨人の中堅手ウォーレン・クロマティの緩慢プレー(山なりの送球)が批判の対象となったが、伊原春樹三塁ベースコーチによると、遊撃手川相昌弘のプレーがポイントだったそうだ。伊原はオープン戦で対戦した際に、川相が中継プレーの際に、先に行く走者の方を見ず、打者走者の方を必ず見る癖に気づき、案の定川相が打者走者に視線を送ったのを確認してGOサインを出した。このプレーで川相は深く反省し、以後は必ず先の走者を必ず見るようになったという。余談だが、その川相と辻は2007年から肩書き(一軍コーチと二軍監督)こそ違うものの同じチームに所属する。
バットを極めて短く持って右打ちするフォームが特徴であった。イメージとは違いかなり大柄で、身長は184cmあり、送りバントはあまり得意ではなかった。社会人時代は中軸打者でバットを長く持ち振り回していた。
ただし西武晩年頃から肩が衰え、右中間の打球であっても遊撃手の松井稼頭央が中継に入るほどであった。そのためか、狭い神宮球場を本拠地とするヤクルトに移籍した。
移籍1年目の1996年にはリーグ2位の.333を記録したが次第に衰えが見られ、1999年に引退した。
2006年11月1日、かねてから噂されていた中日の二軍監督に就任した。また、この年、移籍先の中日で引退した奈良原浩も内野守備走塁コーチに就任したため、西武黄金期の鉄壁の二遊間が指導者として再び手を組むことになった。
[編集] 略歴
- 高校は佐賀東高校、社会人野球は日本通運出身。
- 1984年 - ドラフト2位で西武に入団。背番号は5。
- 1985年 - 二塁手のレギュラー獲得。
- 1987年 - 故障で出遅れるも読売ジャイアンツとの日本シリーズでトリッキーな走塁を見せた。ウォーレン・クロマティの緩慢な守備のスキを狙い、一気にホームインする頭脳の走塁だった。
- 1993年 - .319で首位打者、.395で最高出塁率獲得。
- 1996年 - ヤクルトに移籍。背番号は8。この年.333で打率2位。
- 1997年 - 移籍後初のリーグ優勝を経験し、1994年以来3年ぶりの優勝を経験。古巣との日本シリーズを制し、1992年以来5年ぶりに日本一の栄冠に輝く。
- 1999年 - 現役引退。
- 2000年 - ヤクルトのコーチに就任。背番号は84。
- 2002年 - 横浜ベイスターズのコーチに就任。背番号は85。
- 2006年 - 11月1日、中日ドラゴンズの二軍監督に就任した。
[編集] 通算成績
- 1562試合 打率.282(5187打数1462安打) 56本塁打 510打点 242盗塁
[編集] 背番号
[編集] タイトル・表彰
[編集] 関連項目
中日ドラゴンズ - 2007 |
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| 1 福留孝介 | 2 荒木雅博 | 3 立浪和義 | 5 渡邉博幸 | 6 井端弘和 | 8 平田良介 | 9 井上一樹 | 11 川上憲伸 | 12 岡本真也 | 13 岩瀬仁紀 | 14 朝倉健太 | 16 佐藤充 | 17 川井進 | 18 中里篤史 | 19 吉見一起 | 20 中田賢一 | 21 樋口龍美 | 22 藤井淳志 | 23 鈴木義広 | 25 新井良太 | 27 谷繁元信 | 28 チェン | 29 山井大介 | 30 石井裕也 | 31 森野将彦 | 32 中川裕貴 | 33 金剛弘樹 | 34 山本昌 | 35 上田佳範 | 36 平井正史 | 37 小山良男 | 38 斉藤信介 | 39 清水将海 | 40 小田幸平| 43 小笠原孝 | 44 T.ウッズ | 45 森岡良介 | 46 デニー友利 | 48 澤井道久 | 49 マルティネス | 50 佐藤亮太 | 51 中村一生 | 52 春田剛 | 53 柳田殖生 | 54 鎌田圭司 | 55 前田章宏 | 56 中村公治 | 57 英智 | 58 石川賢 | 59 小川将俊 | 60 高江洲拓哉 | 61 久本祐一 | 62 普久原淳一 | 63 堂上剛裕 | 65 金本明博 | 67 高橋聡文 | 68 長峰昌司 | 69 小林正人 | 201(育成選手) 加藤光教 | 202(育成選手) 竹下哲史 | 未定 堂上直倫 | 監督 落合博満 | 球団 | 編集 |
2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表 |
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1 岩村明憲 | 2 小笠原道大 | 3 松中信彦 | 5 和田一浩 | 6 多村仁 | 7 西岡剛 | 8 今江敏晃 | 9 金城龍彦 | 10 宮本慎也 | 11 清水直行 | 12 藤田宗一 | 15 久保田智之 | 17 福留孝介 | 18 松坂大輔 | 19 上原浩治 | 20 薮田安彦 | 21 和田毅 | 22 里崎智也 | 23 青木宣親 | 24 藤川球児 | 25 新井貴浩 | 27 谷繁元信 | 31 渡辺俊介 | 40 大塚晶則 | 41 小林宏之 | 47 杉内俊哉 | 51 イチロー | 52 川﨑宗則 | 59 相川亮二 | 61 石井弘寿/馬原孝浩 |
89 監督 王貞治 | 84 武田一浩 | 85 辻発彦 | 86 鹿取義隆 | 87 大島康徳 | 88 弘田澄男 | 項 | |