J.B.S.ホールデン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジョン・バードン・サンダースン・ホールデン John Burdon Sanderson Haldane (1892年11月5日 - 1964年12月1日)はイギリスの生物学者で、普通はJ.B.S.ホールデンと呼ばれる。ロナルド・フィッシャー、シーウォル・ライトと並ぶ集団遺伝学の開拓者であり、酵素反応速度論などにも業績を残した。また一般向け解説書やエッセーも多数執筆する一方、しばしば個性的な言動で注目を浴びた。
目次 |
[編集] 生い立ち
ホールデン家はスコットランドの名門として知られる。J.B.S.ホールデンは医師・生理学者のジョン・スコット・ホールデン(呼吸の研究で著名)の子としてオックスフォードに生まれた。妹には作家のナオミ・ミチスンNaomi Mitchison(1897 - 1999)がいる。
父の影響で生物学を専攻しオックスフォード大学ニューカレッジを卒業した。
第一次大戦中はフランスとイラクで軍務に就いたが、その間に社会主義に目覚め、さらに後には共産主義に惹かれることになる。
[編集] 研究
1919年からニューカレッジでフェローを務め、1922年にはケンブリッジ大学に移り、1932年以降はユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンで研究を行った。
1925年、酵素反応速度論の基本であるミカエリス・メンテン式の新たな導出法をG・E・ブリッグスとともに明らかにした(ブリッグス・ホールデン式とも呼ばれる)。これは1913年に初めて導かれたものだが、酵素・基質と酵素基質複合体との平衡を仮定していた。ホールデンらはより一般的な定常状態(酵素基質複合体の生成速度と分解速度が等しい)を仮定しても同形の式が導かれることを示し、ミハエリス定数により適切な解釈を示した。
ホールデンの有名な著書「進化の要因」The Causes of Evolution(1932年)はメンデルの法則を基本として自然淘汰による進化を数学的に説明したもので、ネオダーウィニズム総合説の代表的著作として知られる。
[編集] 共産主義思想
彼は1931年にソビエトを旅行し、また以前から唯物論的思想を抱いていたことから、共産主義に惹かれるようになる。
1937年にイギリス共産党に参加した。戦後、共産主義者に対する圧迫が強まっても彼は堂々と共産主義者を自称していた。しかしルイセンコとスターリン独裁の犠牲となった旧知の生物学者ニコライ・ヴァヴィロフの悲劇を知るに及び、1950年に党を去った。
[編集] 私生活
1924年にフェミニストとして有名なジャーナリスト、シャーロット・バージェスCharlotte Burghes(旧姓Franken)と知り合い、二人の仲はスキャンダルとして騒がれたが、シャーロットが前夫と離婚したあと1926年に二人は結婚した。シャーロットは第二次大戦初期にソビエトの実態に幻滅し共産主義に決別したがホールデンは戦後まで共産主義思想を捨てなかった。彼らは1945年に離婚し、ホールデンは後に共同研究者ヘレン・スパーウェイHelen Spurwayと再婚した。
[編集] 著作
彼は一般向けの書物も多数執筆した。中でも「ダイダロス、あるいは科学と未来」Daedalus or Science and the Future(1923年)は科学の未来を予測したものとして有名だが、進歩を理想化しすぎているとの批判もある。
その他、My Friend Mr. Leakey(1937年)、Adventures of a Biologist (1947年)、What is Life?(邦題「人間とはなにか」1947年)などの著書がある。
ホールデンは作家オルダス・ハクスリーと親しく、彼の「道化踊り」Antic Hayにはホールデンをモデルにした生物学者Shearwaterが登場する。「すばらしい新世界」Brave New Worldも、人工子宮で胎児を育てる話など「ダイダロス」の影響が大きい。
[編集] 彼の名を冠した法則など
1937年に、遺伝的に平衡状態にある集団では突然変異による集団適応度の減少率は個体あたりの総突然変異率に等しく、個々の遺伝子の有害度には依存しないことを示した。これは現在ホールデン・マラーの原理と呼ばれている。
エッセーOn Being the Right Size(1928年)では、「動物の性質はその大きさによりほぼ規定される」(例えば体の小さい昆虫は空気が体内に拡散するだけで呼吸できるが、体の大きい動物は心臓や赤血球が必要になる)という独自の見方を示し、これも「ホールデンの原理」と呼ばれることがある。
1922年に「系統の異なる動物の雑種第1代で一方の性にのみ現れない、少ない、あるいは不妊といった異常が見られる場合、そちらの性が異型接合(ヒトでいえばXYの性染色体をもつ男性)である」ことを見出し、これはHaldane's rule(日本語ではホールデンの規則)と呼ばれる。
Possible worlds (1940年)の中の名言「宇宙は我々が想像する以上に奇妙などころか、想像できる以上に奇妙なのだ」:これはHaldane's law(これは日本語では「ホールデンの法則」)と呼ばれることもある。
(ただし父による「ホールデンの法則」もあるので注意。)
[編集] 教育
ホールデンは多数の後進を育成した。中で最も有名なのはジョン・メイナード=スミスであろう。
[編集] 晩年
1957年に大学を辞しインドに移住した。スエズ動乱への抗議と称していたが、実際は第一次大戦中に滞在して以来インドにあこがれを抱き、またインドの統計学者P.C.マハラノビスに招かれてもいたからである。インド国立統計学研究所(カルカッタ)、ついでオリッサ州立生物学研究所で教授を務めた。オリッサ州ブバネスワルで死去。