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ジョージ・ハリスン - Wikipedia

ジョージ・ハリスン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

George Harrison in 1964
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George Harrison in 1964

ジョージ・ハリスン MBE (George Harrison MBE1943年2月24日 - 2001年11月29日) は、イギリス・リヴァプール出身の、ロックミュージシャン歌手ギタリスト)、映画プロデューサー。ロック・バンド、ザ・ビートルズのメンバーの一人として1960年代に一世を風靡し、グループ解散後はソロ・アーティストとして「マイ・スウィート・ロード」「ギヴ・ミー・ラヴ」「二人はアイラヴユー」「過ぎ去りし日々」「セット・オン・ユー」などをヒットさせ、「最も長い間ヒットを飛ばし続けた男」としてギネスワールドレコーズ(旧称ギネスブック)に認定されるまでに至った。

発表したアルバム枚数はそう多くないものの、常にチャートでは上位に食い込み、たびたび大ヒットを飛ばした。中でも1970年に発表された『オール・シングス・マスト・パス』は、ロック・アルバムの金字塔として高く評価されている。

ジョージ・ハリソンは1969年のデラニー&ボニーのライブツアーに参加したことをきっかけにスライドギターを習得した言われ、名手としての地位を確立した。そして「フリー・アズ・ア・バード」、「リアル・ラヴ」などの曲中で演奏した。

2001年に肺癌と脳腫瘍のため逝去。1988年にビートルズのメンバーとして、2004年に個人としてロックの殿堂入りしている。現在「Sir」の称号を故人としてはじめて授与されるかが議論されている。


目次

[編集] 生い立ち

リヴァプールのアーノルド・グローブ12番地で生まれ育った。父親はバス運転手だった。ダブディル・ロード幼児学校、ダブディル小学校に通い、リヴァプール・インスティテュートに入学した。友人達は彼を「独りぼっちで隅に座っている」ようだと評している。

1950年代の中頃に同校でポール・マッカートニーと出会う。ポールの紹介でジョン・レノンらのバンド「ザ・クォリーメン」に参加し、リードギターを担当した。バンドは後にビートルズとなる。ビートルズ加入のきっかけとなったのは、バスの2階で行われた即席オーディションにおいて、当時高等テクニックを要した「ローンチー」というギター・インストゥルメンタル曲を完璧に弾いたことが、リーダーであるジョン・レノンに認められたからだと言われている。

また、生年月日は1943年2月25日だと公表していたが、晩年に、実際には1943年2月24日だったと告白した。

[編集] ビートルズの中で

ビートルズのメンバーでは最も年下で、主にリードギター、コーラス、ボーカルを担当した。自作曲も20曲以上発表している。その初期に於いて、デッカレコードミック・ジャガーを始めとするローリング・ストーンズを紹介したとされる。また、各種楽器の導入にも貢献し、初期にはエレクトリック12弦ギターを導入し(後にアメリカのグループ、バーズのサウンドに影響を与えたといわれる)、中期にはシタールを導入することで、インド音楽へ傾倒していく。また、後期には初期の型のシンセサイザーをいち早く導入している。

活動後期になると、自作曲「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」のギターソロにエリック・クラプトンを、キーボード・プレイヤーとしてビリー・プレストンをゲットバック・セッションに参加させるなど、閉鎖的だったバンドのサウンドに、外部の血を入れるという面で、特に貢献した。その作風から、欧米では「静かなるビートル(Quiet Beatle)」の異名を取っていたが、ルックスや振舞いが人気を集めた為に、日本のファンからは「美しいビートル(Beautiful Beatle)」と呼ばれていた。アルバム「リヴォルバー」の「タックスマン」は、ジョージがビートルズのアルバムにおいて唯一のベストトラック(別名「ベストヒッツトラック」1曲目のことを指す)を飾った作品である。

活動初期から中期においては、ソングライターとしては天才メロディーメーカー、レノン&マッカートニーの陰に隠れ目立たない存在であったが、後期になると「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」「サムシング」等の名曲を完成させる。しかし、当時ビートルズ内でのジョージの評価は決して高くなく、一つのアルバムにつき2曲しか発表できない、自由にリードギターを弾かせてもらえないなどで不満を募らせる。この確執はゲットバック・セッションで顕在化し、彼はメンバーの中でも早くからソロ活動を志向するようになる。ドキュメンタリー映画「ビートルズ/レット・イット・ビー」の中で、ギターソロをめぐってポールと口論するシーンがカメラに収められている。

[編集] 解散後

[編集] 1970年代前半

ビートルズ解散直後、最も活発に音楽活動を展開したのはハリスンであった。その活動の充実ぶりに彼は多くの評論家から「ビートルズを解散して最も得をした元ビートル」と評された。本格的な初のソロ・アルバムとなった『オール・シングス・マスト・パス』は、異例のLP3枚組として発売されたにもかかわらず全米/全英のアルバムチャートで7週連続1位となる大ヒットを収め、シングル「マイ・スウィート・ロード」も米英それぞれ4、5週連続No.1となっている。自作の曲を正当に評価されず発表の機会を得ることができなかった彼が、書きためていた曲を一気に放出した作品が多く含まれているこのアルバムは、その完成度の高さから今もなおロックアルバムの金字塔として評価されている。

翌年8月には、シタールの師であるラヴィ・シャンカールの要請でロック界初の大規模なチャリティー・コンサート(バングラデシュ・コンサート)を開催。エリック・クラプトンボブ・ディランレオン・ラッセル等が参加したイベントは大成功を収め20世紀最大のロック・イベントとも称された。その模様を収めたライヴ盤は1972年グラミー賞のアルバム・オブ・ザ・イヤーに輝いた(全米・全英No.1)。

1973年に発売された2枚目の『リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』も全英2位・全米で5週連続1位を記録。翌1974年にはA&Mレコード傘下に自らのレーベル「ダーク・ホース」を立ち上げ、そこから彼自身が発掘しプロデュースを手がけた新人やラヴィ・シャンカールのアルバムなどを次々リリースする(彼自身はまだアップルとの契約が残っていたため、このあともしばらくはEMIからレコードを発売し続けた)。それに伴い同年秋にはビートルズ解散後初の大規模な北米ツアーをシャンカールとの連名で行うなど、積極的に活動を続けた。しかしツアー自体は、シャンカールのインド音楽のコーナーを中間に挟む構成や、多忙なスケジュールがもたらしたハリスンの声帯の不調などが原因で失敗に終わり、評論家の間では酷評されてしまった。喉の異常は当時のアルバムにも顕著に現れており、レコードセールスもこれ以降下降してゆくこととなる。同時期には「マイ・スウィート・ロード」にまつわる盗作問題で訴訟を起こされる(最終的に敗訴する)など、順風満帆に過ぎていたソロ活動はこの頃さまざまな不運によって精彩を欠いていた。

[編集] 1970年代後半

1974年にはアルバム「ダーク・ホース」(全米4位)を発表。1975年発売の『ジョージ・ハリスン帝国』(全米8位)を最後にEMIとの契約が満了したハリスンは、ようやくダーク・ホース・レーベルに移籍し、そこから発売される予定のアルバムの録音にとりかかる。しかし、その矢先に彼は肝炎を患って入院してしまう。そのためレコード会社にはアルバムを提出する期限を守ることができず、鳴かず飛ばずのレコードばかり押し付けられて痺れをきらしていたA&Mから違約金の支払いを求める訴訟を起こされてしまう。A&Mに支払う違約金を肩代わりしてもらうことを条件にワーナー・ブラザーズと新たに契約した彼は、「新たな関係が築けてうれしい」と話し、ここから新たなスタートを切ることとなる。ここから1976年に「33 1/3」「慈愛の輝き」という2枚のアルバムを発表し、それぞれ全米11、14位というまずまずのセールスを収めた。

私生活では、彼の親友であるエリック・クラプトンと交際するようになった妻のパティ・ボイドと離婚。仕事上で出会ったメキシコ系のアメリカ人女性オリヴィア・トリニアード・アリアスと1978年に再婚し、一人息子のダニーをもうけている。また1977年ごろからは音楽以外の活動にも興味を示すようになり、副業として始めた映画制作の仕事で大きな成功を収めることとなる。少年時代からの趣味だったモータースポーツ観戦にもより一層熱中。ニキ・ラウダジャッキー・スチュワートなどといったレーサーとの親交を深め、自身もレースにドライバーとして1度参戦している。この趣味は後年まで長く続いたようで、レーサーのデーモン・ヒルと親睦を深めたり、晩年にもカーレースを観戦する姿がたびたび目撃された。

[編集] 1980年代前半

副業の映画プロデューサーとして成功を収めた一方で、本業の音楽活動からは遠ざかるようになる。1980年に制作したアルバム『想いは果てなく~母なるイングランド』は「キャッチーな曲が少ない、内容が暗い」という理由からレコード会社に発売延期と収録曲の差し替えを命じられてしまう(ジョージ自身が製作したジャケットも気に入らないと要求された)。屈辱を味わいながらもレコーディングを再開した矢先に起こったのが、1980年12月8日ジョン・レノン射殺事件である。このあまりに衝撃的な訃報が音楽業界に与えた影響は大きく、翌81年から1982年にかけてはクイーンエルトン・ジョンなどによるレノンへの追悼歌が多数ヒットした。ハリスンの1981年のシングル「過ぎ去りし日々」はその代表的な例であり、この曲は全米チャートで最高2位を記録する大ヒットとなった。リンゴ・スターに提供する予定だった曲の歌詞を書き換えて完成したこの曲は、スターがドラム、ウイングスポール・マッカートニー夫妻とデニー・レインの3人)がコーラスで参加したことでも大きな話題を呼んだ。内容の差し替えを要求されたアルバムにはこの曲を含む4曲が新たに代わりに収録され、同年にリリースされた。発売延期のせいもあってか全米10位、全英8位とシングルほどの大ヒットとはならなかったが、それでも復調の兆しは垣間見ることができた。

1982年には次作『ゴーン・トロッポ』を制作・発表するが、当時の彼は音楽業界に殆ど興味を失っていたようで、アルバムの宣伝には全く力を入れなかった。所属レコード会社のワーナーも宣伝活動には協力しなかったため、アルバムはアメリカのチャートで100位圏外という結果に終わり、その他の国ではチャートインさえできなかった。このアルバムの発表以降、ハリスンはアーティストとしての活動から半引退状態となる。プライベートでときおり楽曲を書くことはあったものの、特に1985年は「最も音楽から離れた年」であったと後年本人は語っている。

[編集] 1980年代後半

本格的な音楽活動から遠ざかっていたハリスンに変化をもたらしたのが1986年公開のマドンナショーン・ペン主演の映画『上海サプライズ』だった。この作品のために彼は数曲を提供し自らも出演。その中で共演したのが熱狂的なビートルズフォロワーとしても知られるエレクトリック・ライト・オーケストラジェフ・リンである。リンとの出会いにより、彼は再び音楽活動への情熱を取り戻すのだった。映画自体は評論家から酷評され、ペン夫妻の演技やハリスンの書いた主題歌はゴールデンラズベリー賞にノミネートされるなど、いわば黒歴史といえる酷い代物であったものの、この作品の存在は後のハリスンの復活劇に大きな役割を果たした。

1987年に入るとハリスンはリンと共に久々のアルバム制作にとりかかる。同時期には、イギリスチャールズ皇太子が主催するチャリティコンサートに「プリンス・トラスト」にスター、クラプトンらと共に参加。およそ18年ぶりにイギリスでパフォーマンスを行い、「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」「ヒア・カムズ・ザ・サン」を演奏した。前年の同イヴェントにはマッカートニーが参加しており、2年連続でビートルズの元メンバーが出演したことが話題となった。

ジェフを共同プロデューサーに迎えて制作されたアルバム『クラウド・ナイン』は1987年11月に発売された。このアルバムの発表にあたってジョージは、久々に世界中のメディアで大々的にプロモーションを行い、その甲斐あってアルバムはアメリカをはじめとする世界各国で大ヒットする。日本では最も売れた彼のソロ作品となった。また、シングルカットされた「セット・オン・ユー」は1988年1月20日付のビルボードのシングル・チャートでNo.1(1988年度の年間チャートでも5位)を記録。ハリスンが全米のヒットチャートで1位を記録したのは久々であり、この大ヒットは彼の復活を決定的に印象付けた。また、このアルバムの成功をきっかけに、リンはブライアン・ウィルソンやランディ・ニューマンなどを手がける売れっ子プロデューサーとなり、後の「ビートルズ・アンソロジー・プロジェクト」でも重要な役割を担うこととなった。同年ジョージははリン、ボブ・ディランロイ・オービソントム・ペティらと覆面バンド「トラベリング・ウィルベリーズ」を結成。所属レコード会社が違ったため、実名を伏せ、プローモーションなどの宣伝活動を行わなかったのだが、二枚のアルバムを発表し、1stアルバム『ヴォリューム・ワン』は1989年度のグラミー賞を受賞するなど、大きな成功を収めた。アルバムも6週連続No.3を記録した。

[編集] 1990年代~晩年

1991年12月、日本だけでエリック・クラプトンとのジョイント・ツアーが行われる。17年ぶりのコンサートツアーであり、25年ぶりの来日公演でもあった。当時息子を事故で亡くした直後だったクラプトンによるハリスン本人への申し入れによって実現したもので、コンサートはクラプトンと彼のバンドによる全面的なバックアップのもとで行われた。1989年のスター、1990年のマッカートニーに次いで、元ビートルズが3年連続で来日したことがファンの間では話題となった。結局これが、ビートルズ解散後のハリスンの2度目で最後のライヴツアーとなる。クラプトンのコーナー以外のほぼ全容は、翌年発売の2枚組のライヴ盤『ライヴ・イン・ジャパン』に収められている。翌1992年春には、ほぼ同じ曲目と同じバンド(クラプトンは不参加)で自らが支持する政党の支援を目的としたコンサートを本国で行うが、これが彼にとっての生前最後のライヴ・パフォーマンスとなった。

1993年より、「ビートルズ・アンソロジー」のプロジェクトが正式に始まり、マッカートニースターとの共同作業が行われる。ジョン・レノンの生前に残されたデモ音源から「フリー・アズ・ア・バード」「リアル・ラヴ」の2曲が正式なビートルズの新曲として1995年1996年に相次いで発表され、各国のチャートに入るヒットとなった。

1997年にはシャンカールのアルバム『チャント・オブ・インディア』をプロデュース。このアルバムの制作に全面的に協力したハリスンの思い入れは強く、彼はシャンカールとともに積極的にプロモーション活動を行った。だが同時期に喉頭癌が発覚し、7月に手術を受けることとなる。その後も放射線治療を続け、1998年に世間に手術の事実が発覚した後も数年間再発は見られなかったという。1999年頃からは自らが過去に発表したソロ・アルバムのリマスターの作業にもとりかかりはじめ、マイペースで新作の制作も開始。21世紀に向けてミュージシャンとして再始動しようとしていたが、そんな矢先の1999年の晦日に自宅に侵入した変質者にナイフで襲われ、重傷を負ってしまう。幸い命に別状はなかったものの、世間に与えた衝撃は非常に大きかった。 この話を聞いた多くの人が、1980年のジョン・レノン射殺を思い出して戦慄し、「80年代の幕開けに死んだジョンの様に、ジョージも21世紀を目前にして死ぬのではないか」と囁かれたのだ。 しかし、恐怖するファンを安心させるかのように、2001年、ジョージは自身の代表作である『オール・シングス・マスト・パス』のリマスター盤を発表。そのプロモーション活動の中で、「新作についても完成が近い」ことを明かし、ファンを喜ばせた。

この間にかつてのビートルズのメンバーのピート・ベストと再会している。ジョージ曰く「僕はビートルズ時代にピートになにもしてあげられなかった。せめて、再び彼と逢ってピートに当時のことを謝りたかったんだ」と長年の間ずっと、ピートのことを気懸かりに思っていたという。

しかし、今度は肺癌であったことが発覚、さらに脳腫瘍も併発していたことが判明。フランスでコバルト放射線治療を受け療養生活に入るが、世界中のタブロイド誌ではハリスンの体調に関するさまざまな憶測が飛び交った。本人からは否定のコメントが出されたものの、秋に入ると報道は更に加熱。2001年11月には各国の大衆紙で彼が危篤状態であることが報じられた。そしてそれから間もない同年の11月29日(日本時間11月30日早朝)、肺癌のため彼は滞在先のロサンゼルスで逝去(享年58)。なお死亡した場所については、オリヴィア夫人がビートルズ・ファンからの追悼の巡礼を逃れるために虚偽の住所を死亡証明書に記載したため、定かではない。

[編集] 死後

ハリスンが病に侵されなければ生前に完成するはずだった新作は、彼の死から約1年後の2002年11月に『ブレインウォッシュド』というタイトルで発売された(プロデュースはハリスンと彼の息子ダニー、ジェフ・リンの3人)。2003年度グラミー賞には遺作から"Any Road"と"Marwa Blues"の2曲がノミネートされ、後者は最優秀ポップ・インストゥルメンタル部門を受賞した。また、最優秀ポップ・アルバムに「ブレインウォッシュド」もノミネート、計3部門にノミネートされた。

遺作集のリリースとほぼ時期を同じくしてエリック・クラプトンの企画による追悼コンサート『コンサート・フォー・ジョージ』が行われ、リンとトム・ペティ、マッカートニースタービリー・プレストン、ジョー・ブラウンと娘サム、ジュールズ・ホランドなど、生前ハリスンと親交の深かったアーティストたちが多数参加した。このコンサートの模様は翌年にCDとDVDでリリースされている。

2004年3月15日にはソロ・アーティストとしてロックの殿堂入りを果たした。同時期にはファンからは長らく発売を熱望されていたワーナー在籍時代のアルバムがデジタル・リマスターを施されて再リリースされ、話題を呼んでいる。また、2005年には彼のキャリア最大の功績のひとつである『バングラデシュ・コンサート』のCDとDVDが装いを新たに再発された。2006年9月には、アルバム未収録だった2曲を加えた、1973年発表の全米No.1アルバム「リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」が、リマスターされて発売された。

現在ポール・マッカートニーに続き、英国王室から「Sir」の称号が与えられる見込みとなっている。

[編集] 日本公演

12月1日・横浜アリーナ、12月2日,3日・大阪城ホール、12月5日・名古屋国際展示場、12月6日・広島サンプラザ、12月9日・福岡国際センター、12月10日,11日,12日・大阪城ホール、12月14日,15日,17日・東京ドーム

[編集] ディスコグラフィー

[編集] オリジナル・アルバム


[編集] 編集アルバム

[編集] 主な使用楽器

[編集] アコースティック・ギター

[編集] エレクトリック・ギター

  • ハグストロム・フュチュラマ・グラジオッソ(Hagstrom Futurama Grazioso)
デビュー前に使用していた安価なギター。単純に見た目が当時の若いミュージシャン達が憧れていたストラトキャスターに似ているため購入したといわれている。
1965年に撮影された一連のプロモーション・フィルム(「アイ・フィール・ファイン」「涙の乗車券」「ヘルプ!」「デイ・トリッパー」「恋を抱きしめよう」)でその姿が確認できる。1965年のイギリス・ツアーで使用している写真が残されている。
  • ギブソン・SG・スタンダード(Gibson SG Standard)
「ペイパーバック・ライター」「レイン」のプロモーション・フィルムでその姿が確認できる。ステージでの使用実績は不明だが、1966年のツアー時にはスペアとして用意されていた。
57年製ゴールドトップのものをSGと同じチェリーレッドにリフィニッシュしたもの。もともとはエリック・クラプトンの所有であったが、1968年9月4日にレヴォリューションのPV撮影時にジョージが使用、同年9月6日のホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープスにおいてクラプトンがソロをオーバーダブし、この後譲り受けたといわれている。このギターは1974年の北米ツアー中に盗難の被害にあっているが、犯人は探し当てられ、新品のレス・ポールと交換で買い戻されている。愛称はルーシー。
  • グレッチ・デュオ・ジェット(Gretsch Duo Jet)
デビュー直前から1963年中頃までステージおよびレコーディングで使用。なお、同型でボディー・カラーの異なる(赤色)ジェット・ファイアー・バードも所有していた。
  • グレッチ・カントリー・ジェントルマン(Gretsch Country Gentleman)
デビュー直前から1963年後半から1965年初頭までステージおよびレコーディングで使用。ミュート・スイッチの数、形状等から、3本所有していたものと思われる。セミ・アコースティックだが、ボディにサウンド・ホールは開いていない(Fホールのペイントのみ)。
  • グレッチ・テネシアン(Gretsch Tennessean)
1965年のアメリカ・ツアーでの使用が良く知られているが、1964年のフランス公演での使用が確認されている。セミ・アコースティックだが、ボディにサウンド・ホールは開いていない(Fホールのペイントのみ)。
テレビ番組「レディ・ステディ・ゴー」出演時に使用している。
ア・ハード・デイズ・ナイトのイントロの1コードを奏でた事で有名な12弦ギターで、12弦独特の分厚いコーラス感と明るいサウンドが特徴。1963年製と1964年製の2本所有していた。'63の方は初アメリカツアーの際に、リッケンバッカーから直接プレゼントされたもので、ボディのエッジがシャープで、テールピースは平たいコの字型のタイプであり、'63年12月の試作2本目のものであった。'64の方は日本公演でも使用されたもので、ボディのエッジは丸みを帯びていてRickenbackerR の文字を象ったテールピースを使っている。1本目はソロ時代のプロモーションフィルムにも登場し現在も遺族が大切に保管しているが、2本目は1966年のツアー終了直後に紛失した。
1966年のコンサート・ツアーのメイン・ギターとして使用。ビグスビー・トレモロを装備。色はジョン・レノン所有のモデルと同じくサンバーストだったが、1968年、レノンが自器の塗装を剥離したのと同時期に、同様に塗装を剥離した。現在はロンドン郊外のフライアー・パークにある自宅の壁に掛けられているという。
ジョージはビートルズのメジャー・デビュー前より、バディ・ホリーやハンク・マーヴィンらの影響でストラトキャスターを欲しがっていたが、当時は高価で手が出ず、ビートルズのデビュー以後もしばらくは、パブリック・イメージを重視したブライアン・エプスタインの意向により、ストラトキャスターなどのフェンダー社のギターを使用することは許されなかった。
1965年になって、レコーディングのみという条件で許しが出るようになったので、ジョージはラバー・ソウルセッション時に、ジョンとお揃いでストラトキャスターを入手した。色はソニックブルー、61年製のスラブボードと呼ばれるローズ指板のものである。その後ジョージ自身の手によりサイケデリック塗装がほどこされており、マジカル・ミステリー・ツアーにおけるアイ・アム・ザ・ウォルラスの映像で確認できる。愛称はロッキー。
ジョージはこれ以外にも多数のストラトキャスターを所有し、ビートルズ解散後はメイン・ギターとして使用した。代表的なものとして、1971年のバングラデシュ難民救済コンサートでは、エリック・クラプトンより譲られた、60年代製のボディに50年代製のメイプル・ネックが装着されたホワイトのモデルを使用。1991年の日本公演では、フィエスタ・レッドのエリック・クラプトン・モデルを使用した。
1968年にフェンダー社が特注を受けて製作。エレキギターでは通常指板材として使用されるローズウッド(紫檀)を用いて、ボディとネックが造られている。1969年を通してアルバム『レット・イット・ビー』『アビー・ロード』のレコーディング・セッションで使用。映画『レット・イット・ビー』では全面的にフィーチャーされている。'69年12月、ジョージがデラニー&ボニーのツアーにサポート参加した際、デラニー・ブラムレットに譲渡された。
  • フェンダー・エレクトリック12(Fender Elrectric ⅩⅡ)
  • フリッツ・ブラザーズ・ロイ・ブキャナン・ブルースマスター(Fritz Brothers Roy Buchanan Bluesmaster)
1991年の日本公演時に使用。
  • メイトン・マスターサウンド(Maton mastersound)
メイトンはオーストラリアのギター・メーカー。1963年のステージ写真で使用が確認される。

[編集] エレクトリック・ベース

  • フェンダー・ジャズ・ベース(Fender Jazz Bass)
  • フェンダー・ベースVI(Fender Bass VI)
ヘイ・ジュード」のPVで使用。但し、ジョン・レノンが「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」や映画「レット・イット・ビー」にて演奏している「レット・イット・ビー」「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」の演奏シーンで同じものを使用していたため、ジョージが所有していたものかどうかは不明である。

[編集] アンプ

ビートルズデビュー前から初期まで(中期ではフェンダーなどのアンプと併用)のレコーディングにおいて最もよく使用されたアンプ。真空管を使用していて独特な粘りのあるサウンドで、個々のギターの特徴と混じり合って音を出す。これこそ初期ビートルズサウンドの大きな要素である。ライブでも使用される事はあったが出力が低いため、ライブには向かなかった。
  • ヴォックス・AC-50(VOX AC-50)
  • ヴォックス・スーパー・ビートル(VOX SUPER BEATLE, VOX AC-100, VOX AC-200)
ライブにおいて観客から殆ど音が聞こえない状況を打開するため、出力の低いAC-30などのアンプに代わって、ヴォックス社よりビートルズのライブのために開発・提供された大型で高出力のスタックアンプ。100Wのものと200Wのものがあり真空管を使用し粘りのあるサウンド。ボリュームを最高にして使用しているようで、その分、アンプの持つサウンドより箱鳴りのサウンドの方が大きく聞こえる。1966年の日本公演でも使用。現在は生産停止。

[編集] その他

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

ビートルズ
メンバー: ジョン・レノン - ポール・マッカートニー - ジョージ・ハリスン - リンゴ・スター
前メンバー: ピート・ベスト - スチュアート・サトクリフ
プロデューサー: ジョージ・マーティン - フィル・スペクター - ジェフ・リン
関連人物: ブライアン・エプスタイン - クラウス・フォアマン - ビリー・プレストン - オノ・ヨーコ - リンダ・マッカートニー
スタジオ & レーベル: アビー・ロード・スタジオ - EMI - キャピトル・レコード - アップル・レコード

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