ニック・ハイドフェルト
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F1での経歴 | |
国籍 | ドイツ |
車番 | 16 |
所属チーム | BMWザウバーF1 |
活動年数 | 2000 - |
過去の所属チーム | プロスト, ザウバー, ジョーダン, ウィリアムズ |
出走回数 | 116 |
タイトル | 0 |
優勝回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 79 |
表彰台(3位以内)回数 | 5 |
ポールポジション | 1 |
ファステストラップ | 0 |
F1デビュー戦 | 2000年オーストラリアGP |
初勝利 | - |
2006年順位 | 9位 (23ポイント) |
(記録は2006年第18戦終了時) | |
ニック・ハイドフェルト(Nick Heidfeld、1977年5月10日-)はドイツ、メンヒェングラットバッハ生まれのカーレーサー。現役F1ドライバー。2000年よりF1に参戦している。
目次 |
[編集] プロフィール
ドイツ国内のカート選手権でチャンピオンを獲得するなど活躍した後、1994年にドイツFF1600フォーミュラにステップアップ、1996年にドイツF3に参戦を果たし2年目となる1997年にタイトルを獲得した。
1998年国際F3000へ。初年度ながらファン・パブロ・モントーヤとタイトル争いを演じる。が、最終戦で燃料規定違反が発覚し、ぺナルティを受け最後尾スタートとなる。これでチャンピオンを逃しシリーズ2位で終わる。
1999年マクラーレンのテストドライバーを務める傍ら、引き続き国際F3000に参戦。4勝を挙げチャンピオン獲得、冷静なレース運びから「コンピューター・キッド」と称される。
2000年にメルセデスの契約下、プロスト・グランプリからF1デビュー。チームは混迷期にあり実力は発揮できなく無得点に終わる。
2001年ザウバーに移籍。開幕戦の入賞、第3戦での表彰台などチームメートのキミ・ライコネンより多いポイントを獲得するも、ミカ・ハッキネン離脱で空いたマクラーレンのシートにはハイドフェルトでなくライコネンが座ることになり、メルセデス契約下にあるハイドフェルト本人は不満を覚える。
ザウバーに残留した2002年はルーキーのフェリペ・マッサを相手に、チームメイトよりは上回るものの、得たポイントは前年より下回る。2003年も同チームに残留、ベテランのハインツ=ハラルト・フレンツェンと組み悪いマシンに手を焼く。
2005年、アントニオ・ピッツォニアとのレギュラーシート争いを経て、ウィリアムズへ移籍し、マーク・ウェバーとコンビを組むこととなった。第2戦マレーシアGPで自身2度目の表彰台(3位)、第6戦モナコGPで自己最高位の2位、第7戦ヨーロッパGPでも初のポールポジション獲得からの2位と、活躍を見せ、開幕前はセカンドドライバー的な見方が多かったが、完全にウェバーを圧倒していた。更なる活躍が期待されていた矢先、イタリアGP前のモンツァ・テストでのクラッシュの影響により、イタリアGP・ベルギーGPを欠場し、復帰を目指したトレーニング中に再度負傷してしまい、結局ブラジルGP以降の残り3戦全てを欠場することとなり、ウィリアムズの戦闘力低下と相俟って「尻すぼみ」の印象を与えることとなった。
2006年からBMWがザウバーを買収して参戦することに伴い、BMWがウィリアムズからオプション権を買い取り、ドイツ人でありBMWのサポートを受けている彼はBMWザウバーのエースドライバーとしてレギュラー参戦することとなった。
[編集] 経歴年表
- 1994年 ドイツFormula Ford 1600参戦 チャンピオン
- 1995年 ドイツFormula Ford 1800参戦 チャンピオン
- 1996年 ドイツF3参戦チーム:(Opel Team BSR)(マシン:ダラーラF396オペル)シリーズ3位.マルボーロマスターズF3参戦(チーム:Opel Team BSR)(マシン:ダラーラF395オペル)総合3位.マカオF3参戦(チーム:Opel Team BSR)(マシン:ダラーラF395オペル)総合6位 PPを獲得。
- 1997年 ドイツF3(チーム:Opel Team BSR)(マシン:ダラーラF397オペル)シリーズチャンピオン. マルボーロマスターズF3参戦(チーム:Opel Team BSR)(マシン:ダラーラF395オペル)総合7位.マカオF3参戦(チーム:Opel Team BSR)(マシン:ダラーラF395オペル)総合優勝 PP&FLを記録.F1テストドライバー,(マクラーレン(McLaren))公式テストドライバー
- 1998年 国際F3000参戦(チーム:West Competiton)(マシン:ローラB98/50ザイテック)3勝,2PP,3FL シリーズ2位 .F1テストドライバー,(マクラーレン)公式テストドライバー
- 1999年 国際F3000(チーム:West Competiton)(マシン:ローラB99/50ザイテック)4勝,4PP,6FL シリーズチャンピオン.ル・マン24時間耐久レース参戦(チーム:AMG Mercedes)(メルセデスCLR GT-1)事故により撤退。
- 2000年 F1参戦(チーム:プロスト(Prost))(マシン:プロストAP03プジョー)最高位8位
- 2001年 F1(チーム:ザウバー(Sauber))(マシン:ザウバーC20ペトロナス)最高位3位 シリーズ総合8位
- 2002年 F1(チーム:ザウバー)(マシン:ザウバーC21ペトロナス)最高位5位 シリーズ総合10位
- 2003年 F1(チーム:ザウバー)(マシン:ザウバーC22ペトロナス)最高位5位 シリーズ総合14位
- 2004年 F1(チーム:ジョーダン(Jordan))(マシン:ジョーダンEJ14フォード)最高位7位 シリーズ総合18位
- 2005年 F1(チーム:ウィリアムズ(Williams))(マシン:ウィリアムズFW27 BMW)最高位2位 シリーズ総合11位
- 2006年 F1(チーム:BMWザウバー(BMW Sauber))(マシン:BMWザウバーF1.06 BMW)最高位3位 シリーズ総合9位
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
2006年シーズンのF1世界選手権を戦うチームと出走ドライバー | |||||||||||
M | RENAULT | M | McLAREN | B | FERRARI | B | TOYOTA | B | WILLIAMS | 使用タイヤ: M: ミシュラン B: ブリヂストン |
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1 | アロンソ | 3 | ライコネン | 5 | M.シューマッハ | 7 | R.シューマッハ | 9 | ウェバー | ||
2 | フィジケラ | 4 | デ・ラ・ロサ | 6 | マッサ | 8 | トゥルーリ | 10 | ロズベルグ | ||
M | HONDA | M | RED BULL | M | BMW SAUBER | B | SPYKER MF1 | M | TORO ROSSO | B | SUPER AGURI |
11 | バリチェロ | 14 | クルサード | 16 | ハイドフェルド | 18 | モンテイロ | 20 | リウッツィ | 22 | 佐藤 |
12 | バトン | 15 | ドーンボス | 17 | クビサ | 19 | アルバース | 21 | スピード | 23 | 山本 |
井出 (スーパーアグリ-23・第1~4戦) / モントーヤ (マクラーレン-4・第1~10戦) モンタニー (スーパーアグリ-23・第5~11戦) / ヴィルヌーヴ(BMW-17・第1~12戦) クリエン (レッドブル-15・第1~15戦) |