年寄
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年寄(としより)とは、大相撲における親方の正式名称であり、財団法人日本相撲協会(以下、「協会」と称する)の構成役員である。
力士は引退後協会に残るか、別の道を歩むことになる。協会に残るためには、原則として年寄になる必要がある(若者頭、世話人など例外もある)。定年は65歳。
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[編集] 由来
江戸時代には、各地で相撲の興行集団ができたが、最初のころは、浪人のたまり場でもあり、風紀上の問題も多かった。そこで、幕府は、江戸における相撲興行を、寺社奉行の管轄下におくこととし、そのために相撲集団の自律性を強く求めた。
その結果、雷権太夫をはじめとする年寄集団が、相撲興行の秩序を維持することを前提に、幕府は寺社境内での相撲興行を許可することとなった。これが現在に続く大相撲の発祥である。そのため、相撲会所(当時の名称)は、その後の運営を自発的に行うために、力士経験者を年寄というかたちにして、株仲間の制度を適用して、ギルド的結合を維持することとなった。年寄襲名の条件は時代によって異なるが、この制度のために、現在まで、相撲協会は現役経験者によって運営される、職能団体としての性格をも持つようになっている。
[編集] 襲名の条件
年寄になるためには年寄名跡が必要で、これを取得する条件として次のいずれかを満たす必要がある。
例外規定として、相撲部屋継承者と認定された場合、以下の条件が適用される。
- 幕内通算12場所以上
- 十両と幕内通算20場所以上
- (平成14年5月の規約改定で新設)
ただし寄附行為施行細則附属規定には、これらの基準に満たなくても理事会に諮り承認された場合は年寄になれることが明記されている。
[編集] 年寄名跡
年寄名跡(としよりみょうせき)とは、年寄株とも呼ばれ、そのほとんどが明治時代までに成立したとされている。東西相撲協会合併後の1929年(昭和2年)に88 家の名跡に整理され、1943年に増加して106、1959年(昭和34年)に105家となって現在に至る。年寄名跡所有者は常に日本相撲協会から安定した収入を得ることができ、よほどのことがない限り「失業」の心配もない。年寄名跡が交換・売買可能なのものであるとしているため、非常に高値で取引されているのが実態である。現役引退後に協会に残りたいと思っても、名跡を取得できずに去っていった者も多数いた。
かつては、年寄名跡保持者(親方)は停年(定年)を迎えるまでに早々と廃業(退職)して後進に道を譲ったり、現役時代がいわゆる"超肥満体型"であったため若くして亡くなることが多く、名跡が売買可能であっても売買価格が超が付くほど高額になるようなことはなく特に問題とはならなかった。
しかし、近年は健康意識の高まりから引退後にダイエットして瘠せるなど健康管理に努める親方が多くなった結果寿命が延び停年まで協会に残る者が非常に多くなったり、年寄の待遇がよくなり停年前に退職する者が減ってきた。そのため、なかなか名跡に空きが出ず、どうしても欲しいと思う者が高値で買い取るようになり相場が高騰する、という事態に陥ってしまった。
年寄名跡の相場は現状8,000万円程度と言われているが、それでも高い。若・貴ブームのピークであった1990年代前半は3億円程度とも言われていた。
年寄名跡を取得するだけの金銭的余裕のない者は、複数所有している年寄や、まだ現役の力士、停年(定年)などによって協会を離れた元年寄らから名跡を借りて襲名することが多い。借り名跡によって年寄となった場合は理事や監事になることはできず、いわゆる平年寄のままである。また、部屋を開くことも許されない。よって理事選挙に立候補したり部屋を創設する際には名跡を取得する必要があるが、借り名跡について協会は所有者について明らかにしてこなかったため、非常に不透明なケースも見られた。
こうした背景を受けて、1998年(平成10年)相撲協会は、年寄名跡の貸し借り、複数所有を禁止とし、所有者を公開するという抜本的な改革を実行、これに伴い新たに準年寄が設けられた。
しかし2002年(平成14年)9月、協会は一転して名跡の貸し借りを容認することを決定した。その背景として、現役力士の取得や年寄の退職による空き名跡の増加(当時の空き名跡は合計で9家)による協会業務への支障があった(協会の仕事のほとんどは年寄によって行われてきた)。
[編集] 一代年寄
一代年寄(いちだいとしより)とは、相撲界に多大な功績があった者に対して送られる、該当者一代限りの年寄名跡である。功績に明確な基準はないが、基本的に優勝回数20回以上とされている。
しかし、一代年寄を送られた者のうち、鏡里喜代治までは横綱になると自動的に一代年寄になれる制度のころの適用者であり、のちに年寄株を取得した者もいた。このため厳密な意味での一代年寄は、大鵬・北の湖・千代の富士・貴乃花の4人だけである。なお、横綱千代の富士は一代年寄の受贈を辞退した。
[編集] 一代年寄贈与者の一覧
- 阿武松緑之助
- 鬼面山谷五郎
- 男女ノ川登三
- 双葉山定次 - 引退後「時津風」を襲名
- 羽黒山政司 - 現役中に二枚鑑札で「立浪」を襲名
- 千代の山雅信 - 後に「九重」を襲名
- 鏡里喜代治 - 後に「立田川」を襲名
- 吉葉山潤之輔 - 後に「宮城野」を襲名
- 大鵬幸喜
- 北の湖敏満
- 千代の富士貢・・・辞退し「陣幕」(後に「九重」)を襲名
- 貴乃花光司
- 現役名で年寄となった横綱
- 朝潮太郎 - 現役中に「振分」を所有したが松登晟郎に貸して一代年寄を襲名。松登が大山を襲名すると自身は振分を襲名。
- 栃ノ海晃嘉 - 後に「中立」を襲名
- 若乃花幹士 (2代) - 後に「間垣」を襲名
- 大乃国康 - 後に「芝田山」を襲名
- 旭富士正也 - 後に「安治川」を襲名
- 北勝海信芳 - 後に「八角」を襲名
- 曙太郎 - 後に日本相撲協会を退職
- 武蔵丸光洋 - 現在年寄
[編集] 準年寄
準年寄(じゅんとしより)とは、年寄になる資格がある元力士が一定期間だけ、現役時代の四股名で残ることが出来る制度である。この制度は引退後横綱は5年間四股名のまま親方として残ることができるとした制度を最高位が関脇以下の幕内力士経験者まで広げたものである。
[編集] 年寄の年収
年寄の年収には、月例給、賞与のほかに、勤続年数に応じた勤続手当、年3回支給される場所手当、協会在勤者への在勤手当、羽織・袴で審判委員を務める者への衣装補助費、年寄名跡の取得補償として名跡金などが支給される。
また部屋持ち親方には、力士1人当たり1場所ごとに部屋維持費と稽古場経費、幕下以下の力士への力士養成費、関取を育てあげた養成奨励金などが支給される。
日本相撲協会の構成役員である年寄の職責には、理事、監事、役員待遇、委員、主任、参与、平年寄、準年寄があるが、相当数を占める委員の年収は、1,500万円から1,600万円と推定される。
2006年6月に押尾川親方(大関大麒麟将能)が定年を1年残して早期退職をしたとき、「もったいない」との記事が全国版新聞に掲載された。
[編集] 年収の内訳
(単位:円)
項 目 | 理 事 | 監 事 | 委 員 | 主任・参与 | 平・準年寄 |
---|---|---|---|---|---|
月額給与 | 1,405,000 | 1,232,000 | 1,001,000 | 849,000 | 784,000 |
勤続手当 | 5,000 | 5,000 | 5,000 | 5,000 | 5,000 |
年額給与 | 16,920,000 | 14,844,000 | 12,072,000 | 10,248,000 | 9,468,000 |
年額賞与 | 2,810,000 | 2,464,000 | 2,002,000 | 1,698,000 | 1,568,000 |
場所手当 | 600,000 | 600,000 | 600,000 | 600,000 | 600,000 |
名 跡 金 | 600,000 | 600,000 | 600,000 | 600,000 | 600,000 |
年収合計 | 20,930,000 | 18,508,000 | 15,274,000 | 13,146,000 | 12,236,000 |
在勤手当 | 600,000 | 480,000 | 180,000 | 180,000 | 180,000 |
審判手当 | 300,000 | 300,000 | 300,000 | 300,000 | 300,000 |
- 勤続手当(月額)
- 勤続6年以上11年未満の者:5,000円
- 勤続11年以上16年未満の者:8,000円
- 勤続16年以上21年未満の者:11,000円
- 勤続21年以上26年未満の者:14,000円
- 勤続26年以上31年未満の者:17,000円
- 勤続31年以上の者:20,000円
- 場所手当
- 1月場所、5月場所,9月場所の年3回、各200,000円、年額600,000円
- 名跡金
- 年寄名跡の取得補償として月額50,000円、年額600,000円
- 在勤手当
- 協会在勤者のみに支給、月額15,000~50,000円、年額180,000~600,000円
- 審判手当
- 審判委員のみに衣装補助費の名目で支給、各場所50,000円、年額300,000円
[編集] 年寄名跡に関する諸問題
年寄名跡の売買価格の高騰、不明瞭な取引の実態に関わる諸問題をいう。
詳細は、年寄株問題を参照のこと。